2012年09月12日

東野圭吾『聖女の救済』

東野圭吾で1冊ベストを挙げるなら『悪意』だとずっと思っている。
タイトルに掲げられた、人の「悪意」というもの。
人が人を憎む気持ちのどうしようもなさ。
名状しようのない曖昧な理由で、ごくごく些細なきっかけで、
人は人を簡単に憎むことができる。殺したいと思うほどに。

どれだけ憎んでも憎みきれない、呪い殺したいとさえ思う感情に
ほんのちっぽけな出来事で光が刺すこともあれば
どんなに暖かい場所へ手招きされても、どれほどの幸福に包まれていても
心の一点に凍りついた真っ黒な塊を抱き続けることもできる。

憎しみを別の形に昇華させるのにはエネルギーが要る。
赦すにせよ、忘れるにせよ、諦めるにせよ。
そして世の中には、その憎しみをそのままの形で凝らせ続けることに
寸分のぶれもなくエネルギーを注げる人間もいるのだ、間違いなく。

『聖女の救済』は、人の底知れない気持ち悪さと
その底知れなさが自分とは決して無縁ではないこととを
まざまざと思い出させてくれる『悪意』以来の1本だった。
綾音のようには生きられないし生きたいとは思わないが、
封をしてそ知らぬ顔で墓場まで持っていかねばならぬものの一つや二つは
誰にでもあるものだろう。
そこに刻まれたものを風化させることも癒すことも叶わずに
ただただ触れぬように、見えぬように、厳重にほどこしたつもりの封印。
その封を、他人に、開けられぬまでも、そっと撫でられた。
ここにフタがしてありますねえ、上手に隠してありますねえ、と耳元で囁かれた。
そんな気がしたのだった。
囁き声の主に、笑顔で返す。
ええ、うまく隠しておけるか、どうかまだわかりませんけど。
このまま後生大事にそうっと抱えて持っていくつもりですから、と。

posted by YUKINO MATOI at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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