2014年11月02日

旅路のあとで

やりたいことを諦めずに努力を怠らないことと

高望みをせず足るを知り分をわきまえることは

両立するのかしらね

不満とはつまり、よりよくあろうとするための渇望ではないのか

これではだめだと
このままではだめだと
もっとよくなりたいと
このままここにいるのはいやだと

疲れた足でまだ背伸びをしたがる私と
座って心静かに休みたがる私

理想を諦めきれずにこだわり続けて卑屈になる私と
早々に理想を下方修正して穏やかな折り合いの付け方を探す私

せめて閉じず、固まらずに
もう少し笑っていたい
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2014年06月17日

ディケイド

10年の間に書き連ねたものを少し読み返してみました。

10年前の私が見たら、あっけにとられるような場所に今、私は立っています。
子どもを2人授かり、母になりました。
10年前よりも確実に、健康体になりました。
思えば、独り身だったとき、夫と2人だけだったときは
どれだけ自分の体を省みていなかったことか。
1週間、食事がふりかけご飯だけになっても良いからこの本を買いたい。
2時間しか寝られなくても良いから、どうしても今夜中にこれを縫い上げたい。
それが当たり前でした。
頭が痛い。貧血。胃が痛い。めまいがする。熱が出た。云々。
不摂生をしていれば当たり前です。

暮らしの優先順位が、確実に変わりました。
子どもたちとともに9時に床につき、5時に目を覚まします。
食卓を整え、汚れたものを洗い、部屋を掃除し、子どもたちの宿題を見ることが
本を読むより、仕事を仕上げるより先になりました。
ものを作る仕事は相変わらず続けていますが
並行して、ドイツに来た頃には想像もしなかった仕事を始めました。
意外と性分にあっていて、ものをつくるのと同じくらい、長く続けていけそうです。

心を揺さぶるものを求めて、いろいろなものに心を揺さぶられすぎて、ぐらぐらになって、
すきーなひとやものがおおすぎてー、みはーなされてしまいそうだー♪(椎名林檎「月に負け犬」)
だった頃に比べると、とにかくあらゆるものを吸い込みたい、網膜に焼きつけたいという渇望が
比べものにならないほど減りました。
あの頃、焦がれてやまなかったもののいくつかが、知らずそっと心を離れてゆきました。
あれも、これも!とひたすら求めていたものが減ったかわり、
求めずして偶然出会えたものが与えてくれる、深い驚きと輝きとに感謝することが増えました。

可愛がってくれた夫の祖母が逝き、他にも幾人も、大切な人を亡くしました。
幸いに両親も祖父母たちも健在ですが、彼らの老いを、そしてやがて来る死を、
意識せざるを得なくなりました。

しかしまあ、白寿までを僅かに残して逝った夫の祖母に比べれば
20代前半からここまでの10年間など、
ようやく前奏曲が終わった程度のものなのでしょう。
40代の自分から見れば、これからの10年間も、
やはり歯がゆく、情けなく、みっともなく、そして限りなく懐かしく映るのでしょう。

今日も生きます。
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2012年10月31日

長い覚書

2週間くらいtwitterが使えなくなっていて
書きたいことがだいぶ溜まってきたので
ひとまずここで覚書としてリリースします。
のちほど短く書き改めてtwitterで再リリースするかどうかはそのとき考えようかと。

なんでtwitter使えないかというと
夫と共用で我が家のメイン機にしていた
PCのバッテリーとケーブルが逝ってしまい
(バッテリーは経年劣化、ケーブルはぐんぐん引っ張って
 蔓のようにして遊んでたおさるさんたちがいましたから)
メーカーに問い合わせたら香港だか台湾だか
まあ遠方の生産元からの取り寄せになるということで
少々時間をくっています。
それでも修理代として納得できる範囲の額で
(安くはないけど、じゃあ新しいノートPC買えるじゃん、
 という額には幸運にして遠く及ばなかった)
復旧できそうなので、そこに関しては助かりました。

で我が家でネットに接続できるのが
夫のiPod Touchとタブレット、そして今この文章を打って些かの衰えを見せることもない御年8歳半のiBook G4くんだけになったという次第。寄る年波には勝てず、G4くんはもうhotmailもtwitterもできなくなりましたが、我が家の家計簿管理と音声データ管理、そしてSeesaaブログへの書き込みに関しては全然現役でいけるようで、タッチスクリーンとすこぶる相性の悪い私にそっと寄り添ってくれるようです。

我が家では2年か3年おきにものが次々壊れるという現象が起きていて、
次男がお腹にいた2年前にもやはりPCが壊れ、プリンタが壊れ、掃除機が壊れ、デジカメが壊れ、携帯が壊れ、痛い出費を迫られつつも「これは何かの厄を代わって引き受けてくれたに違いない」と自分たちに言い聞かせることで納得していました。清貧所帯の我々、新品ではなく引っ越す知人や中古ショップからリーズナブルに手に入れてきたものも多かったので、まあ元々寿命と言えばそうだったのでしょうし。
で、再びその現象が襲来しており、またしてもPC、プリンタ、ドライヤー2台、とそれぞれに修理や買い換えを迫られています。私としてはこの買い換えの波にどうかG4くんがさらわれませんようにと願うばかりです。

前書きが長くなりましたが。
以下いくつか脈絡なく書き置いてみます。



フライブルクのとある市立保育園で、保育士による児童への性的虐待が明るみに出ました。頼もしく思ったのは長男の通う保育園で、事件が新聞に載るよりも早く現場の先生方から説明があったこと、実効性のある対策と、万が一同様の事件が息子の通う園で発生したときの誠意ある対応とが約束してもらえたこと。これはちょうど保護者会の開催と事件発覚とが重なったせいもあるでしょう。そして後日、新聞に掲載されたのは「この事件は決して特殊なケースではなく、どこの園でも起こり得る、あるいは既に起こってしまっている可能性のあるケースである。これ以上傷つく子どもを増やす前に根本的な捜査と対策を行ない、既に起こっている事件を洗いだし、これから起こり得る被害を未然に防ぐ」という市と警察との断固たる姿勢でした。

無論、そうした姿勢を示すことなしには決して親も一般市民も納得しないからこそ出された声明ではあるのですが。
たまたまそれと前後して、スウェーデンとの一戦で屈辱的な味噌をつけたサッカードイツ代表のコーチ陣の一人が「我々に今必要なのは傷口に指を突っ込むことだ」と発言したのを読んでいたので、その「傷口に指を突っ込む」という表現の猛々しさと揺るぎなさに、同じものを感じたのです。揉み消すとか、隠蔽するとか、なかったことにして見過ごすとか、嵐が通り過ぎるのを待つとか、そういう消極的な対応からもっとも隔たった態度に打たれたのです。



昨日、次男が無事満2歳を迎えました。

長男はつらい。並んでいると次男の幼さが目立つ分、ならば長男にはこれくらい出来て欲しい、これくらいのことは次男にはできなくとも長男にはできるだろう、なに2歳児と同レベルでヘラヘラしてんのよ!と叱られるから。本当は長男だってまだまだちびさんで、この世の中の新人さんなのに。

次男はつらい。いつだって長男に追いつこうと必死で、みそっかすを卒業しようと背伸びして、その甲斐あって端から見れば目覚ましいスピードで大きくなっているのに、長男を物差しにして見ている限り2歳半分の差は絶対に埋まらないから、彼なりの努力、彼なりの自己主張は、いつまで経っても「足りないもの」に見えてしまう。出来ることがこんなにもあることを褒めるべきで、出来ないことを責めるにはあまりにも幼すぎるのに。



余裕がない、時間がない、体力がない、気力がないと無い無い尽くしで愚痴をこぼすよりは、嘘でもいいから、私、旦那が出張で月の半分は家にいないようなシングルマザー生活でも、もーぜんっぜんちゃんとやれてますから!大丈夫ですから!明るく前向きに母業して仕事もして、ついでに部屋の模様替えまでできちゃいますから!って言ってみたら、言霊的な作用かなんかで、ある程度まではなんとかならないかしらん、とふと思って実行してみようとしたけれど、2時間で挫折しました。

秋は繁忙期。すっかり父親の不在に慣れてしまった子どもたちはもとより、私ですらたまに夫と朝食を取っていると「……この人ってなんで家にいるんだっけ?」という錯覚に陥りかねないほど、夫が家を空けることが日常化している今日この頃です。



子育てのつらさの主なものを挙げるなら、私にとってそれは「自分自身の行動が制限されるつらさ」と「終わりの見えない努力をしなくてはならないつらさ」の2つで。特に後者。どれほどの手間と根気が必要なのか検討もつかないまま、同じことをひたすらひたすら、声を荒げず、穏やかに平静に繰り返せるはずもなく、時には何もかもを放棄したい気分になることも決して珍しくありません。というかどちらかというとそちらの投げやりな気分の方が常態化しかねない勢い。息子だから、我が子だから、責任があるから、可愛いからとどうにか一緒に暮らしていますが、これが恋人だったら確実に別れています。つきあいきれんよ、もう。

でもね、昨日一つ気づいたことがあるんです。
誰からもおしゃべりが上手で、口の聞き方が大人っぽくて、物知りで、と褒められる長男だけど、ああこいつの頭の中に入っているものって、正確にはまだ「知識」でも「経験」でも「概念」でも、まだその超初期段階の種みたいなものなんだ、と。

だって、トイレで用足して「手はちゃんとあらったよー」ってわざわざ言いながら、手は洗わずにすたすた出てきたんですよ(ドア全開で用を足すので全部丸見え)。

へたりこみそうになるのと同時に(そして『洗ってないでしょうが』と長男を連れ戻しながら)思い出したんです。何歳頃だったか、数を覚え始めたそのごくごく最初期に「いちにさんしごろくしちはちきゅうじゅう」と日本語でもドイツ語でも1から20あたりまで言えるようになった長男が、「じゃあ5のつぎは?」と聞かれても全く答えられなかったこと。林檎がそこに4つあっても、それを「4」だとは認識できていなかったこと。彼が最初の「数」としてとらえたものは「いちにさんしごろくしちはちきゅうじゅう」という音の連なりで、そこには順番だとか数量だとかいう概念は含まれていなかった。物の数量を数えられるようになって、自分が口にのぼせる言葉としての「さん」と、3つあるものとが正確にリンクするまでにはもう少し時間がかかりました。

ああ、そうか。「手をちゃんと洗う」という文章、あるいはトイレの後は手を洗うべきだという感覚と、自分の実際の感覚とが、まだちゃんとリンクしていないのか。この人は。
「食事のときは肘をつかないで」という言葉と、肘をつかずに食事するという行為とが。
「お店の中では走らないで」という言葉と、走らないで大人の側について歩く行為とが。
「ちょっと待ってて」という言葉と、じっと静かに待って何もせずにいられるという行為とが。

それで具体的な問題がちょっと解決するわけではないので、相変わらず口を酸っぱくして同じことを繰り返し繰り返しガミガミと叱っていくのは変わらないのですが、「言っても言ってもこいつ全然通じてねーし学んでねーし」と思うのではなく「通じてはいる(おそらく)、学んでいないわけではない(きっと)、ただその実際の行動がまだ身体化されて習得されていないだけなのだ」と思うことで、少しだけ気が軽くなったのでした。

しかし、いわゆる頭でっかちというのとも違うのだろうけど、うちの兄弟のように口から先に生まれてきたような人たちは、口にしていることと実際に行動として表に出てくること、言っていることと考えていること、獲得した言葉とその言葉の持つ本質的な意味、との隔たりは一層大きく感じられるのではあるまいか。まあそんなの大人になったらちゃんと100%シンクロするのかっていったら全然そんなことないっていうかむしろその真逆なんですけどね。
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2012年09月12日

東野圭吾『聖女の救済』

東野圭吾で1冊ベストを挙げるなら『悪意』だとずっと思っている。
タイトルに掲げられた、人の「悪意」というもの。
人が人を憎む気持ちのどうしようもなさ。
名状しようのない曖昧な理由で、ごくごく些細なきっかけで、
人は人を簡単に憎むことができる。殺したいと思うほどに。

どれだけ憎んでも憎みきれない、呪い殺したいとさえ思う感情に
ほんのちっぽけな出来事で光が刺すこともあれば
どんなに暖かい場所へ手招きされても、どれほどの幸福に包まれていても
心の一点に凍りついた真っ黒な塊を抱き続けることもできる。

憎しみを別の形に昇華させるのにはエネルギーが要る。
赦すにせよ、忘れるにせよ、諦めるにせよ。
そして世の中には、その憎しみをそのままの形で凝らせ続けることに
寸分のぶれもなくエネルギーを注げる人間もいるのだ、間違いなく。

『聖女の救済』は、人の底知れない気持ち悪さと
その底知れなさが自分とは決して無縁ではないこととを
まざまざと思い出させてくれる『悪意』以来の1本だった。
綾音のようには生きられないし生きたいとは思わないが、
封をしてそ知らぬ顔で墓場まで持っていかねばならぬものの一つや二つは
誰にでもあるものだろう。
そこに刻まれたものを風化させることも癒すことも叶わずに
ただただ触れぬように、見えぬように、厳重にほどこしたつもりの封印。
その封を、他人に、開けられぬまでも、そっと撫でられた。
ここにフタがしてありますねえ、上手に隠してありますねえ、と耳元で囁かれた。
そんな気がしたのだった。
囁き声の主に、笑顔で返す。
ええ、うまく隠しておけるか、どうかまだわかりませんけど。
このまま後生大事にそうっと抱えて持っていくつもりですから、と。

posted by YUKINO MATOI at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月21日

一人歩く

ドイツに戻ってきています。



高校時代の友人に、本帰国を決意した旨を伝えると
それならこの夏休み中に一度遊びに行きたいとのこと。
私たちが帰省から帰る日程と彼女の休みがうまく重なったので
同じ飛行機で成田からフランクフルトに降り立ちました。

高校2年生の1年間だけ同じクラスだった彼女とは
実はその間一緒になにかをしたり、特別仲が良かったりしたわけではなくて
数人の共通の友人のほかには共有できる思い出らしきものも殆どなくて
どうして高校卒業後に連絡を取り合うようになったのかもよく覚えていないくらい。
それなのにこうして遠路はるばる訪ねてきてくれて
呆れるほど話題が尽きず、昼も夜も気兼ねなく一緒にいられるのを本当に不思議に思った。

彼女との会話で、大切なことから些細なことまで、
具体的な出来事から言葉にならないぼんやりとした雰囲気まで、
忘れていたことをたくさん、たくさん思い出した。

再び機上の人となる彼女を見送っての、子どもを夫に預けた往復4時間の電車の旅。
ああ、私はかつてこうやって一人で出かけていたのだ、ということが、まじまじと蘇る。
用は済んだのに、なんとはなしに道草をしてうろついた夕暮れの街。
自分の足の赴くままに見知らぬ街を歩いた日。
一人で見上げた空。誰も写っていない写真。

彼女と過ごせたことで
自分がかつて立っていた場所を
自分が今立っている場所へ繋がる道を
私はとても鮮やかな景色として焼き付けることができた。
思えば私が初めてドイツの地を踏んだのも、暑い暑い8月のことでした。

ただただ彼女に感謝しています。
9年前と同じ、暑い暑い8月に
彼女とともに、あるいは一人で、この場所に立てたことに感謝しています。
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2012年07月25日

帰路

日本に帰ってきています。
東京の家を引き払って一度実家に戻り、
そこからスーツケース1つと段ボール1つでドイツに向かった夏から
今年で8年が経とうとしています。

幸せだった。夢のように幸せな8年間だったと思います。
愛する者と愛する物に囲まれた暮らし。
そしてその日々は今も続いています。
フランクフルトからフライブルクへと向かう車窓の景色。
どれだけ眺めていても飽きることのない、心がほどけてゆく風景。
その風景の中に身を置いて夫と子どもたちと暮らし、
自分の仕事を続けてこられたことがどれほどの幸運だったか。

成田エクスプレスからの景色を見ながら、
ではこの日本の風景の中に身を置いて暮らすことは幸せなのだろうか、と考えました。
この景色の中で流れる時間はどのような色彩を帯びるのだろうか。
それは自分にとってどういう価値を持つ暮らしになるのだろうか。
この景色を愛せるように、幸せだと言えるように、私は何ができるだろうか。
今のある幸せの形を変えてまで新たな場所で始まる暮らしは幸せなんだろうか。
ってか幸せな暮らしってなんですか?何があれば幸せですか?
灰色の街と街が途切れ目なく連なる首都圏の風景ではなく
むせかえるような緑の郷里の風景を見ながら考えてみようと思いましたが
あいにくそこは2階建ての1階席で、道中ほとんど防音壁しか見えませんでした。

ドイツでの日々は、一方で、いろいろなものを棚上げにしてきた日々でした。
日本に戻ってくるたび、そのことに改めて気づかされます。
「今はドイツでがんばる」
「でも、いつかは日本に帰る」
という立ち位置のまま
日本にもドイツにも本当の意味では根を下ろさないままで
自分たちの選び取った暮らしに没頭することを許された日々でした。

幸せで楽しい暮らし。
だけど、いつまでも続けてゆけるかどうかわからない暮らし。
1年後も2年後も5年後も同じようにここで起居して笑えているかもしれない。
でもそうでないかもしれない。
確かなようでいて、先のことは何もわからなくて。
そのことに時々どうしようもない苦しさと不安と心もとなさを覚えました。
どうにかなるよ、大丈夫だよと笑うことのできない日もありました。
ドイツに永住する覚悟も、日本へ足を踏み出すきっかけもないまま、
長く住めば住んだ分だけドイツという場所への愛着だけがますますつのり、
逆に日本がどんどん遠い国になってゆくのは、怖かった。
日本の電車の窓から見える景色と、
ドイツのそれとを比べてため息をついている自分を、
どうしたらいいのかわからなかった。

「いつか日本に戻ってきたら使う」という名目で
ずっとずっと実家に眠っている本や食器や雑貨たち。
それは、たかがもの、かもしれません。
でも、いわゆる断捨離というものは
少なくとも私にとっては自分に課した課題の取捨選択なのだと
今日、母方の祖父宅の蔵の中でほこりまみれになって、
段ボールの山と格闘しながら思いました。
この本を読みたい。この本の指し示す先へ行ってみたい。
この本を読んで、もっと考えたいことがある。
この本を読んで、もっと作ってみたいものがある。
少なくとも、これが私にはまだ必要だと思って箱に詰め封をした8年前の私は
その一つ一つを「いつかやるべきものごと」「自分には必要なものごと」として
咀嚼し、消化し、自分の骨肉と成すべき対象だと見做していたはずなのです。

(にしてもお前いったいどういう了見で買い物をしていたのかと
 当時の自分の胸ぐらをつかんで問い質したいですが。
 分量にしても購入金額にしてもほんとうに恐ろしいよ、ああ)

日本に足を向ける時期が来たのだと思います。
きっと、今度こそ、本当に。
この国で行ってみたい場所があるのです。
たどり着きたい世界があるのです。
棚上げにしていたものを一つ一つ手に取って、もう一度見てみたい。
この国で、もう一度暮らしてみたいのです。

帰ろう。初めて来たときは1人だった国。
4人になって、手を繋いで帰ろう。

posted by YUKINO MATOI at 01:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月30日

人の手

子どもを育てながら少しずつ形になっていた想いですが、子どもたちには「人が手をかけるということ」にきちんと思いを巡らせられる人、想像力を働かせられる人になってほしい、ここ何日かでそう切実に思いました。人の住まない地、広大な砂漠、切り立った岸壁、深い海の底、そんな場所でもない限り、およそ私たちの暮らす場所、日常生活の範囲内で見るもの触れるものはほぼ全て、誰かが手をかけてその形にしたものばかりです。八十八の手を経て口に入るのはなにも米だけではない。きみたちの服は、絵本は、靴は、きみたちの暮らす街は、血の通った人々の一つ一つの作業を経てここにある。それが安手のコップ1つであれ、上等のグラスであれ、みな等しく。露地栽培のオーガニックのトマトであろうと土の匂いも日の光も知らない工場育ちトマトであろうと、多くの人の手を経てきたという点では全く等価である。ものだけではない。人だって人が育てるのだもの。きみたちもきみたちの家族も友人も通りすがりの人も。きみたちの食べるパンを店で包んで売ってくれた人、パンを焼いた人、パンにする麦を育て製粉しパン工場に運んでくれた人、その全てに関わる人が人によって育まれているという気の遠くなるような広く深いつながり。

人知を越えたものに対する畏敬の念とは別に、誰かがどこかでしてくれた仕事に繭のようにくるまれて生きているのだということを心のどこかに刻みつけて生きてほしい。心からそう願っています。



というのは昨日今日思いついた話ではないのですが、たまたま最近話をした人に「服ってどうやって作るんですか?」と聞かれて、話しているとどうもそれは「パターンから自分で引いてるんですか?」「布はどこで見つけてくるんですか?」というレベルの話ではなく、その人にとっては服は服として元素のように「はじめからそこに在る」もので、シャツ一つとってみても誰かが綿花を育て収穫し糸を紡ぎ布を織り出来上がった布にデザインを描き型紙を引き裁ち縫った成果としてそこにあるものなんだ、ということをこれっぽーーーーーっちも考えたことのない人なんだなあという、なんともがっくりする会話を交わしたことで、あああああうちの子たちがこんな大人になったら嫌だなあああああと強く強く思った、というのが大きな動機です。
posted by YUKINO MATOI at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月25日

皐月の終わりに

江國香織の本数冊を読み返す。

大人になる、ということを、自分だけではいかんともしがたい現実を飲み込み、折り合いをつけて生きていく(という決意をする)こと、ないしはその現実を見据えてそれでもなおそこへ切り込んでゆこうとすること、だと定義するのならば、江國香織の物語に出てくる人たちはどこまでいっても、20代でも30代でも、結婚して子どもを産んで彼らが高校生大学生になる歳になってすら、ずっとずっと子どものままだ。いかんともしがたい現実の固まりの前に、戸惑い、途方にくれ、困惑し、もてあましている。蚊の多いどくだみの匂いの縁側でアイスをなめながら足をぶらぶらさせていた、幼い頃の長い長い夏休みの困惑をそのままに。

懐かしむ、という行為は自分が当事者ではなくなった地点からでなくてはできない。
いつまでも大人になりきれていない気がしていたのに、彼らの側から見れば、私はとっくに「向こう側の人間」たりえるほど、逞しくもずるくも分別くさくもなっていたことを思い知って本を閉じ、物置に運ぶ。

posted by YUKINO MATOI at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月17日

追記

先ほどの記事の出典です。
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/
posted by YUKINO MATOI at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を(長文)

震災の影響で卒業式を中止した立教新座高校の卒業生に向けた校長先生からのメッセージ。マイミクさんの日記で知る。一人でも多くの人に読んで頂きたく、ここに転載します。



卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためでなないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
 「今日ひとりで海を見てきたよ。」
 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。
 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司
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2011年01月28日

まなざし

私はとかく物事を難しく考えすぎ、考えなすぎる。
私を苛立たせ、困惑させ、どうしようもなく居心地悪くさせる子どもの振る舞いが
ほかの人にはたまらなく可愛くいとけなく映るということ。あるいはその逆。

私は肩の力を抜けと言われると「どうやって肩の力を抜くか」を考えすぎてガチガチになるか、さもなくば抜いてはならない力まで抜きすぎ外してはならないものまで外してしまうかのどちらかなので、例えば子どもたちを連れてカフェに入り、彼らに和やかに目を配りつつ、同行の友人との会話も弾み、他のお店や客への配慮をも忘れず、かつ、そのようにして過ごす時間がしっかり自分の「息抜き」に成り得ている笑顔のまぶしいスマートなお母さん、にはそれこそ焦がれるように憧れてやまない。だがそのスマートさ、さりげなさはたぶん、無意識のうちの振る舞いに拠るところが大きいので「いかにスマートに振舞うか」に頭を悩ませている段階で完敗である。ほんとにもてる人はもてる秘訣マニュアル本なんて絶対読みっこないのと同じ、持っていないものを手に入れようとあがく行為こそが自分の手に入れたい「それ」から最も遠いやぼったい行為である、なんてね。

要はせっかく1年ぶりに友達と会ったのに子どもらに気をとられてばかりで私、眉間に皺を寄せて強張った顔のまま、口を開けばやれ椅子に上がるなの大きな声出すなのでろくに話も弾まず、なんてことになってなかったかな今日?とっても楽しかったけど自分の振る舞いに自信がなくてなんだか疲れたのです。ああう。
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邂逅

共有できるものと共有できないもの。
離れている間にそれぞれの空間で流れたもの。
ほんの一時、交わってまた離れてゆくもの。
不思議。
長い時間同じ場所にいて同じことをして過ごしたはずの人と
微かな音沙汰さえないことになんの痛痒も感じないこともあれば
わずかな時間にわずかなものを分かちあっただけかもしれない人と
ほんのひとときでもいいから再び逢いたくて逢いたくてたまらなくなり私はキーを叩く。
言葉を探す。あなたに向けるべき言葉を。あなたと私の間に紡がれるべき言葉を。

人の魅力って何だろう。
私はなぜある人とは会いたいと思い、ある人とはそうは思えないのだろう。
あなたの前に立った私は、あなたが再び逢い見えたいと思える人でしたか。

ありがとう。今日また同じ時間をともに過ごすことの出来た大切なあなた。
あなたはとても素敵で、素敵で、素敵な人でした。



今年もまた駆け足で友達の間をめぐる季節がやってきて、今、東京です。
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2010年11月03日

40週と2日目の朝

夢を見ていた。夜遅く、つづら折りの柵のない真っ暗な急斜面で、雨に濡れた石畳が街灯をてらてらと映していた。私はブーツで、滑らないように一歩一歩おそるおそる歩かねばならず、足をぐっと踏みしめるたびに下腹に鈍い痛みが刺すのが怖かった。夢の中でも私は臨月で、夫に手を引かれながら重い体を運んでいた。



目が覚めたのは午前一時。もう寝直せないほどの痛みが定期的にやってきているのを確認し、夫を起こして後を託し、一人病院へ向かう。外は半分近く欠けているのに満月のような明るさの月で、光が窓から差しているのを見た瞬間「あ、来るんだな」と確信した。

深夜に入院になったらとりあえず私だけ行こう、夫と子には早朝まで待ってもらって、誰か子を預かってくれる人の手配がつき次第来てもらおう、という段取りになっていた。子がずっと風邪気味で夜中にちょくちょく目を覚ましていたので、咳き込んで「おみずちょうだい」と起きた時にパパもママもいないのはショックだろうと思ったし、どんなに親しくても実際に深夜に友人を呼び出して、夜泣きしたり咳き込んで吐いたりするかもしれない息子の添い寝を頼むのにはためらいがあった。前回入院から13時間かかったこともあり、6〜8時間程度で生まれてくれるのなら朝一で駆けつけてくれれば間に合うかな、という計算もあった。

入院の手続き、検査を一通り済ませて分娩室に入ったのが3時45分。ゆっくり近づいては遠のく痛みの波に合わせてだだっぴろい分娩室と廊下とを行ったり来たりする。午前5時の時点で子宮口5cm、陣痛5分間隔、5並びだしまだまだ5合目くらいであろう、という具合。ところが5時半過ぎにトイレに立った直後から急に陣痛が激しくなり、たった15分で子宮口全開、破水。あわてて夫に電話するも、つながらない。後で聞いたら出かける支度中で呼び出し音に気づかなかったのだとか。通常の分娩台から、事前に依頼してあった水中出産に移る間もなくあれよあれよと言う間に事が進んだ。夫と連絡が取れなかったその時だけはさすがに頭がぐらぐらするほど狼狽えたが、あとは怖いだとか苦しいとか思う間さえなかった。まだまだ先にあると思っていた嵐の海に待った無しで放り込まれて、指示されるがまま手足を動かしていたら溺れる間もなく雲が切れて青空がのぞいた。



結局入院から4時間と少し、分娩室に入ってからわずかに2時間半というスピード出産で、誰に対しても胸を張って「超がつくほどの安産でした」と言えるスムーズなお産でした。担当の助産師さんがものすごく頼もしく的確な指示の人だったのにも助けられて、10月29日、朝6時30分。3450g、51cmの元気な元気な男の子。あたたかくて、やわらかくて、たよりなくて、限りなく強い命。よく来たね。よく来てくれたね。ありがとう。ありがとう。ちゃんとママのところにきてくれてありがとう。この瞬間を誰よりも一緒に分かち合いたかった人は今ここにいないけれど、その淋しさや残念さを埋め合わせてあまりあるくらい、自分の胎内から命が溢れ出る喜びは途方もなくて、ただただ幸せでした。へその緒がついたままのいとしい我が子を抱き取って、ずっとお腹の中にいた子の顔を初めて間近に見て、はらはらと泣きました。



どうしよう、夫と連絡がつかない、とうろたえている間にいつも自分の起きる時間に合わせた携帯のアラームが鳴り、赤ん坊が無事生まれた後、助産師さんも産科医さんも席を外して2人きりになった静かな分娩室に夫と息子を起こす時間に合わせたアラームが再び鳴り響いたのがおかしかった。夫に電話して「生まれたよー」と知らせ、涙声を聞き、1時間後、カーテンの向こうから「ママー」と呼ぶ小さな顔がのぞいたとき、ああ4人の生活がこれから始まるんだな、と思った。前回、脱水を起こして水も飲めなくなり、点滴を打たれてベッドで運ばれたのとは対照的に、今回は自分で分娩室を片づけてほかほかの我が子の乗ったベビーベッドを押して病室に向かい、ぱくぱくと朝食を平らげたのも我ながらおかしくて、軽やかにうれしくて、誇らしくすらあった。妊娠中におこったあらゆるネガティヴなことが全部洗い流されて楽しかったことだけが残った気がした。大好き。みんな大好き。わたしの大事な大事な家族。
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2010年10月25日

記録その2

長文です。



夫が不在がちどころかまともに家にいる日のほうが少なかった妊娠後期、夫の留守に急に産気づいたら、あるいは容態がおかしくなったらどうしようというのが最大の心配事だった。そんな中で出産までに済ませておかねばならない仕事、産休に入れそうで入れない、ずるずると片付かない仕事の山、家の中の雑事に頭を抱え、身重の体でちびすけと2人向き合わざるを得ないハードなワーキングシングルマザー状態によれよれ、ぼろぼろになり、声を上げて一人涙をこぼしたり息子にわめき散らしたりしている間にあっという間に月が満ちてはまた欠けていった。

嵐は過ぎてこそ振り返ることができるもので渦中にいるときは毎日が無我夢中だったが、気がつけば夫は家に戻り、息子は保育園に通い、机の上に堆く積まれていた仕事の山は片付いて、ラズベリーリーフティーを飲みながらのんびりとキーを叩く薄暗い初冬の静かなひとときすらそこにはある。家の中を掃除し、壁のペンキを塗り替え、家具を整え、新しい服やスタイを縫い、久しくなかった夫と2人での外出、家族3人で買い物をし、公園を歩き、食卓につく、凪のように穏やかな日々。いつも家にいる父親が暫くいなかったせいで、母親べったりになっていた息子が元通りパパ大好きになるまでに充分な時間。当たり前に家で心身を休めることのできる時間。足りなかったものが満たされ、くたくたになったものが回復してゆく時間。

それら全てを与えてくれたのはお腹にいるこの子。
本当に親孝行な優しい子だと思う。
ちびすけがまだ保育園に慣れられずに不安定だったときも、中耳炎を起こして病院に駆け込んだときも、じっとお腹の中で待っていてくれた。

だから、もう「お願い今日だけはまだ出てこないで」なんて言わないから、いつでも好きな時に出てきていいんだよ。何があってもちゃんと迎えに行くからね。ごめんね。君がお腹にいるのにしょっちゅう怒ったり苛々したり泣いたり落ち込んだり疲れを溜め込んだり、食事だけはかろうじて気をつけてたけど、どう考えてもあんまり君に優しい生活してなかったね。君はいつだってびっくりするくらいいい子だったのに、ごめんね。あんまりいいママじゃなくてごめんね。

それでも君に会えるのをずーっとずーっと楽しみに待ってたんだよ。これでもさ。



さて、以下は安定期に入った春の終わりくらいに書いたもの。



子どもを含めた立ち会い出産を考えている。

今回も夫に立ち会ってほしいが、出産の際にちびすけ一人を蚊帳の外に置きたくはなく、さらに実家に子どもを預けるという選択肢が無い以上、夫が彼を連れて分娩室に来てくれないと夫が生まれたての子の顔を見られないので。

で、ちびすけに「あのね、秋になったらちびびがママのお腹から出てくるけど、出てくるところ見たい?」と訊ねたら、今まで見たこともないほど固く張り詰めた顔で「見ない!見ないよ!」と拒まれた。本能的に怖いのだと思う、多分。

夜中でも駆けつけてくれてちびすけの面倒を見てくれるベビーシッターさんを確保するか。もしくは私が一人で出産に臨むか。帝王切開一歩手前で(もっと苦しかった人はいくらでもいるとはいえ)安産とは言い難かった前回、痛みにも増して「こんなにも痛いのにお産が全っ然進まない、先が見えない」ことの恐怖にのたうちまわったことを考えるとそれは心許ないなあ。

余話。
お産のことを詳しく説明せずに「母子ともに健康」と伝えると自動的に安産だったと理解されるみたいで、実際にそういうケースも多いのだろうけれど、詳細を知らない人に「前回も安産だったっていうし今回も大丈夫でしょ」みたいなことを言われるのってものすごく嫌。痛みは、恐怖は、相対化できないんだよ。あの痛みと恐怖に耐えられるのなら麻酔なしで盲腸の手術が受けられるなあ、と本気で思う。だって盲腸の手術だったら盲腸切り取るところまで耐えたら終わるじゃん!



と、余話含め数ヶ月前に書いたのはここまで。
親バカ以外の何物でもないのかもしれないけれど、10ヶ月も一緒にいると子との間に信頼感みたいなものが生まれるらしく、心持ちは「うちのちびびはきっとそんなに変なタイミングでは出てこないだろうし、いつその時が来ても私はそこそこきちんとやってのけられるだろう」というそれなりに腹の据わったものへと変わりつつある。喜んで、とまではいかないがいざとなれば一人で産みに行く覚悟はあるし、ここまで家族みんなの気持ちを汲んでくれた子だもの、私や夫やちびすけが困り果ててしまうような産まれかたはしないんじゃないかなあ。たぶん。何があっても取り乱さないで済むだけの気持ちの余裕を与えてくれたのは他ならぬお腹の中のこの子なのだし。ちびすけだって私のお腹が大きくなるにつれて「もうすぐ家に自分より小さい人がやってくる」という事実を少しずつ少しずつ彼なりに咀嚼して受け入れてきたように思える。ふんぞりかえって小さなぺたんこのお腹を突き出しては「ちびちゃんもおなかにあかちゃんいるの、いまうごいてるよ、さわってみる?」という息子。夜は母のお腹をまくってはそっと撫でたり、眺めてみたり、「あったかいねえ」とつぶやいて眠りに落ちる息子。体のあちこちが痛くて呻いていると「だいじょうぶ?どこがいたいの?おくすりのむ?いたいのとんでけーする?ばんそうこうは?」と涙が出るくらい甲斐甲斐しい息子。



こうしている間にも時折下腹がぎゅうっと絞られるように強張る。
3人家族の生活も、あと、ちょっと。
posted by YUKINO MATOI at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

記録その1

つわり中に書いたまま放置していた日記が出てきたので2度目の妊婦生活の記録として。3〜4月頃のもの。



ちびすけの時はいわゆる食べづわりで、お腹が空くと気持ち悪くなっていたので、パックのジュースやヨーグルト、ビスケット、チョコレート、パン、なんでも持ち歩いてこまめにちびちび食べていれば割と元気だったのに、今回はかなり食欲が落ちている上、何時、何故、どのタイミングで具合が悪くなるのかが読めない。今なら焼肉でもロースカツでも食べられると思う時もあれば、ひりひりに喉が渇いているのに水を口に含むのすらつらい時も。でも大概は朝と夕方が気分が悪く、昼から午後にかけては比較的元気なので、げっそり体重が落ちることもなくのそのそと暮らしている。(後日注:実際には2kgしか落ちなかったので大したことないと思っていましたが傍目にはかなりやつれて見えていたのだそうです)



漬け物とインスタントラーメンの匂い以外特に受け付けないものがなかった前回に比べて食べられなくなったものがあまりにも多いので書き出してみる。

コーヒー
チョコレート
シナモン、クローブ、甘味と合わさった生姜
あんこ
かつお、サバのだし(いりこは平気、かつおもおかかの状態なら大丈夫)
パン
納豆
もち
揚げ物、炒め物の匂い(完成品を食べるだけなら少量は平気)

普段なら大好きなはずのねっとりまったり濃厚に甘いものがダメになり、ついでに粘度の高いもの、もっちりしたもの、逆に水分の少ない口当たりのもそもそするものも受け付けなくなった。視覚・触覚も少なからず影響されているようで、水回りの掃除の時に手に触れるぬるりとした感触、あるいはうっかり見つけてしまった黴などまあ普段からあまり好ましくはないのだが一々ぎゃあぎゃあ言うほどでもない不快なものたちが猛烈な鳥肌と吐き気を連れてくることに驚く。前回は初めての妊娠ということもあってコーヒーお茶アルコール等々の嗜好品を断つのには結構な努力が要り、ノンカフェインコーヒーやノンアルコールビールで紛らわしていたのが、その必要もないほどコーヒーの匂いもだめなら酒気もだめになった。

で、大丈夫なもの。

コリアンダー
ナンプラー
キムチ
にら
ニンニク
生姜
ごま油
味噌
豆腐
ひき肉
くだもの全部
ヨーグルト
オレンジミルク
牛豚鶏骨系の白濁スープ

さっぱりして酸味のあるマイルドな辛さのものがすごく美味しい。トムヤムクン、フォーにナンプラーと唐辛子とライムを絞ったの、片栗粉を入れないでさらさらに作った麻婆豆腐。キムチも食べたくて食べたくてしょうがなくて漬けたのだけれど、食べる時のニンニクの匂いは美味しくても後に残る匂いにはなぜか気分悪くなったりして諸刃の剣。あとはお茶漬けやコーンフレークのように、とにかくサラサラして口当たりのいいもの。



しかしこんなに何もかも長男と違うと言うことはもしかして女子かしらん。(後日注:と思っていたらどうも男の子のようです)
posted by YUKINO MATOI at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

不可視カウントダウン

夜、子と眠りにつくたび、ぺたりと母のお腹にはりついて寝入る息子の寝息を聞くたび、この子一人のためだけのママでいられるのはあと何日かしらと思う。3人の夜。一応床に就いてから朝までまとめて眠ることができて、2時間おきに起きなくてもいい夜。朝起きるたび、ああ昨日も陣痛は来なかった、さて今日は何が出来るかなと思う。早く来てほしいような、もう少しこのままでいたいような。



とにかく引っ越してしまわねば、新居に全部荷物を入れて最低限住処としての体裁を整えねば、でどうにか「済んだ」と言える状態になったと思ったらあれよあれよという間に出てきてしまった長男。予定の1ヶ月以上前からキリキリと前駆陣痛で母を悩ませ、ああこの子もさっさと出てくるんだろうなあと思いきや、意外に予定日まであと5日、というところまで来て、案外11月生まれになったりするのではという気さえ起こさせる2人目。違う人間が入っているのだからお産もその都度違うのが当たり前、5人産んで5人とも1回1回全部違ったと言う義母の言葉は説得力満載。



陣痛が来てキャンセルになったらごめんね、といいながら友達と会う約束をして、予定通りに会えることへのじわじわとした驚き。大豆を煮ようと水に漬けつつ、1時間後に陣痛が来ちゃったらこの豆どうしようとふと心許なくなり、翌朝何事も起こらなくて無事鍋を火にかけるに到るこの感じ。少しでも時間がかかることは最後までできない可能性がある。来週の予定なんてあってないようなものだと守れる見込みのない約束のような気すらしながら立てた予定の通りにことが運ぶ。「いつも通りの明日」がもしかして来ないかもしれないと思いながら書いたメモの一つ一つを、用事が片付いて屑籠に放り込むたび感慨深い。結局毎日が普通に進行してゆく不思議さ。1時間後なのか明日なのか来月なのか、まさかとは思うけどその日が来ないなんてことありはしないだろうかとちらちら不安もよぎりつつ、確かに近づいたという手応えを感じる「その日」。



毎日なにかしら出産の絡む夢を見る。昨日は夢の中でもう分娩室にいて、助産師さんの指示でせっせと体操やら呼吸やら陣痛を逃がしていて、もう間もなく頭が出ますよーというところまで来ていたので、夜中に目が覚めて真っ暗な寝室で普通に家族が隣に寝ているのにものすごく戸惑った。



父親は生まれてきて抱くまで実感ないとか言うけど、母親だってお腹の中に抱えて誰よりも近くにいるくせに触れないし抱けないし声も聴けなければ匂いも嗅げないのだもの、確かな胎動を心底愛おしく思いながらもやっぱり、肌を合わせて顔を見てやっと「はじめまして」って感じだと思う。
posted by YUKINO MATOI at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月04日

ご無沙汰しています

なにから書けばいいのかわからないまま気づけば10月。Twitterを始めると大概の人はブログが留守がちになると聞いてはいたがその通りですね。加えてうちの6年もののiBookは既にインターネットの世界から三行半を突きつけられかけている存在なので、ダイヤルアップと見まごうほどのその鈍重さに更新の手も鈍りまくりでした。さらに8月9月は夫が猛烈に忙しく、普通に出かけて夜には帰宅出来るはずの日ですら息子に「パパ、らいしゅうまでかえってこないんでしょ?」と見送られるほど出張出張出張で全然家にいなかったこともありまして、140文字を越える文章が全然書けませなんだ。



ドイツ生活7年目に突入した近況。



9月から息子が保育園に通っています。最初の数日間は着いて靴を履き替えるなり親の方を振り返りもせずに遊びにすっとんで行っていたので、まあ頼もしいことよと後ろ姿を見送っていたのですが、「自分はドイツ語を話せない、周囲の人は誰も日本語を解せない」という事実に遅れて気づいて以来、遅ればせながら家を出るのを泣いて嫌がったり渋ったりするようになりました。これまで息子を取り巻く人間は日本語話者か日本語がわからなくても息子の話をニコニコ笑って聞いてくれる人だけだったので、そのどちらでもない人たちの中に心の準備をする間もなく突然放り込まれた不安は想像するだに胸が痛むし、1ヶ月経った今でも不安の種は尽きないけれども、そこは子どもの逞しさしなやかさででおそろしい早さで言葉を吸収し新しい世界に馴染み始めているのはまぶしい限り。早速保育園で風邪をもらってきたせいもあって時折ぐすぐずと「ほいくえんいかない」と甘えたがりますが、言葉が通じないながらも友達もできて、一旦登園してしまいさえすれば給食を5回もお替わりする強靭さで過ごしているらしい。ちなみによく聞く話ではありますが蒙古斑はやっぱり「家で強く打ったんですか?」と聞かれました。



そんな中、昨日は日本人親子会の運動会が開催されたのですが、集団行動が大嫌いなのはここでも健在、というか嫌なものを拒んで実力行使に出る力が段違いにアップしているだけに、全力で泣かれ、逃げられ、暴れられすると臨月の母にはもうなす術がなく、のたのたと右往左往するのみ。家に帰りたい、さもなくばせめて隣の公園で遊んでいたいと聞かないので、皆の歓声を遠目に見ながら砂場のベンチで文字通り砂を噛むがごときお弁当。会場付近に近づくことすら頑に拒否したので半日ただただ遊ぶばかりで集合写真にすら参加できず、運動会の解散頃にかろうじて荷物を取りに戻り、挨拶をし、とぼとぼ、めそめそと、息子は遊び疲れてぐずぐずぐったりと、帰路につきました。

他の子は楽しくて仕方がない様子なので「どうして泣いてるの?」「何が気に入らないの?」「どうして運動会が嫌いなの?」と大人からも子どもからも聞かれるの、私も息子もしんどかった。そんなことはこっちが聞きたい。そしてむしろ私のほうが泣きたい。以前も書いたけどこの子は1対1もしくは少人数で楽しく過ごすことはできても集団行動がほんとうにほんとうにほんとーーーうに苦手らしいのだ。家に帰って眠りについてもうなされて「いかないよ、いかないよう、おうちかえるのー」と暴れ出してしまうくらいに。

これはもうこういう子なんだと思って気長に付き合うほかないと腹をくくるも、どうにも行き場のない淋しさは残ります。親の勝手な期待に過ぎないとはいえ、道一本隔てた向こうで息子のいない運動会を眺めながら過ごす日曜日はこれまで味わったことのないくらいしょっぱい味がしました。



中の人はもういつ出てきてもおかしくない感じなのでそのへんはまた今度書きます。
posted by YUKINO MATOI at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

今敏氏、逝去

たまたま三浦綾子『道ありき』を読んでいた。海外で暮らしているとこういうことはよくある。何かの巡り合わせで日本の書店や図書館ではまず手に取らないであろう本を開くことが。6年ほど前に椎名林檎のPOPにつられて読んだ『塩狩峠』はどうにもこうにも受け付けなかったのだが、自伝はそれよりもずっとずっと腑に落ちるところが多い。

ほんとうに人を愛するということは、その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだと思った。(三浦綾子『道ありき』)


今敏氏の最期の文に触れて、その一節が頭を離れない。仕事を、自分の作品を、自分を囲む人たちを本当に愛しておられたのだろうと思う。瞑目、合掌。

ありがとうございました。氏の生みだした作品がこれからもたくさんの人の手元に届き続けますように。
posted by YUKINO MATOI at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

肩の荷一つ放り出す

「不安だけど、大変だろうけど、きっとなるようになるから、大丈夫」という選択ではなく、「少しでも不安材料になり得るのならば、そちらへは行かない」という選択をすることに決める。より正確には「ただでさえ不安だらけで潰れそうなのでこれ以上不安の種はいっこでも増やさない」。具体的には、現在夫に来ている仕事依頼のうち大きなものを一つ断ってもらうことにした。産休手当など出ないフリーランス夫婦で、かつ、これから子どもが生まれるという時期だからこそ、我が家の台所事情では「仕事を断る」というのはかなり勇気のいることで、引き受けた場合に夫が頻繁に家を空けることになる分ベビーシッターさんを雇ったとしても算盤上ではそれなりに割に合うといえば合うのだが、どんなに親身になってくれるベビーシッターさんでも夫の代わりではないし子どもたちの親でも家族の一員でもない。住み込みの乳母ではあるまいし、彼女の仕事は私達にこれとこれとこれ、お願いします、と言われたことをこなすことであって、何をどうしたら上手くいくのか、頭を抱えて途方に暮れている母親と一緒に育児生活を乗り越える術を考えることではない。そうでなくても私は人に何事か作業を割り振って采配するのが大の苦手なのだ。いざお手伝いを頼もうとしても、では何をどのくらい、どのように、いくらで、何時間依頼すれば私と2人きりで2歳児と新生児の相手が務まるのか情けないほどにあやふやな見積もりしか立てられないのでは頼みようがないではないか。



へたりこんでしまったときに必要なのは
「きっと」大丈夫、という心強くも不確かな励ましではなく
藁一本でもいいから確実に掌につかんで感じることのできる手応え。
そのうち泉に着くから立って歩けと言われるより
雀の涙ほどでいいから今すぐ飲める水が欲しい。



波も風も立つだろう、嵐の日も来るだろう。
それでも、穏やかに丁寧に暮らしたい。
倦むことなく放り出すことなく積み重ねたい。
そのためには求めに応じて家の外からやってきてくれる人ではなく
同じ立場で朝から晩まで一緒に膝突き合わせてくれる相方が
どうしたって必要なのだった。
posted by YUKINO MATOI at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月02日

喉の奥、額の裏側

やられたらやり返す、言われたら言い返すということが子どもの頃からどうしてもできなかった。というかやり/言い返して事態が好転した試しが記憶にある限りどこをひっくり返してもないので、できないし、よしんばできたとしてもスキルとして極めて不十分なので手も口も先に引っ込める癖がついてしまった、という方がたぶん正しい。その状態で30年近く生きてきたものが外国で5〜6年暮らした程度でできるようになるわけもなく、どんな悪態をつかれようが納得のいかない理屈を並べられようがしばし呆然と立ち尽くす他ないのが常。気がつけば事は疾うに過ぎ去っている。何が起こり何を言われたのかを理解し自分の非と相手の非とをはかりにかけた上で最適解を発声するまでに私は人の数十倍は時間がかかるらしい。そんなことではここでは一人前と看做されないだの罵詈雑言でも何でもいいから言いたいことを言わなくてはやってゆけないだのの忠告励ましの類は嫌というほど聞いたのだがしかし、何も変わらないし変われない。というかどこをどう変えたらいいのか、そもそも変えるべきなのか、努力の方向性がまるでわからないのでいつもいつも途方に暮れるしかないのだ。

公園で玩具の奪い合いに負けた息子が泣きながら走ってくる。「僕にも貸して、って自分でちゃんと言ってきなさい」「言えないのなら諦めなさい」言いながら本当に理不尽だと思う。どう育てたら自分の欲しいものをちゃんと欲しいと言い、手に入れるための手段を講じることのできる子になるのか、我を押し殺して耐えることばかりを身につけて欲しくない(自分自身が幼い頃に出来なかったこと、嫌だったことを子にどうやって克服させるか/それはそもそも克服すべきことなのか?という思考スパイラルは避けては通れないがものすごーーーくしんどい作業でもある)と考える一方で、欲しいものは欲しい、正しいものは正しいと声高に言えることのみが常に善きことなのか、言いたいことをぽんぽん言えない奴が間抜けでのろまで弱っちいだけなのか、考えていたら情けないことに家について座り込んだ瞬間ぼたぼたと涙が止まらなくなって困った。

さくさくと言いたいことを言っているようで軽率ではない人、きちんと核心を突きつつ言うべきではないことは決して口にしない人、憧れる。熟考してから口を開けば遅すぎ、たまさか心に浮かんだことをぽんと口にすれば迂闊すぎて後悔する。いつ何時でも瞬時に振り出せる、それでいて決していたずらに人を傷つけることのない匕首のような言葉が欲しい。
posted by YUKINO MATOI at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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