2012年10月31日

長い覚書

2週間くらいtwitterが使えなくなっていて
書きたいことがだいぶ溜まってきたので
ひとまずここで覚書としてリリースします。
のちほど短く書き改めてtwitterで再リリースするかどうかはそのとき考えようかと。

なんでtwitter使えないかというと
夫と共用で我が家のメイン機にしていた
PCのバッテリーとケーブルが逝ってしまい
(バッテリーは経年劣化、ケーブルはぐんぐん引っ張って
 蔓のようにして遊んでたおさるさんたちがいましたから)
メーカーに問い合わせたら香港だか台湾だか
まあ遠方の生産元からの取り寄せになるということで
少々時間をくっています。
それでも修理代として納得できる範囲の額で
(安くはないけど、じゃあ新しいノートPC買えるじゃん、
 という額には幸運にして遠く及ばなかった)
復旧できそうなので、そこに関しては助かりました。

で我が家でネットに接続できるのが
夫のiPod Touchとタブレット、そして今この文章を打って些かの衰えを見せることもない御年8歳半のiBook G4くんだけになったという次第。寄る年波には勝てず、G4くんはもうhotmailもtwitterもできなくなりましたが、我が家の家計簿管理と音声データ管理、そしてSeesaaブログへの書き込みに関しては全然現役でいけるようで、タッチスクリーンとすこぶる相性の悪い私にそっと寄り添ってくれるようです。

我が家では2年か3年おきにものが次々壊れるという現象が起きていて、
次男がお腹にいた2年前にもやはりPCが壊れ、プリンタが壊れ、掃除機が壊れ、デジカメが壊れ、携帯が壊れ、痛い出費を迫られつつも「これは何かの厄を代わって引き受けてくれたに違いない」と自分たちに言い聞かせることで納得していました。清貧所帯の我々、新品ではなく引っ越す知人や中古ショップからリーズナブルに手に入れてきたものも多かったので、まあ元々寿命と言えばそうだったのでしょうし。
で、再びその現象が襲来しており、またしてもPC、プリンタ、ドライヤー2台、とそれぞれに修理や買い換えを迫られています。私としてはこの買い換えの波にどうかG4くんがさらわれませんようにと願うばかりです。

前書きが長くなりましたが。
以下いくつか脈絡なく書き置いてみます。



フライブルクのとある市立保育園で、保育士による児童への性的虐待が明るみに出ました。頼もしく思ったのは長男の通う保育園で、事件が新聞に載るよりも早く現場の先生方から説明があったこと、実効性のある対策と、万が一同様の事件が息子の通う園で発生したときの誠意ある対応とが約束してもらえたこと。これはちょうど保護者会の開催と事件発覚とが重なったせいもあるでしょう。そして後日、新聞に掲載されたのは「この事件は決して特殊なケースではなく、どこの園でも起こり得る、あるいは既に起こってしまっている可能性のあるケースである。これ以上傷つく子どもを増やす前に根本的な捜査と対策を行ない、既に起こっている事件を洗いだし、これから起こり得る被害を未然に防ぐ」という市と警察との断固たる姿勢でした。

無論、そうした姿勢を示すことなしには決して親も一般市民も納得しないからこそ出された声明ではあるのですが。
たまたまそれと前後して、スウェーデンとの一戦で屈辱的な味噌をつけたサッカードイツ代表のコーチ陣の一人が「我々に今必要なのは傷口に指を突っ込むことだ」と発言したのを読んでいたので、その「傷口に指を突っ込む」という表現の猛々しさと揺るぎなさに、同じものを感じたのです。揉み消すとか、隠蔽するとか、なかったことにして見過ごすとか、嵐が通り過ぎるのを待つとか、そういう消極的な対応からもっとも隔たった態度に打たれたのです。



昨日、次男が無事満2歳を迎えました。

長男はつらい。並んでいると次男の幼さが目立つ分、ならば長男にはこれくらい出来て欲しい、これくらいのことは次男にはできなくとも長男にはできるだろう、なに2歳児と同レベルでヘラヘラしてんのよ!と叱られるから。本当は長男だってまだまだちびさんで、この世の中の新人さんなのに。

次男はつらい。いつだって長男に追いつこうと必死で、みそっかすを卒業しようと背伸びして、その甲斐あって端から見れば目覚ましいスピードで大きくなっているのに、長男を物差しにして見ている限り2歳半分の差は絶対に埋まらないから、彼なりの努力、彼なりの自己主張は、いつまで経っても「足りないもの」に見えてしまう。出来ることがこんなにもあることを褒めるべきで、出来ないことを責めるにはあまりにも幼すぎるのに。



余裕がない、時間がない、体力がない、気力がないと無い無い尽くしで愚痴をこぼすよりは、嘘でもいいから、私、旦那が出張で月の半分は家にいないようなシングルマザー生活でも、もーぜんっぜんちゃんとやれてますから!大丈夫ですから!明るく前向きに母業して仕事もして、ついでに部屋の模様替えまでできちゃいますから!って言ってみたら、言霊的な作用かなんかで、ある程度まではなんとかならないかしらん、とふと思って実行してみようとしたけれど、2時間で挫折しました。

秋は繁忙期。すっかり父親の不在に慣れてしまった子どもたちはもとより、私ですらたまに夫と朝食を取っていると「……この人ってなんで家にいるんだっけ?」という錯覚に陥りかねないほど、夫が家を空けることが日常化している今日この頃です。



子育てのつらさの主なものを挙げるなら、私にとってそれは「自分自身の行動が制限されるつらさ」と「終わりの見えない努力をしなくてはならないつらさ」の2つで。特に後者。どれほどの手間と根気が必要なのか検討もつかないまま、同じことをひたすらひたすら、声を荒げず、穏やかに平静に繰り返せるはずもなく、時には何もかもを放棄したい気分になることも決して珍しくありません。というかどちらかというとそちらの投げやりな気分の方が常態化しかねない勢い。息子だから、我が子だから、責任があるから、可愛いからとどうにか一緒に暮らしていますが、これが恋人だったら確実に別れています。つきあいきれんよ、もう。

でもね、昨日一つ気づいたことがあるんです。
誰からもおしゃべりが上手で、口の聞き方が大人っぽくて、物知りで、と褒められる長男だけど、ああこいつの頭の中に入っているものって、正確にはまだ「知識」でも「経験」でも「概念」でも、まだその超初期段階の種みたいなものなんだ、と。

だって、トイレで用足して「手はちゃんとあらったよー」ってわざわざ言いながら、手は洗わずにすたすた出てきたんですよ(ドア全開で用を足すので全部丸見え)。

へたりこみそうになるのと同時に(そして『洗ってないでしょうが』と長男を連れ戻しながら)思い出したんです。何歳頃だったか、数を覚え始めたそのごくごく最初期に「いちにさんしごろくしちはちきゅうじゅう」と日本語でもドイツ語でも1から20あたりまで言えるようになった長男が、「じゃあ5のつぎは?」と聞かれても全く答えられなかったこと。林檎がそこに4つあっても、それを「4」だとは認識できていなかったこと。彼が最初の「数」としてとらえたものは「いちにさんしごろくしちはちきゅうじゅう」という音の連なりで、そこには順番だとか数量だとかいう概念は含まれていなかった。物の数量を数えられるようになって、自分が口にのぼせる言葉としての「さん」と、3つあるものとが正確にリンクするまでにはもう少し時間がかかりました。

ああ、そうか。「手をちゃんと洗う」という文章、あるいはトイレの後は手を洗うべきだという感覚と、自分の実際の感覚とが、まだちゃんとリンクしていないのか。この人は。
「食事のときは肘をつかないで」という言葉と、肘をつかずに食事するという行為とが。
「お店の中では走らないで」という言葉と、走らないで大人の側について歩く行為とが。
「ちょっと待ってて」という言葉と、じっと静かに待って何もせずにいられるという行為とが。

それで具体的な問題がちょっと解決するわけではないので、相変わらず口を酸っぱくして同じことを繰り返し繰り返しガミガミと叱っていくのは変わらないのですが、「言っても言ってもこいつ全然通じてねーし学んでねーし」と思うのではなく「通じてはいる(おそらく)、学んでいないわけではない(きっと)、ただその実際の行動がまだ身体化されて習得されていないだけなのだ」と思うことで、少しだけ気が軽くなったのでした。

しかし、いわゆる頭でっかちというのとも違うのだろうけど、うちの兄弟のように口から先に生まれてきたような人たちは、口にしていることと実際に行動として表に出てくること、言っていることと考えていること、獲得した言葉とその言葉の持つ本質的な意味、との隔たりは一層大きく感じられるのではあるまいか。まあそんなの大人になったらちゃんと100%シンクロするのかっていったら全然そんなことないっていうかむしろその真逆なんですけどね。
posted by YUKINO MATOI at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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