2009年06月19日

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みどりに塗られたパズルの穴に
みどりの積み木だけを集めてきて押し込む。
テレビで見た体操を真似てみせると
テレビの前に走っていって電源を入れる。
ねこの鳴きまねをすれば『こねこがにゃあ』を持ってくるし
おもちゃのレールの上には
車輪のついたおもちゃをありったけ全部乗せる。

わかってる。ちゃんとつながってる。すごいな。



子は鼻の頭にきゅううっと皺をよせて笑う。
幾筋も薄く皺の跡のついた寝顔を見て安堵する。
posted by YUKINO MATOI at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 子日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月17日

破壊の申し子、そして

子がいつの間にか黒くて丸いものを口に含んで遊んでいるので、慌てて吐き出させたら噛みちぎられたスヌーピーの鼻だったのは昨冬のこと。キティの実家から贈られた木製の車2台が2台とも見事にばらばらになり、おとなしく遊んでいるのかと思いきや「ぴしーん」とひどく鋭い音を響かせるので、驚いて駆けつけたら50cmのアクリル定規を引っ張り出して4つにへし折って振り回して遊んでいた。即取り上げた。今のところ怪我ひとつしないのはほんとうに何より。



母の啜るカフェインレスコーヒーに興味を示し、あんまりにも執拗に欲しがるので「にがいよー?おさとうもぎゅうにゅうもはいってないよー?」と言いつつ、どうせ嫌がって吐き出すだろうと口にカップをあてがってみた。舌に触れる琥珀の液体。ぺろりとくちびるを舐めて満面の笑顔。いやいやいやいやいやいやいやいや。もっと飲もうとするので慌てて取り上げて母が飲み干したら物凄く不服そうな顔。

金切声をあげてまで欲しがったキュウリに飽きて、最近のお気に入りはゆでたブロッコリに何もつけずそのままかぶりつくこと。止めずに放っておくと半株くらいは軽く食べてしまいそうな勢い。

おかあさんってもっと子に野菜を食べさせることに苦心するものだと思っていたよ。素敵に期待を裏切り続ける食欲。子育てとは本当に想像を遥かに凌駕することの連続だ。
posted by YUKINO MATOI at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 子日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

角田光代『八日目の蝉』

泣けた。
なにかを決定的に思い知らされるように
子を抱きしめてぼろぼろ泣いてしまった。



『空中庭園』といい『みどりの月』といい、だらしのない男、それを見限らない女、取り立てて魅力的なわけでもなく、どちらかといえばありふれた人たち、達観しているふりをして実は面倒なことに全力で背を向けている人たちに髪の毛をかきむしりたいほど苛々させられながら、それでも読み続けてしまうのは、そのありふれて生温く弛緩したかに見える日々の中にうずまるとんでもない地雷、あるいは底の知れない暗闇が決して身に覚えのないものではないから。否、知り過ぎるほど知ってしまっているものだから。人は例え食卓の下に深い深い深ーーーい穴がぼこんと空いていても、その上で笑って鍋をつつくことができる。その業の深さ。業を業と呼ばず美しく言い換えるならばいくらでも美しく換言できるけれど、ここではその光景はただひたすらに「どうしようもない」。

そんないつもの角田光代の「どうしようもなさ」に満ち溢れつつ、それ以上に『八月の蝉』は「母であること」「母になること」の果てしない絶望と希望に溢れかえっていて、今まで震えたところのない部分が震えるのを覚えました。

母親になることの取り返しのつかなさ。
胸に抱き取った子が刻む圧倒的な存在感。
今ならわかる。
子どもは本当に、強くて、もろい。
やわやわと頼りなく、ずっしりと確かなもの。
一度ここへ来たら、子どものいない日々にはもう戻れない。
無防備にぺたりと体を預けにくる人のいない日々には死んでも帰りたくない。
思い出してしまったもの。
お腹の中で子が動く、固くてぐにゃりとしたあの感触。

ぼろぼろと涙をこぼして本を閉じる母を不思議そうに見ながら、子はソファの上でぼふぼふと跳ねては「ぱぱー、ぱぱー」と笑っていました。

で、「男の人にはこのお話、どうなんだろう」と、キティに読んでもらうべく「不倫相手の奥さんの子を誘拐して自分の子として育てようとするところから始まる話なんだけど」と説明したら「えー、読まない」だそうです。

posted by YUKINO MATOI at 14:50| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

愛されれば愛されるほど

ぼろぼろよれよれになるのが幼い子どもの本のさだめ。

一度読んだだけで満足することはほとんどなく、「はい、おしまい」と裏表紙を閉じるとそのままくるりとひっくりかえして表紙を差し出してくること、少なくとも5〜6回。扱いも手荒なのでどんどん頁がよれ綴じがゆるみ表紙があちこち擦れてくる。

(だから母の宝物の絵本は
 決して手の届かないところにしまってあります)

目下のお気に入りは先述の『こねこがにゃあ』『あかちゃん はーい』いしかわこうじ、そして不朽の名作『ねないこ だれだ』せなけいこです。

幼い頃の母にとってもそうだったように、彼にとってもこれはいわゆる「教訓本」としては全く機能していません。だってどーーーーーう考えても夜更かししておばけに連れてゆかれるほうが楽しそうなんだもの。おばけが登場するたびに何度もなんども飽かずきゃあきゃあと大喜び。

子どもはみんなそうなのかと思いきや、ちゃんとおばけに怯える子も一定数いるのだとか。お話はおばけにさらわれてしまうところでぶつんと終わり、その先は一切描かれていないので、おばけが怖い子にとっては確かに恐ろしく救いのない話。夜に「おばけ」というだけで悲鳴を上げて泣き出す子も出るという、これは託児所で働いていた友人の話。うちでは大好きだけどね。そして当然のように夜更かし。それでも10時には寝ますよ?10時といえば数年前までは大学終わって校内でだらだらだべってさーて飲みに行くかね、ってやっとエンジン暖まってきたくらいの時間ですよ?そんな母も近頃は毎朝6時に起きてます。人間やればいろいろできるもんだ。
posted by YUKINO MATOI at 13:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 子日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月07日

不在

ドイツに来てまもない頃に新潟に地震が襲い
家族が、友人達が被災した。
同じ頃、親しかった友人のお父上が亡くなった。
私は、そこにいなかった。



時間は流れている。
出ていく時にあったものが
帰ってくるまでそのままである保証などどこにもない。



大切なひとがあぶないときでも
縁のあったひとが苦しんでいても
私はそこにいない。



この先もずっと、そうなのだろうか。



私をつないでいるはずの人たちから
自分の意志で遠く遠く離れて、5年。



ただただ早くそこを出てゆくこと以外に何も考えられなかった高校3年生、ひたすらに穏やかであった担任の先生が亡くなった。決して褒められたことではないことばかりしていたのに、不思議と一度も叱られたり諭されたりした記憶がない。まだ40代であったはずなのだが。



ご心配ばかりおかけしていましたが
先生、私は元気で、幸せに暮らしています。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。


posted by YUKINO MATOI at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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