2009年08月05日

趣味の不一致

「友達が日本から子ども番組のDVDを送ってくれたので観てみたらビー玉が転がったり何かが倒れたりするのを延々見せられるだけで全然面白くなかった、こんなわけのわからないものは要らない」とのたまうママ友達からピタゴラ装置DVDを譲り受けて今とても幸せです。ちびすけも「ピタゴラスイッチ」の声に合わせて楽しそうに「ふぃっち」と言ってます。
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2009年08月01日

ニッポン覚書

8月になったので忘れないうちに。

■プレ・越後妻有トリエンナーレ

http://www.echigo-tsumari.jp/2009/index.html

まだ会期前だけど東京から友達二人が遊びに来てくれることになり、母に車を頼んでまつだい駅にてお出迎え。駅前でさっくりご飯を食べて前回、前々回設置の作品群を見て回る。驚くのは田畑の中、集落の中におそろしく「普通に」作品が設置されていること。まつだいの人たちが普通に米を作り茄子を作り紫蘇を植え枝豆を植え雑草をむしっているその横に案山子のようにさくさくと作品が植えられている風景は、当たり前のドラム缶や稲架木すらもアート作品に見せる。圧倒的な自然の中での人為。アートとそうでないものがゆるゆると溶けてあってゆく感じ。依田久仁夫『希望という種子(シュジ)』が山中でぽつぽつと枯れ葉に埋もれ苔に覆われ、作品に辿り着くための階段までもが朽ちるに任されて侵蝕されていく感じ、物凄く良かった。石だとおもっていたのは陶板なんですね。

美人林なるブナの原生林を散策し満開の紫陽花を愛で友達を宿泊先のマリーナ・アブラモヴィッチ作『夢の家』まで送り届けて、本当は見学時間は過ぎているのにスタッフの人に無理を言って夢の家の中を見学させてもらって帰宅。ネットで観た写真ではどう見ても棺桶のようなベッド(枕は水晶)に子連れでは泊まれまいと思っていたけど正解。そこにあるのは風呂ではなく禊のための沐浴(石鹸シャンプーの類は禁止)。パジャマではなく着ぐるみ(テレタビーズそっくり!)。茶の間に置かれたテレビに映るはアブラモヴィッチ女史の作品アーカイヴのみ(!)。室内の設えは越後の古い農家そのままで、母方の実家に遊びに行ったようでとてもくつろげそうな雰囲気だったとはいえ。冷静にツッコミを入れてしまったら負けなので、一緒に泊まる相手をものすごく選ぶ宿だと思いました。

翌日、長岡観光。
とりたてて見るものもなく、郊外に大きなショッピングモールが出来てからは閑古鳥が鳴き喚いている駅前商店街も、全国的に見ればまだまだ幸せなほうなのかもしれないと思いました。昭和の面影の色濃く残る建物のディティールが実は美しいのだということ、長岡出身でない人と一緒に歩かなければきっと気づかなかった。カウンターの美人おねいさんに憧れて通ったカフェに友人を案内、帰りに駅まで送ったら高校の美術の先生にばったり出くわしたりと、なかなか濃い午後でした。友人お二人には改めて感謝。楽しかったー。

■ コクーン歌舞伎『桜姫』

歌舞伎で涙が出たのも初めてなら劇場を出て歩いても歩いても涙が止まらないのも初めてで、困りました。
美しかった。とにかく七之助さんが圧倒的に美しかった。触れれば散ってしまいそうな可憐な姫君から煙管片手の妖艶な女郎まで、ほっそりと鋭利で、決して曇らない気品。歌声が響き渡り桜色の月の昇るラストシーンなど本当に夢のような美しさでこの世のものとは思えませんでした。

というか本当にこの世のものだと思って観てなかったんですね私。筋書にある以上の『桜姫』の物語を知らずに観に行ったもので当然結末もわからず、だから最後の桜の宴は姫も赤子もみんな死んでしまったのちの冥府の桜なんだと思っていたのですがあとからいろいろ読むとどうもそうではないらしいようなのでもう1回観たいよー!あと6月の長塚版も観るべきだったなあ。せめてDVD出ないかしら。

■ メアリー・ブレア展

http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/98/

膨大な量の作品を残しながら、作風といいメアリー・ブレアの生き様といい常に一本のくっきりとした軸に貫かれて(晩年の一部の作品を除いて)一切のブレがないのに胸打たれました。幅広い仕事をこなしながら全ての焦点が矛盾なくぴたりと合って像を結ぶ感じ。ふらふらと寄り道ばかりの私は大槻ケンヂ『人として軸がぶれている』を歌いつつ穴があったら入りたい気分でした。というのは嘘ですが、ブレアが南米で、またアメリカ南部で、ニューヨークで、吸収し糧としたものが彼女の血肉となり指先から溢れ出す色彩に変わって画面を彩る様が揺るぎない説得力を持って展開されていて、その仕事量といい力強さといい本当に素晴らしかった。あれこもこれもと舐めたり齧ったりするだけではなくて、もっとちゃんと咀嚼して飲み込んで消化してそしてそれを自分の作品として態度として表に還元してゆく作業が私にはもっともっともっと必要なのだと深く頭を垂れました。
最後の物販がまるでディズニーランドの土産物屋のようで「かわいいか否か」「欲しいか否か」の回路を狂わす危険な空気を漲らせていましたが、出発が近く予算もスーツケース容量もいっぱいいっぱいだったことと、広い広い館内を巡って体がすっかり冷えていて早く表に出たかったことが幸いして、絵本1冊だけで済みました。



で帰る道々友人とピナ・バウシュ死去の話からダンスの話になり、年末にはシルヴィ・ギエムが来日とのこと、「ギエムはドイツ来ないの?」との一言で探したらありましたありましたありました11月にベルリン。欲望の矛先がぐぐぐぐっと頭をもたげるのを感じます。
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2009年07月28日

コングラチュレイション

キティが試験に受かりました。
自信はある、という本人の言葉を鵜呑みにして
落ちる気はしないとさえ私は勝手に思い込んで強気で送り出しましたが
蓋を開ければ既にその道のプロ、セミプロとして活躍している強者が受験者に名を連ね
武器になるような学歴も職歴も一筋のコネすらもないキティには
正真正銘の徒手空拳で挑むほかなかった試験でした。

公式に発表されている日本人で7人目
現行の試験制度になってからは僅か3人目の合格者だそうです。

他に楽な道はいくらでもあったろうに敢えて回り道をしたひと。
誰かがかけた橋を渡るのではなく自分で橋を建てて渡る道を選んだひと。
ぶれないで、折れないで、投げ出さないで、辿り着いたひと。

すごいな。すごいなあ。おめでとう。
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根を張った場所

ドイツに暮らして5年、5度目の一時帰国。今までで一番くたびれた。

ちびすけと2人での長旅で、そのわりにあれもこれもといつもに増して欲張ったせいもあるけれど、帰国の予定が決まるや友人に片っ端からメールして約束を取り付けて嵐のように慌ただしく会っては別れ会っては別れ、ああまたこれで当分会えないのだなと思いながら話したくて話足りなかった言葉たちをぐっと飲み込んで駅に向かい、実家の押し入れを開ければ置き去りにされた段ボールの山また山で、いつまた日の目を見るかもわからないままにかつて愛して蒐集したものたちがひっそりと埃にまみれて放置されたまま、買い込んだ帰路の品々はずっしりと重く、なんでこんな思いをしてまで持ちかえらねばならんのか、ドイツにいるときには日本であれ買ってこようこれも揃えようと心底待ち望んだものまで放り出したくなる始末。自分で望んで異国に暮らしているはずなのに何の因果でこんな生活をしているものだか、ぐらぐらと揺さぶられて目が回って何もかもが曖昧に傾いでゆくのを他人事のように眺めている自分がいました。

ドイツに戻り高く済んだ夏の空を眺め、十字架の尖塔や信号機の形、草の匂い、小麦畑の色、木の葉の影、指に触れる硬貨の感触までがあまりにも慕わしく懐かしいのに困惑しました。日本を出てくるのはあんなに苦しかったのに、ここにいることはこんなにも心地良い。魂の半分が深く深く根を下ろしてしまった場所。

どれくらい長くかはわからないけれど、まだここにいたいのです。

戻ってすぐに仕事が待っているのは幸いです。
ここにいる理由、いたいと思う明確な理由があるのは幸いです。

また、頑張れそうです。
まだまだ、頑張れそうです。



もやしもんの8巻を読んでぐっときた方は遊びに来てくださいねドイツ。いいところですよー!
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2009年07月10日

NHK

『おかあさんといっしょ』のスタジオに
キヨシローの似顔絵入りTシャツ(顔の上にMy Daddy?って書いてある)
を着て出演している子がいて、きゅんとした。

ピタゴラ装置のDVDブックが欲しい。
佐藤研はワークショップをやってくれないだろうか。

『クインテット』は佳い!すごーーーく佳い。
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2009年07月09日

古典

絵本界における「名作」って大人の読み物の世界におけるそれとは増刷の桁が違うのなー。松谷みよ子の『のせて のせて』なんて第146刷ですよう!すごいですよう、まこちゃん!

母が買い与え母の母が買い与え友人知人らがこぞって贈ってくれたおかげで
子の蔵書量がすごいことになってます。どうやって持って帰ろうこれ。

だから母は自分の本は
(仕事に使う資料を別にすれば)伊藤計劃さんの遺作『ハーモニー』と
『3月のライオン』の2巻と『魔女』の第2集しか買ってないのです。
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前記の件

単に両親が両親とも無闇に物を捨てられない人たちなだけという気も。
小学生の頃のファンシーな便箋の使い残しやら原型がなんだったのかすら思い出せないおもちゃの部品やら粗品でもらった置物やら磨耗して黒ずんだ匂いつきの消しゴムやらエトセトラエトセトラエトセトラ、もう捨てようよう、それ、といいたくなるものしか入っていないダンボールを押入れの片隅に発見して、そっと蓋を閉じる。
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2009年07月08日

変わるもの変わらぬもの

物心ついたときから食卓にあった梅干入れが今日も変わらず食卓にあり
父が独身時代から使っているポットは
私の一人暮らしに4年間同行してまた元の食器棚に収まり
姉弟3人が遊び倒した木馬が、オルゴールが、カスタネットが
当然のような顔をして子の相手をしている。
私も弟も従姉妹もみな使ったちいさな飯碗でもくもくと食事をし
弟のらくがきの残る絵本を読んでは笑い、泣く。

変わりゆくものは変わりゆくままに。
変わらぬものは変わらぬように。
母が守ってきたものを
母になって初めて見たような気がした。



通っていた高校の目の前にあるパン屋を通りがかったら
値段や品揃えはそのままに
オーガニックな材料や地元産の素材への切り替えが進んでいて
その心意気やよし!と懐かしのカレーパンを購入。
校則では昼休みに校外に出てはいけないことになっていたけど
なにしろ生徒管理の牙城たる体育科の先生方からして
生徒を買いに走らせたりしていたからなあ。
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2009年07月07日

トーキョー覚書

フランクフルトの空港で遊び倒して離陸後1時間で熟睡
途中一度起きてぐずっただけで
あとは日本海上空までずっと眠り続けた子が素敵。
起こさなかったらまだ寝続けていたかも。
せんとくん似のおちびさんを連れた隣のご夫婦が苦戦している
(機内でお子さんの爪切ってたけど
 どうやって爪切り持ち込んだんだろう?)のを横目に
申し訳ないほど楽ちんな旅でした。



成田でキティのご両親がお出迎え。
以後1週間の同居生活。
笑えるような泣きたいような引き攣ったような弛緩したような。
この家で洗剤がどこにあって最寄のバス停はどこで
ゴミの出し方も掃除の仕方も台所での作法も覚えたけれど
結婚して5年が経とうとしている今もなお
夫の家族という人たちとの付き合い方がわからない。



渋谷の児童会館、歌舞伎座、銀座のサロン・ド・テ
上野動物園、『奇想の王国』展
四谷のおもちゃ美術館に表参道のクレヨンハウスに
『ネオテニー・ジャパン』展も見て奈良美智の犬を買って
新幹線に駆け込みました。



仁左衛門一世一代の『女殺油地獄』
人が人を殺める瞬間の泥濘。
いつの間にか足を取られて沈み込んでいた己。
一度転がりだしたら滑稽なほどに逆らえない哀しさと
そこに嵌まり込んだダメな男の色香、美しかった。
仁左様はやはり声がいい!声が!惚れ惚れ。



銀座でフランスのお茶を数種類
新宿の貴和でドイツ製ボタンをこれまた数種類
日本で、なぜ!とキティにつっこまれるのが目に見えるようだけど
だってフランス語できないからパリでこんなに買えないもん。
だってフライブルクのボタン屋さんでこんなの見たことないもん。

マリアージュフレールの紅茶のソルベが幸せに甘く苦く美味でした。
飾りのカラメルにも茶葉が入っていて香ばしい。
バニラのルイボスティーって
いかにもお茶にアロマを足しました、という感じの
べったりした感じが舌に残るのが多くて好きじゃなかったんだけど
ここのは本当に上品な香りでびっくりした。
何杯頂いても口も胃もだるくならない。何杯目でも美味しい。
高価なものは恭しくおしいただいてちびちび賞味するよりも
大きな口を開けてぱくぱくと頂いてしまうに限る、と
これは森茉莉と、ウィーンのカフェで出会った小父様に教わった作法。
乾いた喉にポットになみなみのお茶を2種、心ゆくまで味わってから
1階に並んだ美しいティーポットをうっとり眺めて帰る。


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2009年06月14日

角田光代『八日目の蝉』

泣けた。
なにかを決定的に思い知らされるように
子を抱きしめてぼろぼろ泣いてしまった。



『空中庭園』といい『みどりの月』といい、だらしのない男、それを見限らない女、取り立てて魅力的なわけでもなく、どちらかといえばありふれた人たち、達観しているふりをして実は面倒なことに全力で背を向けている人たちに髪の毛をかきむしりたいほど苛々させられながら、それでも読み続けてしまうのは、そのありふれて生温く弛緩したかに見える日々の中にうずまるとんでもない地雷、あるいは底の知れない暗闇が決して身に覚えのないものではないから。否、知り過ぎるほど知ってしまっているものだから。人は例え食卓の下に深い深い深ーーーい穴がぼこんと空いていても、その上で笑って鍋をつつくことができる。その業の深さ。業を業と呼ばず美しく言い換えるならばいくらでも美しく換言できるけれど、ここではその光景はただひたすらに「どうしようもない」。

そんないつもの角田光代の「どうしようもなさ」に満ち溢れつつ、それ以上に『八月の蝉』は「母であること」「母になること」の果てしない絶望と希望に溢れかえっていて、今まで震えたところのない部分が震えるのを覚えました。

母親になることの取り返しのつかなさ。
胸に抱き取った子が刻む圧倒的な存在感。
今ならわかる。
子どもは本当に、強くて、もろい。
やわやわと頼りなく、ずっしりと確かなもの。
一度ここへ来たら、子どものいない日々にはもう戻れない。
無防備にぺたりと体を預けにくる人のいない日々には死んでも帰りたくない。
思い出してしまったもの。
お腹の中で子が動く、固くてぐにゃりとしたあの感触。

ぼろぼろと涙をこぼして本を閉じる母を不思議そうに見ながら、子はソファの上でぼふぼふと跳ねては「ぱぱー、ぱぱー」と笑っていました。

で、「男の人にはこのお話、どうなんだろう」と、キティに読んでもらうべく「不倫相手の奥さんの子を誘拐して自分の子として育てようとするところから始まる話なんだけど」と説明したら「えー、読まない」だそうです。

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2009年06月07日

不在

ドイツに来てまもない頃に新潟に地震が襲い
家族が、友人達が被災した。
同じ頃、親しかった友人のお父上が亡くなった。
私は、そこにいなかった。



時間は流れている。
出ていく時にあったものが
帰ってくるまでそのままである保証などどこにもない。



大切なひとがあぶないときでも
縁のあったひとが苦しんでいても
私はそこにいない。



この先もずっと、そうなのだろうか。



私をつないでいるはずの人たちから
自分の意志で遠く遠く離れて、5年。



ただただ早くそこを出てゆくこと以外に何も考えられなかった高校3年生、ひたすらに穏やかであった担任の先生が亡くなった。決して褒められたことではないことばかりしていたのに、不思議と一度も叱られたり諭されたりした記憶がない。まだ40代であったはずなのだが。



ご心配ばかりおかけしていましたが
先生、私は元気で、幸せに暮らしています。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。


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2009年05月29日

だって食べたいんだもん

本気で家族の衣食住を全て手作りしようなどとは毛頭考えていませんが、欲しいものがあり、簡単には手に入らないものがあり、自分の手を少し動かすことでそれが作れるのなら、という幼少の頃からの思考回路は異国に暮らすようになってますます活性化。納豆に続く発酵シリーズとして、この前はママ友数人で山のような白菜をせっせと刻んで揉んでキムチ漬けました。次回予定は麦茶。丸のままの麦粒が売られているのを見つけたのでこれ煎って煮出したら麦茶になるんじゃないかと。
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2009年05月28日

『大きな森の小さな家』

好きな本忘れられない本影響を受けた本は数多ありますが、幼い頃にもっとも繰り返し繰り返し読んで心にしみつき、私の生き方を決定的に方向付けてしまった本を挙げるとしたら、それは『大きな森の小さな家』に始まるインガルス一家の物語です。
何に心打たれたかって、とにかくあらゆるものを「つくる」というその営み。丸太を切って家を作り、ベッドを作り、机と椅子を作り、その上に並ぶパンやハムやバターやチーズだって全部自家製で、雪解けの季節にはカエデの樹液を集めて砂糖を作り、夏になれば麦わらを編んで帽子を作る。その四季折々の全てを鮮やかに書き出した物語に圧倒されたのです。服も全部かあさんの手縫い、生地は街に行って(年に一度か二度のビッグイベント!)とうさんが冬の間に狩りで集めた毛皮と交換。とうさん、鉄砲の弾まで鉛を溶かして自作するんです。

大きな森の暮らしに憧れて物語に登場する献立を想像力で補いつつ作ってみてあまりのカロリーの高さに胸焼けを起こしたのも懐かしい話。外に吊るした肉の塊が凍って春まで溶けない寒さ(食べる時は要る分を斧で割り取ります)の中で、朝から晩まで農業に従事する一家の食事なので、高脂肪高タンパク質高糖質なのもむべなるかな。なにしろ彼らはアメリカ人なのですし。



そんな本ほどではないにせよテレビシリーズ『大草原の小さな家』にも少なからず思い入れはあったので、未聴だった町山さんのポッドキャストのバックナンバーを聴いていたら衝撃の最終回に思わず仕事をする手が止まってしまいました。詳しくは書きませんが知りたい方はWikipediaの「大草原の小さな家」ここの第49回、19分目あたりを聴いてみてください。とうさん非道いよ。
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2009年05月24日

楽しいことを書くよ4

大塚明夫の声真似で子に絵本を読むキティが最高。結婚してよかった。

読んだのは『こねこがにゃあ』ひろのたかこ作です。
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2009年05月20日

悔いたことなど一度もない

良く晴れた夕方、遊び疲れて眠ってしまった子とバスに乗る。隣にはやはりベビーカーで眠る女の子と、ゆるり座席に体を沈める母親。目が合って会釈を交わす。束の間の休息。一時の静けさ。肩の荷がひょんと軽くなった夕暮れ時の所在なさ。「おつかれさまです」と言いたくなってしまうこの感じ、母親同士手に取るように分かってしまう。家に帰って子が起きたら風呂に入れて夕食を食べさせて歯を磨いてもう一遊びさせて疲れさせて布団に入れて寝かせなくては一日は終わらないのだ。



目の前は明るく足取りとて決して重くはないのに腹の中のどこかがいつでもじりじりと黒く焼けて熱い。吹き出物って内側に溜まったものが吹き出て赤く膿むから吹き出物なんだわと今更のように思い知る。胃も肌も背骨も肋骨もきしきしと泣いている。母親にならなければこんな道は死ぬまで通ることもなかったのだろう。柔らかい手をつないだたどたどしい帰り道の美しさはなにものにも代えられず、ただただこの道を歩き通すことよりほか何も考えられなくなる。子をいわゆる「ママの恋人」だと思ったことは一度もないのだけれど、この感覚は確かに恋にものすごくよく似ていると思った。
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2009年05月11日

楽しいことを書くよ3

本来オフェンシブハーフであるにもかかわらず、監督の方針で(私の記憶では少なくとも)2年近くずっと守備にまわっていたキティに試合直前のミーティングで唐突に10番のユニフォームを渡す監督、面白過ぎ。
「やあキティ、ちょっとビックリかもしれないけれど聞いてくれ。今日の君はフォワードなんだ」って何そのサプライズ。試合前に選手を驚かせてどうする。とはいえ本来の持ち場に近いところに戻ってしっかり2アシストしたキティは漢だ。絶賛低迷中のチームが久しぶりの白星をあげたよ。
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追記

新潟市に少し前に新しい県立美術館が出来たので行ってみようかしらと展示予定を見たら、帰国直前に終わる展示の出品作家に中学時代の担任が名を連ねていた。美術教諭で、とにかく感情の振幅が大きく、激しやすく、生徒はもとより他の先生からも距離を置かれていた人。巨大なカンバスを埋めつくしてその激情を細筆でふつふつと煮詰めるように、気の遠くなるほど緻密な河岸や海岸の眺めばかりを描いていた人。

先生の絵は昔から好きではないし、今改めて見ても好きになれるとは思えないし、かなり手を煩わせる生徒であったくせに大して恩義は感じていない薄情な私だが、彼なりの生き難さ、ままならなさ、山のような葛藤を抱えて、それでも生き続け描き続ける姿を一人の人間として生徒の前で示し続けた(それが先生の望むところかどうかはわかりませんが)という意味では、先生は正しく先生であったのだろうと思う。どうひいき目にみても良い先生ではなかったにせよ。当時まだ30代であったのにずいぶんと若白髪の多かったことを覚えている。あれから10年以上、一時は教職を離れたと聞いていたけれど、描き続けてこられたのだ。展示には行かないし行けないけれど盛況であればと思う。
posted by YUKINO MATOI at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

楽しいことを書くよ2

ワイマールとエアフルトに行ってきたのです。
1919年の設立からちょうど100年
ワイマールとその周辺の都市では
あちこちでバウハウスの記念展示が行なわれていて
悪天候のうえに小さい人もいて
新美術館と国立ゲーテ博物館の2か所しか行けませんでしたが
久しぶりに心の底から
「勉強させていただきました、ありがとうございました」
という気分になる。

「美」や「快」という極めて抽象的な概念を
徹底的に解体し、系統を立て、数値化して次の世代へ引き渡す。
バウハウスとは造形教育の極めて精緻なデジタル化であったのだな。
複雑かつ整然と並べられた見本帖を眺めているように
知覚の野が次々とくまなく刺激されてゆき、ひたすら心地良い。

請求書領収書注文票任免状レターヘッドその他諸々
ヘルベルト・バイヤー、モホリ=ナジらのデザインによる
学内外で使用されていたあらゆる書類が大変素敵でした。
無念なことにはフォト・モンタージュがもっと観たかったよ。



今度の帰国で行く予定なのは
東京国立近美のゴーギャン展
現美のメアリー・ブレア展と写美のジョルジュ・ビゴー展
地元は新潟県立近代美術館のネオテニー・ジャパン展にも大いに期待。
(ちなみに上記、ページタイトルがまちがっているよ)

posted by YUKINO MATOI at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

楽しいことを書くよ

とにかく日本には帰ります。帰るのです。
6月25〜28日と7月21〜24日には在京予定。あとは長岡です。
平日の昼間に都合のつく方、会いましょう!
公園か美術館(子は美術館ではとても静かです)かお散歩かお買い物
もしくはお宅にお邪魔させてくださる方を大募集します。
カフェやレストランで長時間まったり、というのは
タイミングよく子が昼寝しない限りむつかしいかもしれません。
みなさまよろしくですー。
posted by YUKINO MATOI at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シンデレラ

立続けに2足、子の靴の片方をなくしました。
1足は夫方の、もう1足は私の両親からの贈り物。
いわゆるファーストシューズ。

片割れをなくした靴下はもう何足になるか。

素足でいるのが大好きな子のせいではない。
べりべりとマジックテープを開け閉めするのが大好きな子のせいではない。
ええ、この母が粗忽なせいですとも。

左右にそれぞれセンサを埋め込んで
互いがある程度以上に離れたら警告音が出るような
靴紛失防止ブザーってないのかしら。よよよ。
posted by YUKINO MATOI at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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