2008年01月25日

2008年01月23日

胎教に悪そうなのとそうでないの

悪そうなの2本、問題なさそう、どころか積極的に観るべきなの1本。

『タクシデルミア』
お馴染み町山智浩さんのブログからトレイラー見る限り
動物の解体と肥満体と大食い大会が出てくる映画ということしかわからない。
共産主義政権下のハンガリー。そして火を吹く男性器。なんだそりゃ。

『スウィーニー・トッド』
ティム・バートン+ジョニー・デップ=何も言うな、止めてくれるな、の映画。
低めの彩度に血の赤色が否応無しに「『スリーピー・ホロウ』再び!」を期待させる。
ドイツでは2月から公開。

“Be Kind Rewind”
妊婦が観ようが授乳中の女性が観ようがどこからも文句を言われる筋合いはなかろう。
ミシェル・ゴンドリーが満を持して放つセンス・オヴ・ワンダーの世界。
CGさえあればなんでも撮れるとばかりポコスカと量産された浅薄な「大作」映画群への
これは最強にして極上のアンチテーゼであり
物をつくる人間としての最も美しい矜持の示し方である。
口惜しかったらCGでこれより格好良いものを作ってみろ、ってことだ。
セロファンの海をゆく紙舟の美しさは鋏と糊でなくては作れないのだ。
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選択肢

カフェイン摂取で流産の危険上昇
1日コーヒー2杯でリスク倍に−米研究(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008012200058

1日1〜2杯のコーヒーなら問題ないというのが
私の見聞きした範囲内での定説で、それでも飲むのは週に1〜2度
それ以上飲みたかったらカフェインレスのコーヒーにしているのですが
どこのカフェに行ってもかなりの確率でそれがあり
カフェインレスの豆や紅茶だって簡単に手に入るのがドイツの幸せなところで
日本に帰っていた間は外での飲み物の選択肢が乏しく、悲しかったことを思い出す。
コンビニや自販機の飲み物だってホットといえばコーヒーか烏龍茶か緑茶くらい。
冬場など特に水やジュースばかり飲んでいるわけにはゆかないのだから
温かくて甘くなくてカフェインの入っていないメニューの充実を
飲料品業界の方、飲食業を営まれている方には切にお願いしたいものである。

posted by YUKINO MATOI at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月21日

聴こえているの

さっきからイヤホンでずっと菊地ダブ聴いてるんですが
珠也さんのドラムスと微妙にずれた裏拍で
不規則に中の人がとてん、とてんと振動しているので酔いそうです。



やっと引っ越し先が決まりました。
日当たりの良い1Kから庭付きの2LDKへ。万歳。
posted by YUKINO MATOI at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月19日

伊藤計劃『虐殺器官』

好奇心に勝てず、恐ろしげなものの放つ誘惑に勝てず
目を背けたくなるような話しか詰まっていないと分かっている箱を
視界の片隅に認知しながらも開けずにいる、という芸当もできず
開けてしまったあとは決まって途方もない恐怖と無力感に襲われるのは
幼少の頃からほとんど変わらない私の習い性。

夜中にたびたび悪夢にうなされて
あるいは寝付くことすらできずに泣き出す娘の扱いに困ったものの
闇雲に子どもの目や耳を塞ごう、とは少なくともせず
「その怖さを自分の力だけで処理できないのなら
 そんな話を進んで見聞きするのは止めなさい」と諭した母は正しかった、と思う。
それが親としてまた大人としての賢明さよりは
おそらくは「頼むから夜は寝てくれ」という切実さから出た言葉であったにせよ。



自らの望むものしか見ようとせず
知ろうとしない人を非難するのはたやすい、が
まだ世界のなんたるかさえ知らずに見開かれた目に映る世界は
可能なかぎり明るく美しく安全なものであってほしい、と願う心を
誰がどうやって責めることができるだろう?

「この世界が地獄の上に浮かんでいるなんて、
赤ん坊は知らないで大人になればいい」


暖かい部屋で清潔な布団にくるまり
朝目覚めてコーヒーを飲みシャワーを浴びて外に出る生活が
地球上の全ての人間に許されているわけではない、という事実に
あなたと、あなたの大切な人はどう立ち向かいますか。

耳にはまぶたがない、と誰かが書いていた。
目を閉じれば、書かれた物語は消え去る。
けれど、他者がその喉を用いて語る物語は、
目を遮蔽するようには自我から締め出すことができない。


タイトルの血腥さを裏切らないどころか
それ以上におぞましい光景が繰り広げられ
1冊平常心で読み通すにはかなりの図太さ、無神経さ
またはある種の耐性が要求される『虐殺器官』ですが
目を閉じ頁を繰ることを止めれば消え去る一つの物語として読むのか
クラヴィス・シェパードの喉から紡がれた物語としてまぶたなき器官で受容するのか
常にその判断を私たちに突きつけ続ける、極めて誠実な物語だと思うのです、これは。
posted by YUKINO MATOI at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月13日

そっと思い出して

リリースされるのを今か今かと待ち構えて
世に放たれたところをすかさず捕らえて味わうよりは
手の届くところにそれがたまたま通りがかったときに捕まえることのほうが
音楽にせよ映画にせよ書物にせよ圧倒的に多いので
愛してやまず、好きだと公言してはばからない人たちの多くに対して
あんまりにも失礼なほどに私は情報に疎く、新作に鈍い。

LLLHSのヨーロッパツアーだとか
菊地ダブの結成・デビューアルバムだとかを逃さずに済んだのは
稀にしか出会えない天体ショーの日にたまたま天気の良い戸外に居て
たまたま望遠鏡の持ち合わせがあった、というような素晴らしい精度で
偶然の針が私をぴたりと指して止まった僥倖としか言いようがないのだけれど
一昨年の夏に帰った時にはとっくにリリースされていたにもかかわらず
『教育』をチェックするのが精一杯で『大人』にまで手の回らなかった私が
昨年の暮れにたまたま東京事変の棚の前で立ち止まることになったのだって
同じような偶然の針の思し召し以外の何物でもなくって
どうしてこのタイミングで出会うことができたのだろう、と涙ぐみたくなるほどに
ラスト2曲の奏でる言葉がメスで切開して埋め込んだみたいに
胸の奥の深く深くで響き渡って、止まない。


posted by YUKINO MATOI at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月07日

歩く

■1月5日■

飯田橋から首都高の下をてくてく歩いて印刷博物館へ。
お目当ては『ドイツと日本の美しい本』展。
9月のブックメッセでも展示されていたので
お前は何をしにフランクフルトまで行ったんだ、と言われそうだけれど
それだけに集中して静かにゆっくり観られるのと
他にも洪水のように書物が溢れかえっている会場を
1日でなるたけ悔いのないようにまわらなくてはいけない状況で観るのとでは
心持ちが全く違うのであります。

地下の展示室に降りると入ってすぐのところに父子2人連れの姿。
ねえパパ印刷ってさあ、コピーが一番簡単なんでしょ?と言い放つ
小学校低学年と思しき男の子の姿が微笑ましい。
えーとですね、人類が有史以来連綿と続けてきた営みの結晶として
ボタン一つで欲しい書面が何枚でも複製できるという技術があるわけで
ここはそれを知るための場所なんであるよ。
まずはひとつそこのところをぐるーっと回って見て来たまえよ。
と心で呟きつつ、実際のところぐるーっと回って見る程度では済まず
迷いのない刃さばきで版木を彫る職人さんの胸のすくような仕事っぷりや
ライノタイプの素晴らしい重量感と複雑にして精緻なアクション、などに
(鉄の塊が動くのが大好き/熱い金属が鋳型に流し込まれて形になるのが大好き)に
いちいちうっとりしていたらいくら時間があっても足りないのであります。

1年半ぶりに会えた友達とだってもっとずっとだらだらと話していたかったけれど
御祝の品を頂戴したり豆本の折り方を教わったりしているうちに敢えなく時間オーバー。
日本に帰ってから何度となく愛しき友人たちと繰り返した
子をつつがなく産み落とした後での再会を約束し
新宿でマロンクレープを補給して夫の実家へ向かう。

■1月6日■

会えないかもしれないと半ば諦めかけていた知人に
ギリギリのところで連絡がついて
彼女と、暮れに生まれたばかりの彼女のご令嬢とに会うため築地へ。
幼子の眠る部屋独特の静けさの中で声を顰める大人たち。
腕の中で寝息を立てる小さく軽く弱いものに対して
胸に沸き起こる「可愛い」という感情が
いかに「不安」や「頼りなさ」「脆さ」「危うさ」と密着したものであるかを思い知る。

夜は人形町に移動して、昨夏一緒にバルセロナに行ったN夫妻と
マヨネーズが宙を飛ぶ店どれ味でふわふわのお好み焼きを堪能。
食事の後は少し歩いて水天宮へ。
夜のこととて生憎門は閉まっていたのでキティと4人、石段の下で柏手を打つ。
拝殿の前にこそ立てなかったけれど
これまで行ったどの神社よりも研ぎ澄まされた気持ちで頭を垂れる。
posted by YUKINO MATOI at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月05日

きらきら

私が生まれた朝の街 雪の中に埋もれた
それはそれは小さい手で青空をあおいだ
(YUKI「ふがいないや」)


長岡を発つ日は完璧な青空
積もった雪が洗い立てのシーツのようで
家を出る時も結婚する時も出なかった涙が
動き出した新幹線の中でぼろぼろ止まらなくて
まったく、ふがいない、です。

親になるほんの少し手前で
いい加減で我が儘で甘ったれた子どもの気持ちを残したまま
くたくたとないまぜになった居心地の良さと悪さの中で過ごす日々が
あんまりにも手触りが良くて暖かいものだから
これまでで一番離れ難い思いで新潟を後にしました。



ある程度の適応力を取り戻してから見る東京は
これまた身の置き所のないような賑々しさと
曇りのない空の清々しさとが一緒くたになっていて
何年か後にここに戻ってくるかもしれないことが
もう信じられないことでもイメージできないほど遠いことでもなくなっていて
ここに帰ってきてもどうにかやってゆける、と
3年半日本を離れてみてようやく思えるようになったのでした。
posted by YUKINO MATOI at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月02日

あけましておめでとうございます

日本に引き揚げる前に
ヨーロッパで是が非でも行きたい場所を一つだけ選べと言われたら
今なら間違いなくマドリッドのプラド美術館、と答えるでしょう。
小さな怪物たちが蠢き犇きながら
例外なくその全員が驚くほど満ち足りて集う『悦楽の園』。
心の底から愛され、肯定された異形のものたち。

真琴はただ、軽やかに上昇してみせればそれでいいんだよ。

(木地雅映子『悦楽の園』)


良い子に育て、と願う。
健康であれ、とも願う。
でも「普通の子」であれ、とは望まない。

ちょっとやそっとでは打ち破れないほど強固で
それでいて曖昧でくにゃくにゃとして頼りなく
このうえなく厄介で扱いづらい「普通」なる磁場の中で
君が自分の身の置き所を見つけられるようになるまでは
そこまでは私がちゃんと君を連れてゆく、何があっても。

だから、その先は君が自分で行きなさい。

魑魅魍魎の跋扈する世界
君自身こそが
君のかけがえのない人たちこそが
君をかけがえのないものと想う人たちこそが
魑魅魍魎であるのかもしれないこの世界は
立ち向かい方さえ間違えなければ
とても美しくて、楽しいところだから。

何が美しくて何が楽しいのかは
君が決めるべきことだから。

君は好きなように歩いていっていいの。

ただ、お願い。
どうか、なにものにも決して押し潰されたりしないで。
posted by YUKINO MATOI at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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