2010年05月19日

炎上

生まれて初めて間近で火事を見ることになった。路電に乗ろうと歩いていたら建物の向こうに真っ黒な煙が見えて、停留所のある交差点まで出たら改築中の旧大学図書館の屋根が炎を上げて燃えていたのだ。音も立てずにただもくもくと。化学物質の燃える重たい匂いがして、肌寒い日だったのに道の向こうから吹いてくる風だけが暖かかい。気がつくと交差点は人であふれていた。集まった人たちはみな一様に静かで、不謹慎に面白がるでもなく、無闇に怖がるでもなく。無表情に携帯カメラをかざしたり、電話をかけたり。図書館はおそらく少数の改装スタッフの他はほぼ無人で、中から逃げ出す人の姿もなく、交差点に集まった人たち(それも人混みと呼べるほどではなかった)と黒煙を上げ続ける図書館の最上階の他はまるで普段と変わらない、淡々とした光景。不思議だった。驚いた。30分後に路電から遠く眺めた時にはもう火は消えていて、下から見える部分にほとんど被害はなくて、交通規制の柵と数台の消防車がなければ何が起こったか全く気づかない人もいただろう、あっという間の白昼夢のような出来事だった。



子どもが一緒だったのだけれど、大好きなはしご車やポンプ車が大活躍している現場なんて実際に見ないで済むのならそれに越したことはないのだと思った。だいいち現場は危ないしな。



ところで妊婦が火事見ちゃうと痣のある子どもが生まれるんだっけ?「身籠ってる人がのこのこ火事見物なんか行っちゃダメよ」という戒めを込めた迷信であると思いたい。えーん。見たくて見に行ったんじゃないもーん。
posted by YUKINO MATOI at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月15日

衣偏 その2

服を整理するたびいつもいつもいーーーっつも思うのは「夏服多過ぎ」ということ。暖房なしで過ごせる期間が1年の3分の1しかない国(この前計算してみて改めて驚いた。もう5月だけど今日も外で吐く息は白い)に6年も住んでるくせに袖のない服薄い服がやたらと多いのにいつも呆れてしまう。心動かされる冬物に出会うことが少ないせいもあると思うんだけど。だって着てみたいとか自分に似合う思う服がほとんど全部夏服なのだ。資料集やスケッチブックをめくってみてもこの格好で2月のベルリンを歩いたら死んでしまいそうな服しか載っていない。そして実際に作る服も圧倒的に袖のないもの短いもの薄物ばかり。冬仕様の服でこれぞと胸を張って世に出せるものはほぼ皆無に近い。単に夏が好きで夏服が好きというのみにあらず、「腕が動くといういちばん難しい部分から逃げている」という装苑賞候補者への山本耀司氏のお言葉に俺のことかと冷汗を流した人、挙手。
posted by YUKINO MATOI at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

衣偏 その1

自分で少しずつ服を選んで買い揃えたり作ったりしてコーディネートできるようになった10代前半の頃からかれこれ十数年以上、基本的にワードローブの組み立てが変わっていない。着古したものもう着ないものをまとめて処分して、では何を買い足そうかと考える時に選ぶアイテムにびっくりするくらい変化がないのだ。表面上はあれこれとっかえひっかえしているように見えて、基本的な構成要素は同じまま。ファッション誌のストリートスナップにはよくトップスは○○でボトムは●●、ミュールとバッグは××で買いましたとか書いてあるけど、私はいますぐあなたの外側にあるもの全部ひっぺがして見てみたい。あなたの財布やバッグや本棚の中身もブラウザのブックマークも全部裏返しにして、すっぱだかのあなたが何を身に付け何を選び何を纏ったら今のあなたになるのか、それを見てみたい。教えてほしい。自分の外側にあるものをいっぺん全部放り投げてもう一度下着から靴下からことごとく選び直してみたい。それでも今と全く同じ格好になりそうな気がしないでもないところがなんともむずむずするのだけれど。
posted by YUKINO MATOI at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月12日

世界の連鎖

高村薫『李歐』、宮崎駿『ハウルの動く城』、そして伊藤計劃『虐殺器官』は私の中で一つの問いにつながる。何を守り、何に背を向け、何を見、何に目をつぶって生きてゆくのか、という人生における態度の問題に。
posted by YUKINO MATOI at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

皐月の寒空、ライラックの雨

皆は楽しそうにしているけど私は楽しくないんだよ、むしろ嫌だなあ、という場合、嫌がっている本人は開き直ってさえしまえば別につらくはない。が、自分の子どもが皆がわいわいしている輪に入れなかったり入りたがらなかったりしているのを見るのは結構しんどい。いやものすごくしんどいかも。自分の事ほど容易に割り切れない。



日本人親子のための子ども会があって、妊娠中からとりあえず通った。途中から0〜3歳くらいまでの未就園児むけのサークルもできたので子が1歳を過ぎてからはそっちにも可能なかぎり顔を出した。異国で子育てをする以上、日本人の子育て仲間が一人でも多くいないことにはやっていけないと思って半ば義務のように通った。いやなことや戸惑ったこと違和感を感じたこともなかったとは言わないが、基本的にはみんな子どものことをきちんと考えているいい人たちばっかりで、仲の良いお母さん友達も何人かできて、子ども会以外でも家を訪ねたり招いたりするようになってそれなりにいい感じだった。子どもが1歳半を過ぎる頃までは。



言葉による意思表示を獲得した子ははっきりと「いや」と言うようになった。最初は「はい、ごあいさつの歌からはじめますよー」「いや!」「絵本読むよ」「よまない!」と言ってすみっこで一人で勝手に遊んでいるだけだったのだが、ここ最近は会場に足を踏み入れただけで火のついたように泣いて嫌がってドアにしがみついて離れようとしない。まるで歯医者にでも連れてゆかれる子のように。皆で動物公園に行くのはいい。仲良しのお友達の家に遊びに行くのも大好き。でも「せーの」でおゆうぎをしたり歌ったり紙芝居を見たりゲームをしたりするのは、僕は、いやなんだ。と力の限りに主張している。胸が痛くなるほどに。途方に暮れて立ち尽くしてしまうほどに。ガラスのドアの向こうでは息子と同い年の子どもたちがきちんと椅子に座ってニコニコと手拍子を売っている、その廊下で。



参加すること、参加する以上は楽しむことを義務づけられているような感じがいやなんじゃないの、子どもは基本的に枠の中で行動させられるのは嫌いだよ、と夫は言う。子どもに限らず、私だって夫だって自分達のペースで過ごしたいし、できるだけ気の置けない人と一緒にいたいし、そうでない人とはお互い気分が悪くならない程度のお付き合いができれば充分で、好きな子もそうでない子もいっしょくたにして、はい盛り上がっていきましょうねー!みんな仲良くしましょうねー!みたいな空気は大大大大大の苦手だ。苦手なんだけど。自分たちが進んでできないことを、愉快だと思えないことを、やっと2歳になったばっかりの子どもに押しつけてはいけないんだけど。でも。でもこの子に「本当に仲良しのお友達だけ大事にできればそれでいいんだよ、嫌なことはしなくていいんだよ」って伝えていいのか?それは正しいのか?親として人として?「いいから今すぐ声を大にして『行きたくなけりゃ行かなくてもいいよ』って言って泣いてる子を抱きしめてやれ!」と叫ぶ自分と「秋から保育園だっていうのに今からそんなことでどうする!それよりこの子が『嫌だ』と思わないで済む方法を探してやれ」と叱咤する自分が戦う。



週末は子ども会のバーベキューが予定されている。外は1週間以上続く雨で、道行く人はみな冬服、部屋の中は未だに暖房を入れずには過ごせず、天気予報によれば土日も雨だというのだが、最終的な決行の可否は当日の朝まで保留なのだそうだ。

ひっそりと雨天中止を願っている。どうせピカピカに晴れてたとしてもビールも飲めないし夫は仕事で不参加だからゆっくり肉焼いて味わってる余裕もなかろうしな、とふてくされているくせに、欠席の連絡を入れるのはどうしてもためらわれるひねくれ者の母である。
posted by YUKINO MATOI at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 子日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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