2010年03月26日

和皿

Twitterで見つけた「こころを潤す紙の器」WASARA
手びねりの器のような柔らかくシンプルなフォルム、竹と葦とサトウキビのやわらかな質感。これ全部紙の器なんだ、と驚いた。薄墨や呉須をさっと刷いたり、古伊万里のように細かく模様を描いたら楽しかろうな。でも絵の具がのるということはワインや醤油も染みてしまうのかしら、柚子胡椒や擦り胡麻の粒粒が繊維に入り込んで食後が見苦しかったりしないかしら、と使い勝手も想像する。というか個人のパーティーレベルでこれを使える素敵なシチュエーションがあまり思い浮かばない。食器は使い捨てでよく、しかし普通の紙やプラスチックの皿では味気ないので少々奮発してこれを選ぶ、という状況。要は普通の紙皿との差が大きすぎるそのお値段である。消費するより、先述のごとく絵を描くとかエンボスを押すとか透かしを入れるとか、何か紙ならではの素敵な加工を施して楽しむ素材として考えたくなる。
これがもう少し使い捨てにしてもお財布が傷まない値段だったらな…と思うと、なんとなく古き佳き無印良品を思い出さずにはいられない。昔の無印だったら出来たのではないだろうか、このように清々しく美しく、かつ低価格の紙皿や紙コップ。今の無印の食器コーナーに行ってもちっとも楽しくない。本当によく考え抜いてこの形と値段なの?という気がする。



ところで呉須の字が解らなくて「陶芸 ごす」でググろうとしたら検索ボックスの下に「陶芸 合コン」って候補が出たんですけど、なに、そんな合コンあんの?
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成長

ちびすけと、誕生日に買った椅子に「コッシー」と名前をつけた。長く広く敷設できるようになった線路を部屋中に拡げ、「コーヒー、こんぺいとう、コーヒー、こんぺいとう」とずっとつぶやいている。金平糖なんて食べたこともないのに。靴下は相変わらず「つつちた」のままで、シャボン玉のことは「しゃんぼだん」と言う。それ以外は驚くほど滑舌が良い。「みっつあげるね」とおやつを渡すと必ず「よっつ!むっつ!」とそれ以上を要求する。数を数えられるのかというと正確ではなく、「昨日で2歳になったんだよね?」「うん!にしゃい!」と指を5本拡げて見せたりするので、まだまだ。でもみっつよりもよっつの方が多くて嬉しいってことは解ってるんだな。
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2010年03月25日

息子が2歳になった日に思う

苦しい。苦しい。苦しい。苦しいよ。苦しいなあ。あああああああ。

臆面もなく身内を褒めるようだけれど、子どもを持ちたいと思った段階で私が憧れたのは他ならぬ私の母だった。父親が育児にノータッチであることがまだ全く珍しくなかった時代に3人の子どもを産み育て、その傍らで自己研鑽を怠らず、順調にキャリアを積み、一家の稼ぎ頭として子どもをみな(ほぼ)希望通りの進路へ進ませた。母が公務員で、それゆえ各種手当の厚かったこと、車ですぐの距離に母の実家も父の実家もあって、祖父母が全員健在で叔母もいて、母が働く間に子どもの世話を焼く手が充分にあったことを差し引いても、母は娘として最大限に尊敬し得る「はたらくお母さん」であった、と思うのだ。

子どもを3人以上産み育てていて、産休手当も実家の助けも夫の育休もなく、にもかかわらずフリーランスでクリエイターとしてキャリアを築いている女神のような人がいたら今すぐ飛んで行って話を聞きたい。

私は母のような母になれるのだろうか。
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2010年03月19日

眠りの国の

子がはじめて「ぎゅうにゅうこぼしちゃった、ごめんなたい」と言えた日、半年間ちびすけのベビーシッターをしてくれた友人が日本に帰る。日差しが暖かくてコートの下があせばむ。ドイツの春はいつだってある日突然やってくる。ついこの前まで雪が積もっていたことなど知らない顔をして、水仙が、クロッカスが、いっせいに花開く。



ほとんど夜泣きをしなくなったちびすけだけれど、寝言はものすごくはっきりと大声で言うのでびっくりする。ひどく悲しそうに「さるー。さるー。」と呼ぶ日もあれば、嬉しそうに「しゅっぱつ。しんこう」とつぶやきながら眠ることも。昨夜は急に起き上がって泣きながら「あっち。あっち。ミッキーが。」とせっぱつまって寝室を出てゆこうとするのをキティと2人で真剣に止めた。何の夢を見ていたのだろう。今までの夜泣きも、泣いている理由を言葉にしたり、行動に移すだけの力がまだ備わっていなかっただけで、ずっと彼なりの物語をレム睡眠の中で紡いでいたのかもしれない。
posted by YUKINO MATOI at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 子日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月17日

ヒューマン・ビヘイヴュア

今回の都規制案で何に一番腹が立っているのかというと「よからぬものをなるべく目に入れないようにしておけば、子どもはよからぬことなど思いつかないに違いない」という浅薄で乱暴な発想に腹が立っているのである。町山智浩さんの「アメリカ映画特電 第72回『ダークナイト』はなぜ素晴らしいか」を聴くべし。

昨年の5月から始まっている架空創作表現規制禁止の法制化を求める署名。昨日から今日までで一気に1万人ほどの署名が集まっている模様で、頼もしい。期限は今年の5月なので今週末には間に合わないが、継続審議になる可能性も高くなってきたことを考慮しつつ。
posted by YUKINO MATOI at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月16日

東京都青少年健全育成条例に反対します

たけくまメモ 都条例「非実在青少年」規制問題について

一児の母として「子どもをレイプする奴なんてこの世から消えてしまえ」とは思っても「子どもをレイプするマンガ描いてる奴なんてこの世から消えてしまえ」とは死んでも思わない。これまで思ったことはないしこれからも思わないであろう。

人の心の中にはどんな理由があれ何人たりとも侵してはならない領域がある。ちいさな子どもとあんなことやこんなことしたいなあ、と思う気持ちは万が一だだ漏れてしまったときの「何考えてんだこの鬼畜」という非難轟々の覚悟こそ必要だが、どこにも漏らさず誰も巻き込まずひっそり胸にしまって実行に移す気がないのならその欲情の主をその欲情のゆえに罪に問うことなど天地が裂けてもやってはならない。ましてやその欲情を題材に表現活動を行う人間を罪に問うことなどできようか。

同じ「子どもを守る」という視点に立つ(今回の条例が実際に子どもを守れるかというとほぼ全く実効力は期待できないと思います、が)なら子どもの虐待を例に挙げてみればいい。育児疲れが溜まりに溜まってつい子どもに八つ当たり、その延長として我が子をぼこぼこに殴ったりしてしまう自分を一瞬でも想像したことのあるお母さん、決して少数ではないはず。その「子どもに暴力をふるいたい」という衝動だけで母親が罪に問われるとしたら怖くて怖くて誰も子どもなんか産めやしないだろう。子どもはかわいい、子どもは大切という気持ちだけではどうしようもない底無しの闇を時として抱えてしまうのが人間なのであって、人間がそういう生き物であるからこそ、これまでも児童虐待の描写を含んだ作品が(どのような目的のもとであれ)これまで描き続けられてきたのだし、これからもそうだと思う。子どもに対する性的な描写を含む作品だって同じことだ。

ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』を見よ。サトゥルヌスの恐れと狂気に満ちた生々しく哀しい姿を見よ。我が子を喰らってまで己の生に執着してしまった人間という存在の闇の深さを見よ。今回の非実在青少年に対する規制は「幼い子どもを頭から食べるという残酷性を助長しかねない」という理由でゴヤとゴヤの絵を愛する人間を罪に問うがごとき愚行である。

子どもに対する性的描写や暴力シーンを含む作品が一生うちのちびすけの目に触れない世の中よりも、将来マンガ家や作家になるかもしれないちびすけが、彼の選ぶどのような題材であってもそれを真摯に描くことができて、その表現を誰にも妨げられない世の中のほうを私は心から望みます。それと同じくらいに、子どもが心ない大人によって取り返しのつかない傷を負うことのない世の中をも望むわけですが、それと今回の規制とは全く別の次元の話。



と気炎を上げても現時点で東京都民ではなく今から書面で陳情するにしても時間が限られているので(リミットまであと約100時間)誰か署名サイトとかご存知の方いましたら教えてくださいまし。



流通する過程での購入者・閲覧者に対する年齢規制、広告・販売に関する規制は必要だと思います。児童ポルノよりも電車の卑猥な中吊り広告とかコンビニの雑誌コーナーのほうが子連れで外出するときにはよっぽど不愉快だよ。

そういえば地元の図書館は同じマンガだからというだけのきわめて大雑把なくくりで『サザエさん』や『ガラスの仮面』と同じコーナーに手塚治虫をほぼ全部並べていて、おかげで私は誰にも止められずに『アドルフに告ぐ』も『奇子』も読むことが出来たんだけど、あの配置はいかがなものか。今は変わったのかなあ。一応小学校高学年にならないと届かないくらい高い棚には並べてあったが。
posted by YUKINO MATOI at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月15日

子どものときにだけあなたにおとずれる不思議な出会い

何もない部屋のすみや天井を指差して息子が「おばけー。そこ。」「ここも。ちっちゃいの。いるー。」という。大人には見えない何かが見えているのね?
posted by YUKINO MATOI at 18:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 子日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誰かのいた景色

mixiで見つけた。

東京在住のアメリカ人廃墟マニアMichael John Grist氏が選ぶ日本の"haikyo"10選

森へと還りゆく伊豆長岡スポーツワールドのウォータースライダーは圧巻。

尾去沢鉱山に残されたプールの鮮やかな水色。

地元新潟のロシア村もいつ潰れたのかわからんうちに潰れてたなー。イコンが妙に新しいまま煤けても落書きされてもいずにペカペカしてる教会内部は怖い。神の寄り代になりそこねた家。
posted by YUKINO MATOI at 02:01| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月14日

言葉は「踊りの身体」には属さない

ダンサーの友達と、久しぶりに夜の劇場に足を運ぶ。公演自体は不完全燃焼だったけど「友達と土曜の夜遅くにおでかけする」という行為自体は超満喫。楽しかったー。



私にダンスという世界を初めてみせてくれた人は「踊りは説明しちゃダメ。説明したい人は演劇に行きなさい」と言った。以降私はダンスとは体一つで勝負するものだと信じているし、ダンサーが自分の身体と向き合ってる感じがしない舞台は実際つまらない。私がLa La La Human Stepsを愛して止まないのは、爪先の一点で立つ彼らが極限まで肉体を酷使して駆け抜ける姿に美しさの一つの極地を見るから。

でも最近はダンスシアターなるものが隆盛で言葉による演出、舞台の進行がとても多いのだそう。体の一部分として、例えば指先や足腰がしなうように言葉が舞ってみせるような舞台ならば見てみたいけれど、声が言葉として意味を持ち説明を始めた瞬間、私にとって、それはもうダンス作品ではない。昨冬にベルリンで観たシルヴィ・ギエム"EONNAGATA"に感じた最大の違和感はそれで、私はギエムが踊るのを観に来たのであって語るのを聴きに来たのではない。むろんダンス・パートは震えが止まらなくなるほど圧倒的で、終盤など生涯網膜に焼きついて離れないほどの哀しい美しさに満ち満ちていたのだけれども。

昨晩の公演、いくつかすごく面白いと思える演出もあって、その一つがステージ中央のスタンドマイクに向ってダンサーの一人が囁き続け、次第にそれが反響し反復されて舞台を満たしてゆくというもの。気づくとダンサーはそっと口を閉じマイクから離れているのだけれど、マイクを通した現在進行形の声と、一旦機械に回収されて再生されてそこここに響き渡っている声が全く同質なので、観客はしばし、彼女が喋るのを止めてしまったことに気づかない。抜け殻だけがいつまでも残像のように、不在の主の代理をつとめる。



言葉について考えるうち、無性に、母国語の国に帰りたくなった。
6年目の滞独で今が一番心身がよれよれになっているよう。
posted by YUKINO MATOI at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月05日

もうすぐ2歳

ぼろぼろと泣いて、不安で潰れそうになって、吐きそうになって目を回して、うろたえて、座り込んで、ぼんやりして、その後で夕食を作って少し縫い物をして、ようやく母業に戻れるようになるまでの午後を、ずっと一人で遊んでいて、戻った私に「ママ」と頬を暖かい両手で挟んで優しいチュウを5回もしてくれる息子を持った母は果報者です。
posted by YUKINO MATOI at 02:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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