2010年08月25日

今敏氏、逝去

たまたま三浦綾子『道ありき』を読んでいた。海外で暮らしているとこういうことはよくある。何かの巡り合わせで日本の書店や図書館ではまず手に取らないであろう本を開くことが。6年ほど前に椎名林檎のPOPにつられて読んだ『塩狩峠』はどうにもこうにも受け付けなかったのだが、自伝はそれよりもずっとずっと腑に落ちるところが多い。

ほんとうに人を愛するということは、その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだと思った。(三浦綾子『道ありき』)


今敏氏の最期の文に触れて、その一節が頭を離れない。仕事を、自分の作品を、自分を囲む人たちを本当に愛しておられたのだろうと思う。瞑目、合掌。

ありがとうございました。氏の生みだした作品がこれからもたくさんの人の手元に届き続けますように。
posted by YUKINO MATOI at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

肩の荷一つ放り出す

「不安だけど、大変だろうけど、きっとなるようになるから、大丈夫」という選択ではなく、「少しでも不安材料になり得るのならば、そちらへは行かない」という選択をすることに決める。より正確には「ただでさえ不安だらけで潰れそうなのでこれ以上不安の種はいっこでも増やさない」。具体的には、現在夫に来ている仕事依頼のうち大きなものを一つ断ってもらうことにした。産休手当など出ないフリーランス夫婦で、かつ、これから子どもが生まれるという時期だからこそ、我が家の台所事情では「仕事を断る」というのはかなり勇気のいることで、引き受けた場合に夫が頻繁に家を空けることになる分ベビーシッターさんを雇ったとしても算盤上ではそれなりに割に合うといえば合うのだが、どんなに親身になってくれるベビーシッターさんでも夫の代わりではないし子どもたちの親でも家族の一員でもない。住み込みの乳母ではあるまいし、彼女の仕事は私達にこれとこれとこれ、お願いします、と言われたことをこなすことであって、何をどうしたら上手くいくのか、頭を抱えて途方に暮れている母親と一緒に育児生活を乗り越える術を考えることではない。そうでなくても私は人に何事か作業を割り振って采配するのが大の苦手なのだ。いざお手伝いを頼もうとしても、では何をどのくらい、どのように、いくらで、何時間依頼すれば私と2人きりで2歳児と新生児の相手が務まるのか情けないほどにあやふやな見積もりしか立てられないのでは頼みようがないではないか。



へたりこんでしまったときに必要なのは
「きっと」大丈夫、という心強くも不確かな励ましではなく
藁一本でもいいから確実に掌につかんで感じることのできる手応え。
そのうち泉に着くから立って歩けと言われるより
雀の涙ほどでいいから今すぐ飲める水が欲しい。



波も風も立つだろう、嵐の日も来るだろう。
それでも、穏やかに丁寧に暮らしたい。
倦むことなく放り出すことなく積み重ねたい。
そのためには求めに応じて家の外からやってきてくれる人ではなく
同じ立場で朝から晩まで一緒に膝突き合わせてくれる相方が
どうしたって必要なのだった。
posted by YUKINO MATOI at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月13日

ハンバーグを食べない子どもなんて

「野菜ばっかり食べてないでカレーも食べなさい!」……自分の口から出た言葉に自分で呆然としてしまう。息子は野菜と果物と牛乳と大豆製品が大好きで、カレー、ハンバーグ、グラタンなどおよそ子どもが喜ぶ鉄板メニューと思われるものはあまり食べず、餃子は皮だけが大好物で具は残す。ジュースもほとんど飲まない。ただし気まぐれなので「どうせ食べないだろうから」と少なく用意したときに限っておかわりを要求したり、他所の家にお呼ばれすると急に嗜好が変わったりする。変なところにこだわりがあるのか、昨晩もカレーでそのときは今日よりは食べたのだが、ニンジンばかり拾って食べるものだから鍋の中がほとんど肉とイモだけになってしまい。なので今日はレンジでニンジンをチンして足してちょっと煮てから出したら「こっち(最初から入っているほう)はたべる。こっち(後から足したほう)はたべない」と綺麗に選り分けていた。



そんな息子が2歳4ヶ月にして初めて(アイスたべたい、とかりんごちょうだい、とか以外で)繰り出してきた欲しいもの、それは「ペンギン」。しかも「ジェンツーペンギンがいい」んだって。「お出かけしてお家に誰もいないときはペンギンはどうするの?」「おるすばん!(即答)」そんな返事をしているうちは生き物は飼いませんよ!
posted by YUKINO MATOI at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 子日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月02日

喉の奥、額の裏側

やられたらやり返す、言われたら言い返すということが子どもの頃からどうしてもできなかった。というかやり/言い返して事態が好転した試しが記憶にある限りどこをひっくり返してもないので、できないし、よしんばできたとしてもスキルとして極めて不十分なので手も口も先に引っ込める癖がついてしまった、という方がたぶん正しい。その状態で30年近く生きてきたものが外国で5〜6年暮らした程度でできるようになるわけもなく、どんな悪態をつかれようが納得のいかない理屈を並べられようがしばし呆然と立ち尽くす他ないのが常。気がつけば事は疾うに過ぎ去っている。何が起こり何を言われたのかを理解し自分の非と相手の非とをはかりにかけた上で最適解を発声するまでに私は人の数十倍は時間がかかるらしい。そんなことではここでは一人前と看做されないだの罵詈雑言でも何でもいいから言いたいことを言わなくてはやってゆけないだのの忠告励ましの類は嫌というほど聞いたのだがしかし、何も変わらないし変われない。というかどこをどう変えたらいいのか、そもそも変えるべきなのか、努力の方向性がまるでわからないのでいつもいつも途方に暮れるしかないのだ。

公園で玩具の奪い合いに負けた息子が泣きながら走ってくる。「僕にも貸して、って自分でちゃんと言ってきなさい」「言えないのなら諦めなさい」言いながら本当に理不尽だと思う。どう育てたら自分の欲しいものをちゃんと欲しいと言い、手に入れるための手段を講じることのできる子になるのか、我を押し殺して耐えることばかりを身につけて欲しくない(自分自身が幼い頃に出来なかったこと、嫌だったことを子にどうやって克服させるか/それはそもそも克服すべきことなのか?という思考スパイラルは避けては通れないがものすごーーーくしんどい作業でもある)と考える一方で、欲しいものは欲しい、正しいものは正しいと声高に言えることのみが常に善きことなのか、言いたいことをぽんぽん言えない奴が間抜けでのろまで弱っちいだけなのか、考えていたら情けないことに家について座り込んだ瞬間ぼたぼたと涙が止まらなくなって困った。

さくさくと言いたいことを言っているようで軽率ではない人、きちんと核心を突きつつ言うべきではないことは決して口にしない人、憧れる。熟考してから口を開けば遅すぎ、たまさか心に浮かんだことをぽんと口にすれば迂闊すぎて後悔する。いつ何時でも瞬時に振り出せる、それでいて決していたずらに人を傷つけることのない匕首のような言葉が欲しい。
posted by YUKINO MATOI at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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