2011年05月25日

皐月の終わりに

江國香織の本数冊を読み返す。

大人になる、ということを、自分だけではいかんともしがたい現実を飲み込み、折り合いをつけて生きていく(という決意をする)こと、ないしはその現実を見据えてそれでもなおそこへ切り込んでゆこうとすること、だと定義するのならば、江國香織の物語に出てくる人たちはどこまでいっても、20代でも30代でも、結婚して子どもを産んで彼らが高校生大学生になる歳になってすら、ずっとずっと子どものままだ。いかんともしがたい現実の固まりの前に、戸惑い、途方にくれ、困惑し、もてあましている。蚊の多いどくだみの匂いの縁側でアイスをなめながら足をぶらぶらさせていた、幼い頃の長い長い夏休みの困惑をそのままに。

懐かしむ、という行為は自分が当事者ではなくなった地点からでなくてはできない。
いつまでも大人になりきれていない気がしていたのに、彼らの側から見れば、私はとっくに「向こう側の人間」たりえるほど、逞しくもずるくも分別くさくもなっていたことを思い知って本を閉じ、物置に運ぶ。

posted by YUKINO MATOI at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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