2008年08月28日

分身

子に鏡を見せるのがあんまり面白くて
ちょくちょく遊んでいたら生後2ヶ月頃にはもう戸惑わなくなり
5ヶ月を過ぎた今ではもう、これが自分の顔、ということがわかっている様子。
僕が笑うと僕が笑う。僕がじたばたすると僕もじたばたする。
洗面所にある三面鏡を見せたら
僕が3人に増えて、どっちを向いても僕と目が合うので
それはそれは愉快そうにきゃあきゃあと笑っていた。母も楽し。
posted by YUKINO MATOI at 16:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 子日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

募集

三つ目が思いつかなかったので誰か面白いの考えてください。
相方キティが遅く帰宅したときの
ベタベタに見えて実はそうではない挨拶。

「あなたーお帰りなさい☆
 ご飯にする?(→ご飯作ってくれる?)
 お風呂?(子をお風呂に入れてくれる?)
 それともあ・た・し?(→ここ募集中)」
posted by YUKINO MATOI at 16:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

聞きまつがい

「そこの離乳食とって」が
「そこでイリュージョンして」に聞こえる
友人26歳新妻、凄い。

いや確かにここ5階だけど。飛び降りる?爆発する?
鉄鎖でぐるぐる巻きにした箱に入ってレマン湖に沈んでみる?
posted by YUKINO MATOI at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月25日

天気のいい日に戸外に出て
たかいたかいするの(子ではなくて私が)大好き
息子の笑顔と青空より他に何も目に入らない美しさ
posted by YUKINO MATOI at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 子日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月10日

ちからいっぱい

泣く。体中を震わせて、小さな家中に響き渡る声で。
適度に涼しくて快適なはずの室内なのに
シーツがしっとり濡れて色が変わってしまうほど
きらきらと汗だくになってわあわあと泣く。ほとばしる、声。
こんなにも全力でお腹の底から声を出すことなど
久しくしていないな、と驚きつつ、抱き上げる。

子の欲求は、いつだって率直でシンプルで力強い。
全力で欲しがり、全力で満足する。
喜ぶのにも悲しむのにも一切の妥協がない。
欲しかったものが叶えられたときのその顔は
少しのブレも中途半端さもない、幸せの塊そのもので
満ち足りているのが常態、という人間がいつも一緒にいる日々
考え様によってはとんでもなくアブノーマルな日々が
すっかり日常と化しているところに、また驚く。
posted by YUKINO MATOI at 03:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 子日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ところで

人って字をいっぱい並べると
ウサギの顔が鼻ひくひくさせながら横一列に並んでるみたいで可愛い。

閑話休題。

大多数の人が初めて名前を聞くような国がせっかくずらずらと登場するのだから
五輪の入場行進をテレビで中継する際には
下に小さく世界地図を出して「ココです」って教えてくれると嬉しいです。
posted by YUKINO MATOI at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月09日

人人人人人

昔バイトでとある大掛かりな中国史劇の舞台美術に関わったことがあります。
もちろん一人でではなかったけれど
舞台美術の世界に片足突っ込んで初めてお金をもらってやった仕事でした。
単位は多くて10とか20とかせいぜい50とか。
それを数人で夜なべ仕事でひいこら言いながら仕上げた経験が
記憶野にかなりくっきりと刻まれているもので
北京五輪の開会式を見ていたら
その呆れるほどの人数分の衣装やら帽子やら小道具やらを
一つ一つ工房ないし工場で黙々と仕上げてゆく厖大な手仕事の光景が
どうしたって人の海の向こうに垣間見えてしまい、くらくらしました。

衣装を着て動く人たち
(ああ、なんかもう「人たち」っていう言葉では軽すぎて全然そぐわない)にしたって
あれだけの人数を集めて稽古をつけるだけでも気の遠くなるような道のりだろうに
その全員に衣装を誂えメイクを施し控え室を確保し個々の小さな不備を処理した上で
舞台上には見せない部分まで含めて統率の取れた一連の動きをこなすなど
もうスケールが大きすぎて想像力の針が振り切れてしまいます。

その人の海の中に、例えば活字でウェーブつくるときに隣の奴とちょっと仲良くなった人、とか
奥さんが今分娩室で、もう生まれた頃かな、と思いながら踊ってる人とか
実はこんなお祭り騒ぎには参加したくなかったんで、ちゃちゃっと終わらせてやるさ、という人とか
参加した人数分の物語がびっしり埋め込まれているのだなあ。

一冊の本の中に無数の文字が並んで物語をつむぎあげ
その文字を拡大するとひとつひとつにさらに物語が書き込まれている
そんな物語の海に目を奪われていました。
posted by YUKINO MATOI at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月06日

子連れハイスクール

高校生の私は子を連れて学校に通っている。
授業は教室のすみっこにベビーカーを置いて子をあやしながら聴く。
一人(ということになっている)で子育てしながら
学業も続けるのはなかなか難儀なので
何人か世話好きの級友が代わる代わる子守をしてくれる、そんな毎日。
ある雨の降る湿っぽい日に子どもと体育の授業に出て
走り幅跳びの順番待ちをしていたら
なんと子が発した初めての言葉が「ぐんちゃん」という
子がよく懐いているクラスメイトの名前で
「ま、ママは?ねえママのことは?」と半泣きになって子をゆすぶると
子はそこだけが明るくなるような目でにぱっと笑って「ママちゃん」と呼んでくれるのだった。



体操着や運動靴の中に柔らかい砂がもぐりこむ嫌な感じとか
雨天用の運動場の薄暗い雰囲気とか石灰の匂いとかものすごくリアルで
目が覚めてもしばらくは自分がもうすぐ27になるということが信じられなかった。
ブルマ履いて走ってた頃からもう10年経つのね。
posted by YUKINO MATOI at 19:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誉れ

越後長岡で誇るべきものを一つあげろと言われたら
米よりも酒よりも日本海の幸よりも、花火。何を差し置いても花火。
長岡っ子は盆ではなく8月の初めに帰省するんだよ!だって花火が上がるから!
相方キティの仕事の都合と飛行機代の高さ(オイルが!オイルチャージが!)さえなければ
私だって8月に帰りたかったよ。

「ニコ動にUPしてくださった神がおわす」とぷりえさんが教えてくださったので
私も貼っとくことに。ぷりえさんありがとう!
ファンファーレとともに長めの前説が入りますが仕様なので気にしないでください。





あああああもうなんか私の大事なともだちみんな
誰一人として長岡の花火を見ないまま人生を終えて欲しくない!
ローマよりも三尺玉を見てから死んでくれっていう、それくらいの気持ち。
日本に帰ったら毎年何人かずつ順番に招待して花火接待申し上げようかと本気で思ってます。
posted by YUKINO MATOI at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月04日

味覚、刻まれたもの

本能に従って行動する、という能力は
必ずしも先天的に備わっているものではないのだ、ということが
生まれて間もない子を見ているとよくわかります。

快不快の区別はわかっても、その正体がわからない。
瞼が重いし頭もぼうっとするし、体もだるいのだけれど
それが「眠い」ということなのだから
そのまま目を閉じて眠ればいいのだよ、ということがわからない。
なんだかとにかく不快で、でもそれをどうしようもなくて、だから赤ん坊は泣くのです。
不快の正体が「空腹」だとはわからず
空いた腹を満たすためには口から何か摂らねばならない、ということもわからず
乳を含ませようとしているというのに泣き叫んでそれを拒む子を前に
途方に暮れつつも「そうか、この子は未だ『飲む』ということすら分からんのか」と
妙な納得をしたことも昔話となりました。
今や膝に抱いただけで笑顔になり、口を大きく開き
「早よ出せ」と言わんばかりに母の服をつかんで引っ張るのですから、大きくなったものです。



空腹でなければそれでよし、しかしおそらくは腹を減らしていて
しかも本人たちは大半がそれに気づいていないか
気づいてはいるけれど何を食べたらいいのかわからない、という状態で
「もしかしてお腹が空いてはいませんか?」と食欲を促され
ほら、世の中にはこんな食べ物があるしこんな料理もあるよ、といろいろ試食させてもらい
さらに、これはここに行けば食べれるし、もし家で作ってみたかったらレシピはここね、と
一人でも食事が続けられるような道筋を教わる。とても丁寧に、愛情こめて。
高校時代、一番好きだった倫理の授業とは私にとってはそのような時間だった。
先生の出してくれる料理はどれも美味しそうに見えたし
授業中に食べる分には、実際どの料理も美味しかった。
あとで一人で食べてみて、どうにも飲み込めないものにも出会ったけれど
いくつかお気に入りの味を見つけることが出来たし
空腹に気づかないままふらふらになって途方に暮れることも随分少なくなった。
食べても食べてもお腹が膨れる日は来ないけれど
ぺこぺこのまま高楊枝を決め込んでいた頃よりも
いろんな味を知った分だけ満たされているような気がする。
一年間の授業が終わるころには
先生がいなくてもどうにか一人で美味しいものを探して
一人で食べに行ったり、自分で作ってみたりできるようになっていた。
高校時代の恩師といえば、私にとってはその倫理の先生のことだ。
その後、グルメガイドの類には多々出会ってきたけれど
信頼にするに足る最初の道標は間違いなく高校2年生の1年間だった。
感謝してもしきれるものではない、と思う。

先生、不肖の教え子はこれからヴィトゲンシュタインを食べようと思っています。
今更、とか、言わないでくださいね。

posted by YUKINO MATOI at 05:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

連続、非連続

黄色の絵の具に少しずつ青を混ぜて緑色にしてゆくように
子の成長というのは途切れ目なく滑らかなもので
(妊娠中の日々膨らみゆくお腹がそんな印象でした)
改めて眺めてみなくてはなかなか気づきにくいものだとばかり思っていました。
うーん、前と比べてたら確かにだいぶ変わったよねえ、とか、そんな感じ。
毎日見てるからあんまり実感ないんだよね。

ふたを開けてみると
混じり気のない黄色の中に最初の青の一滴が零れるような
決定的に色の変わる瞬間を目の当たりにすることが
予想以上に多いのに驚かされました。
かっきりと引かれたそのラインを跨いだら
もうそれはそれは鮮やかな色をしているのです。
子と暮らしていると毎日がそんな調子で
新鮮でないものなど何一つないとすら思えて
母としてはその都度瞠目するよりほかありません。
posted by YUKINO MATOI at 04:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 子日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雪崩

水辺に向かって緩やかなすりばち状の斜面になっている芝生の底から
魚眼レンズで眺めたような地面のカーブに切り取られて
見上げる空がひたすら眩しく、心地よさに目を細める。

「これでいい」「これがいい」と思っていたはずのもの
肯定できていたはずの、望んでそうあったはずのものが
滝を打って崩れ落ちてゆく。
「これではいけない」のほうへ。
いくらかはそうなるであろうことを予想していたし
またいくらかはそうでなくてはならないのだろうと自分を納得させもしていたが
崩落の範囲といいスピードといい想定をはるかに上回ってしまったことには戸惑うしかなく
鏡の前で、昼下がりの公園で、夜明け近いベッドのなかで、呆然とする。

母親になったら朝が来るのが怖くなくなった、と友人が言っていた。
私はずっと朝が来ないことのほうが怖かったのだけれど
母親になったら朝が来ることを疑わなくなった。

その戸惑いが居心地の悪いものではないことが私を運ぶ。
前へ前へ。今日から明日へ。
posted by YUKINO MATOI at 02:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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