2010年06月16日

savior sibling

救済者兄弟。
この世界にはどんな残酷な形の希望でも存在し得る、ということ。
posted by YUKINO MATOI at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月06日

聖少女

たまさか紹介されて一日ドイツ・スイス観光ガイドを勤めさせていただくことになったご婦人が、倉橋由美子氏の幼馴染だったというレアな体験。思い出すと泣いちゃうから、と仰りつつ若い頃の思い出などいろいろ聞かせてくださった。ありがとうございました。
posted by YUKINO MATOI at 03:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月02日

お知らせ

子が、兄になります。10月には弟(おそらく)がやってきます。
なんとなく次は女の子のような気がしていたのですが全くの気のせいでした。



もうすぐお兄ちゃんになるんだよ、ということを朧げに、しかし確実に受け止めているらしい息子は、そのことを告げられてしばらくしてから「ちびちゃんもママの中にはいる」と、布団の奥深く、母のお腹のあたりにくるんと丸まって寝るようになりました。すまないねえ、君みたいな大きな子が入る場所はもうとっくにないんだよ、といいきかせつつ、とくとくと胎動の感じられるようになったお腹に長男がぺたりと頬を押し当てたまま眠ってしまう様を、掛け値なしにひたすら愛おしく思います。
posted by YUKINO MATOI at 05:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

炎上

生まれて初めて間近で火事を見ることになった。路電に乗ろうと歩いていたら建物の向こうに真っ黒な煙が見えて、停留所のある交差点まで出たら改築中の旧大学図書館の屋根が炎を上げて燃えていたのだ。音も立てずにただもくもくと。化学物質の燃える重たい匂いがして、肌寒い日だったのに道の向こうから吹いてくる風だけが暖かかい。気がつくと交差点は人であふれていた。集まった人たちはみな一様に静かで、不謹慎に面白がるでもなく、無闇に怖がるでもなく。無表情に携帯カメラをかざしたり、電話をかけたり。図書館はおそらく少数の改装スタッフの他はほぼ無人で、中から逃げ出す人の姿もなく、交差点に集まった人たち(それも人混みと呼べるほどではなかった)と黒煙を上げ続ける図書館の最上階の他はまるで普段と変わらない、淡々とした光景。不思議だった。驚いた。30分後に路電から遠く眺めた時にはもう火は消えていて、下から見える部分にほとんど被害はなくて、交通規制の柵と数台の消防車がなければ何が起こったか全く気づかない人もいただろう、あっという間の白昼夢のような出来事だった。



子どもが一緒だったのだけれど、大好きなはしご車やポンプ車が大活躍している現場なんて実際に見ないで済むのならそれに越したことはないのだと思った。だいいち現場は危ないしな。



ところで妊婦が火事見ちゃうと痣のある子どもが生まれるんだっけ?「身籠ってる人がのこのこ火事見物なんか行っちゃダメよ」という戒めを込めた迷信であると思いたい。えーん。見たくて見に行ったんじゃないもーん。
posted by YUKINO MATOI at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月25日

「鋼のおチビさん」

近所の公園でたまにある撮影会。すっごい上背のある女子が『鋼の錬金術師』のエドのコスプレしてた。だめじゃん。
posted by YUKINO MATOI at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

とつくににて、つまり

この国の住人ではあるけれどこの国の人間ではなく
永住するほどの覚悟もないくせに生まれ育った国への一歩が踏み出せず
気楽だけれどどちらにもしっかりと足のついていないような
そんな感じがそろそろ嫌なんだよな、多分。
posted by YUKINO MATOI at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

とつくににて

ミナ・ペルホネンの長江青さんの日記を読んで衝撃を受ける。衝撃とは穏やかではないが、自分では起きているつもりで実は居眠りをしていて、はっと目が覚めたことに気づいて、全身がびくりと震えるような感触。存在は知覚していながらつぶさに検分することを避けていた違和感の正体に、否応無く目を開かされる。

たぶん昨夏の一時帰国あたりからであったろうと思う。

日本とドイツの逆転。

日本にいるときの気分は疑うべくもなく故郷にいるときのそれでありながら、同時に外国で見慣れないものと接した時の高揚感と限りなく同質のものである。

そして、初めてドイツにきたときの何もかもに対する目新しさは、日に灼けて壁紙が色褪せるように少しずつ少しずつ日常に埋もれてゆく。当たり前の風景になる。元の色がどんなだったか、思い出せないほどに馴染んで、いちいち気持ちが昂ったりなどしなくなる。

長岡に18年、東京に4年と少し、そのあとはずっとフライブルクなのだものな。地元の次に長く住んでいる街。

ああ、そうだ。
わたし、ドイツに来て最初の一年は、牛乳パックや小麦粉やお砂糖の当たり前の紙パックすら全部かわいく思えて、わざわざいろいろなスーパーを回っては何種類も何種類も買い集めて、それをいちいち写真に撮ったりしてた。
郊外のショッピングモールで、子どもが4人は乗れそうな巨大なショッピングカートを押して、カートンが詰まれた高い高い棚の間を行ったり来たりするだけで本当に楽しかったのだ。

今では日本に帰れば書店に行ったり洋服や小物を見て歩いたりするのと同じくらい、日本のスーパーマーケットが楽しい。普段目にすることのない野菜やお豆腐や魚やお菓子のずらりと並ぶ棚が、楽しくて楽しくて仕方ないのだ。

いいとか悪いとかではない、それは何かとても不自然なことのような気がするのだ。

6年前のような写真は二度と撮れない。少なくとも、今のままでは。
新しいものを見出そうとする努力なしに、ただただ目に飛び込んでくるものに次から次へシャッターを切っていた頃のような。

長江さんの写真は、6年前だったら「かわいい!」と叫んで駆け寄れたのに、今では見過ごしてしまうような、懐かしい既視感をまとったものたちであふれていた。
posted by YUKINO MATOI at 04:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月31日

夫婦喧嘩と映画の話

ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル 『ハートロッカー』評 (mp3)

それを聴いた町山智浩氏が「それ基本的に間違いだよ」ってTwitterでつぶやいたことから始まった翌週のウィークエンドシャッフル

聴いていてこれほど身につまされたポッドキャストは未だかつてなかったかもしれない。何がつまされたって、「一度口に出して、最後まで言い終えてしまったちょっと前のこと」をネタにケンカすることのもどかしさと限りない不毛さ、である。うちの夫婦喧嘩の引き金は9割方このパターンです。
「僕そういう言い方はしてないです」「僕そんなつもりで言ったんじゃないです」「そういう意味で言ったんじゃないです」「いや、あの、だからそれは」の連続、聞き覚えありまくり。問題のポッドキャストは当然残っているとはいえ、いちいちそれを引用して再放送して確認するわけにはいかないものねえ。まして普通に私の場で言ったことなんていちいち記録が残っているわけもない。「なんであのとき○○だなんて言ったのよ!」「言ってないよ!つか言ったかもしれないけどそういう意味で言ってないよ!」「だってそういう風に聞こえたんだもん!」永遠に共有できない、お互いの記憶の中の印象だけを参照してくりひろげられる喧嘩、そりゃあ不毛なわけである。そして先に出した手を確認も訂正もさせてもらえない宇多丸さんのほうがどう考えても分が悪い。なにしろちょっと前のことなので、後攻には放たれた言葉に対し攻撃材料を揃えて作戦を練り上げてしっかり充電してから打ってでる時間が充分にある。だいたい町山さん、「一番問題なのはね」って一番の問題が5個くらいあった気がするよ?いったん出たからには言いたいことは全部どかんとぶちまけてから帰るぜこのやろう的なスタンスは好きですけれども。



『ハートロッカー』観てないので両評論の是非にはなんとも触れ難いですが、観た人一人一人の職業観を強烈に問いかけるエンディングであるのだろうなと思いました。
困難な状況下にあって己の職責を全うしようとする人の話、ということで『ホテル・ルワンダ』を思い出しましたが、ドン・チードルの演じた主人公のホテルオーナー、映画では穏やかで優しげな風貌の方でしたが、実際のオーナーさんは実はかなり強面で見るからにタフな方。でもこれでデンゼル・ワシントンなんかキャスティングしていたらあの映画、きっと台無しでした。無敵の英雄を描いたのではなく、人並みに臆病で小心で、度胸も腕っ節も傑出しているとはいえないごく普通の人が、暴力に晒された家族や隣人やお客様を、ホテルマンとして出来る最大限の努力の中、本当にぎりぎりのところで毅然と守ろうとする姿が人としてこの上なく美しかったから、あの映画は素晴らしいのです。町山さんの「事実と真実は違うんだよ」という言葉がここでも思い出されます。
posted by YUKINO MATOI at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月25日

息子が2歳になった日に思う

苦しい。苦しい。苦しい。苦しいよ。苦しいなあ。あああああああ。

臆面もなく身内を褒めるようだけれど、子どもを持ちたいと思った段階で私が憧れたのは他ならぬ私の母だった。父親が育児にノータッチであることがまだ全く珍しくなかった時代に3人の子どもを産み育て、その傍らで自己研鑽を怠らず、順調にキャリアを積み、一家の稼ぎ頭として子どもをみな(ほぼ)希望通りの進路へ進ませた。母が公務員で、それゆえ各種手当の厚かったこと、車ですぐの距離に母の実家も父の実家もあって、祖父母が全員健在で叔母もいて、母が働く間に子どもの世話を焼く手が充分にあったことを差し引いても、母は娘として最大限に尊敬し得る「はたらくお母さん」であった、と思うのだ。

子どもを3人以上産み育てていて、産休手当も実家の助けも夫の育休もなく、にもかかわらずフリーランスでクリエイターとしてキャリアを築いている女神のような人がいたら今すぐ飛んで行って話を聞きたい。

私は母のような母になれるのだろうか。
posted by YUKINO MATOI at 05:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月17日

ヒューマン・ビヘイヴュア

今回の都規制案で何に一番腹が立っているのかというと「よからぬものをなるべく目に入れないようにしておけば、子どもはよからぬことなど思いつかないに違いない」という浅薄で乱暴な発想に腹が立っているのである。町山智浩さんの「アメリカ映画特電 第72回『ダークナイト』はなぜ素晴らしいか」を聴くべし。

昨年の5月から始まっている架空創作表現規制禁止の法制化を求める署名。昨日から今日までで一気に1万人ほどの署名が集まっている模様で、頼もしい。期限は今年の5月なので今週末には間に合わないが、継続審議になる可能性も高くなってきたことを考慮しつつ。
posted by YUKINO MATOI at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月16日

東京都青少年健全育成条例に反対します

たけくまメモ 都条例「非実在青少年」規制問題について

一児の母として「子どもをレイプする奴なんてこの世から消えてしまえ」とは思っても「子どもをレイプするマンガ描いてる奴なんてこの世から消えてしまえ」とは死んでも思わない。これまで思ったことはないしこれからも思わないであろう。

人の心の中にはどんな理由があれ何人たりとも侵してはならない領域がある。ちいさな子どもとあんなことやこんなことしたいなあ、と思う気持ちは万が一だだ漏れてしまったときの「何考えてんだこの鬼畜」という非難轟々の覚悟こそ必要だが、どこにも漏らさず誰も巻き込まずひっそり胸にしまって実行に移す気がないのならその欲情の主をその欲情のゆえに罪に問うことなど天地が裂けてもやってはならない。ましてやその欲情を題材に表現活動を行う人間を罪に問うことなどできようか。

同じ「子どもを守る」という視点に立つ(今回の条例が実際に子どもを守れるかというとほぼ全く実効力は期待できないと思います、が)なら子どもの虐待を例に挙げてみればいい。育児疲れが溜まりに溜まってつい子どもに八つ当たり、その延長として我が子をぼこぼこに殴ったりしてしまう自分を一瞬でも想像したことのあるお母さん、決して少数ではないはず。その「子どもに暴力をふるいたい」という衝動だけで母親が罪に問われるとしたら怖くて怖くて誰も子どもなんか産めやしないだろう。子どもはかわいい、子どもは大切という気持ちだけではどうしようもない底無しの闇を時として抱えてしまうのが人間なのであって、人間がそういう生き物であるからこそ、これまでも児童虐待の描写を含んだ作品が(どのような目的のもとであれ)これまで描き続けられてきたのだし、これからもそうだと思う。子どもに対する性的な描写を含む作品だって同じことだ。

ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』を見よ。サトゥルヌスの恐れと狂気に満ちた生々しく哀しい姿を見よ。我が子を喰らってまで己の生に執着してしまった人間という存在の闇の深さを見よ。今回の非実在青少年に対する規制は「幼い子どもを頭から食べるという残酷性を助長しかねない」という理由でゴヤとゴヤの絵を愛する人間を罪に問うがごとき愚行である。

子どもに対する性的描写や暴力シーンを含む作品が一生うちのちびすけの目に触れない世の中よりも、将来マンガ家や作家になるかもしれないちびすけが、彼の選ぶどのような題材であってもそれを真摯に描くことができて、その表現を誰にも妨げられない世の中のほうを私は心から望みます。それと同じくらいに、子どもが心ない大人によって取り返しのつかない傷を負うことのない世の中をも望むわけですが、それと今回の規制とは全く別の次元の話。



と気炎を上げても現時点で東京都民ではなく今から書面で陳情するにしても時間が限られているので(リミットまであと約100時間)誰か署名サイトとかご存知の方いましたら教えてくださいまし。



流通する過程での購入者・閲覧者に対する年齢規制、広告・販売に関する規制は必要だと思います。児童ポルノよりも電車の卑猥な中吊り広告とかコンビニの雑誌コーナーのほうが子連れで外出するときにはよっぽど不愉快だよ。

そういえば地元の図書館は同じマンガだからというだけのきわめて大雑把なくくりで『サザエさん』や『ガラスの仮面』と同じコーナーに手塚治虫をほぼ全部並べていて、おかげで私は誰にも止められずに『アドルフに告ぐ』も『奇子』も読むことが出来たんだけど、あの配置はいかがなものか。今は変わったのかなあ。一応小学校高学年にならないと届かないくらい高い棚には並べてあったが。
posted by YUKINO MATOI at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月14日

言葉は「踊りの身体」には属さない

ダンサーの友達と、久しぶりに夜の劇場に足を運ぶ。公演自体は不完全燃焼だったけど「友達と土曜の夜遅くにおでかけする」という行為自体は超満喫。楽しかったー。



私にダンスという世界を初めてみせてくれた人は「踊りは説明しちゃダメ。説明したい人は演劇に行きなさい」と言った。以降私はダンスとは体一つで勝負するものだと信じているし、ダンサーが自分の身体と向き合ってる感じがしない舞台は実際つまらない。私がLa La La Human Stepsを愛して止まないのは、爪先の一点で立つ彼らが極限まで肉体を酷使して駆け抜ける姿に美しさの一つの極地を見るから。

でも最近はダンスシアターなるものが隆盛で言葉による演出、舞台の進行がとても多いのだそう。体の一部分として、例えば指先や足腰がしなうように言葉が舞ってみせるような舞台ならば見てみたいけれど、声が言葉として意味を持ち説明を始めた瞬間、私にとって、それはもうダンス作品ではない。昨冬にベルリンで観たシルヴィ・ギエム"EONNAGATA"に感じた最大の違和感はそれで、私はギエムが踊るのを観に来たのであって語るのを聴きに来たのではない。むろんダンス・パートは震えが止まらなくなるほど圧倒的で、終盤など生涯網膜に焼きついて離れないほどの哀しい美しさに満ち満ちていたのだけれども。

昨晩の公演、いくつかすごく面白いと思える演出もあって、その一つがステージ中央のスタンドマイクに向ってダンサーの一人が囁き続け、次第にそれが反響し反復されて舞台を満たしてゆくというもの。気づくとダンサーはそっと口を閉じマイクから離れているのだけれど、マイクを通した現在進行形の声と、一旦機械に回収されて再生されてそこここに響き渡っている声が全く同質なので、観客はしばし、彼女が喋るのを止めてしまったことに気づかない。抜け殻だけがいつまでも残像のように、不在の主の代理をつとめる。



言葉について考えるうち、無性に、母国語の国に帰りたくなった。
6年目の滞独で今が一番心身がよれよれになっているよう。
posted by YUKINO MATOI at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月05日

もうすぐ2歳

ぼろぼろと泣いて、不安で潰れそうになって、吐きそうになって目を回して、うろたえて、座り込んで、ぼんやりして、その後で夕食を作って少し縫い物をして、ようやく母業に戻れるようになるまでの午後を、ずっと一人で遊んでいて、戻った私に「ママ」と頬を暖かい両手で挟んで優しいチュウを5回もしてくれる息子を持った母は果報者です。
posted by YUKINO MATOI at 02:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月02日

あああもううううう

今年の冬は本当に半月と続けて体調の良かったためしがない。
先週も何度目か忘れるほどの咳から始まり、次いで鼻水が止まらなくなり
今は頭痛に目眩に悪寒にのぼせに耳鳴りに発熱に嘔吐である。
体調不良の見本市みたい。
なんかもう1年くらいイビサ島にでも引っ越して寝て暮らしたい気分。

は!銀座の薬局で売ってるスッポンスープが食べたい!
と決してドイツでは手に入らないものを心の中で乞うてみる。
posted by YUKINO MATOI at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月24日

あじわう

知り合って間もない頃に気づいたことだが、キティと私とでは「美味しく頂く」の作法がまるで異なる。
私は美味しければ美味しいほど早く食べたい。猫舌なので限界はあるにせよ、熱々のものが冷めたり揚げ物がしんなりしたりするのは許せない。食べ物を残すのも大嫌い。
一方キティは美味しければ美味しいほど時間をかける。お酒と一緒に美味しい料理をちびちびと味わううちに腹が膨れてしまって結局残す、ということは決して少なくない。引き出しやカバンの中にはいつでも1つか2つ食べ残したままのガムやアメが入っている。
付き合い始めて初めて作った料理はエビチリだったが、いつまでも皿に残ったままひからびてゆくチリソースに悲しい思いをしたことは今でも忘れないし、夫は夫であれだけ恋焦がれてパリで購入したラデュレのマカロンを私が瞬く間に平らげてしまったのが理解し難かったらしい。「もっと味わって大事に食べなよ!」「味わってるし大事に食べてるよ!」私にしてみれば勿体振ってけちけち食べているうちにマカロンが粉々に割れたり時化たりするほうが度し難いのだ。



頂き物の煎り菓子の封を切ったまましばらく経つ。私と子は自分の取り分は食べたので手はつけない。というか、お客様のあったときにちょっと手をつけたら「減ってるー!」と言われたのでそれ以上は。しかし、もうとっくに風味は飛んでいると思うのよねー。あああうううう。気になるなあ。やきもき。
posted by YUKINO MATOI at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

鉄の道を往く親子

息子を鉄道模型展に連れて行ったら、想像を遥かに超えて連れてきたことを悔やむほどの興奮ぶりだった。細部にこだわり世界を構築し、鉄道模型に情熱を注ぐ人の気持ちが私もわかる気がした。
というか使われている素材や技法など、門前の小僧ではないが全く見知らぬものではない。材料費と時間と手間を費やせば出来るのではないか、と思ったら猛烈に作りたくなってきた。
20世紀初頭の駅前を再現したジオラマが大変素晴らしく、これを見て思いついたのはデルヴォーの「森の中の駅」とか「夜の汽車」を3次元で作りたい!ということ。あと線路沿いの家の中に鉄道模型で遊んでいる子がいる、というドールハウスの中にドールハウス的な作品もやってみたいなあ。

黒と赤と金のカラーリングって素敵よね!
posted by YUKINO MATOI at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

夕陽を追いかけて

午後を西へ西へと飛ぶ空はいつまでも茜色が消えず
地平線以外に遮るもののない日の光が真っ直ぐに気高い。
凍りついたツンドラの上を
こぼれて飛び散ったミルクのような無数の湖の上を
白くはりつめた流氷の上を、西へ。

モスクワの近くから海に出るまで
ずっと平行して飛んでいた一機の、毛糸のような航跡。
あるいは宙に張られたひとすじの薄く白い膜のような道。
誰かが通過した痕跡をさらに高みから見下ろすときの
気の遠くなるような視界のひろがり。

この眺めを観るためだけにでも長距離路線を飛ぶ価値はあると思う。

雲海。成層圏。境界面。
高く、広く、遠く。



帰路の機内で見た『ベジャール:そしてバレエは続く』が素晴らしかった。機内映画で泣いたのって初めてかもしれないな。
posted by YUKINO MATOI at 02:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月30日

今回の心残り

東京国立博物館『長谷川等伯』
ポスターを見るたび悔しい。どんなに混んでいてもいいから一目見たいのに。

印刷博物館『華やかな古活字版の世界』『世界のブックデザイン2008-09』
もたもたしていたら終わってしまった。

ワタリウム美術館『ルイス・バラガン邸をたずねる』
行くならみつばちトートのスタジオが開いている週末に行こうと思って
行きそびれたまま会期終了。ピンクのダイニングルーム、見たかったな。

埼玉県立美術館『小村雪岱とその時代展』
http://www.momas.jp/3.htm
これがいちばん悔やまれる。完全に見落としていた。
泉鏡花の装丁本。50版刷りの超絶技巧木版画。歯ぎしり。



そして来月に出る川本真琴の9年ぶり3枚目のアルバムがひどい。
なにがひどいって、HMVとタワレコとディスクユニオンと
全部予約購入特典が違って、それぞれ別々の未公開音源がついてくるんだって!
追ってシングルコンプリートアルバムも出るので
4枚とも買って死ねば?って言われている気分です。
posted by YUKINO MATOI at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月23日

おわかれ

例年にないほどに雪深く夜静かな長岡。
実家に戻り母親から渡された年賀状に混じって
一葉のハガキが、恩師の物故を知らせる。

歯を食いしばって泣いた。
また会えると手前勝手に信じていた。
大学に入りたての頃に写真を撮る楽しさを教わって以来
卒業制作の指導と主査までお世話になりっぱなしだった。
急に決まった結婚を心から祝い、乾杯の音頭を取ってくださった。

どんな形であっても撮り続けなさい。
世界を大股で歩いてゆきなさい。

昨日のことのように思い出す。死ぬまで忘れまい。

白髪と口髭が優しく、酔うとすぐ赤くなる丸い頬が
ジャムおじさんにそっくりだった。
写真を愛し、写真を愛する教え子らを心から愛した
あたたかい、あたたかいひとだった。

せんせい。せんせい。

もういちど、会いたかったよ。ああ。



ありがとうございました。
せんせい、いつか、またどこかでお会いしましょう。
posted by YUKINO MATOI at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月19日

堺雅人とニアミスしていた件

初めて森美術館に行き『医学と芸術』展鑑賞。
ミュージアムショップまでしっかり楽しんで
子とキティとキティの妹と沈む夕日を見ながらジュースを飲んで
さて子ども服見ておむつ替えて帰るかね、と思っていたら
地下にある親子休憩室がなにやら警備員の人に遮られて使えない。
何のイベントか知らんけど休憩室ふさがないでよねーと
ぶつぶつ言いながら駅に向かいましたが

堺雅人主演『ゴールデンスランバー』のプレミアイベントだったそうで。

ぐるぐるに張り巡らされた幕の向こうに、いらっしゃったんですね。








うあああああああああああああああ
posted by YUKINO MATOI at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。