2007年07月31日

北方謙三『水滸伝』

歴史群像劇はとても好きなジャンルなので
日本に帰る人から譲ってもらった一巻〜三巻までを
あっという間に読み切ってしまいました。

なにしろあの北方謙三なので
とにかく「男くさい」以外の何物でもなかろう、とは思っていたけれど
だからってこんなにも女の人がぼこぼこ死んでゆく話だとは思わなかったよ!
これじゃ王進の母親以外全員死んじゃうじゃないか!

作中での女性の扱いが酷い作家、といえば
私の中ではダントツに高村薫なのですが
(作品の好き嫌いとは全く関係なく)
北方謙三の女の切り捨てかたもなかなかに酷い。
守るべき対象としての女性を得て奮い立つ男の姿
あるいは愛するものの死を乗り越えて闘う男の姿は
ハードボイルドのいろはのい、ということくらい解っているのですが
「強い男」と対比させるためだけに
「弱いがゆえに憂き目を見る女」とか
「うっかり好きになった男のせいで揉め事に巻き込まれる女」とか
とか、とか、とか…!
男の世界、なるものを描こうとすると
どうしてもこうなってしまうものですかねえ?

どう考えてもこのまま幸せには暮らし続けられそうにない
済仁美に幸あれ、と祈りつつ、続きはいずれ帰国したときに。
posted by YUKINO MATOI at 07:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月23日

分別

歩いていたら道端に仔猫が捨てられているとする。
1匹2匹なら連れて帰れるし、飼える。養える。
3匹。ちょっと躊躇する。
4匹5匹。さすがに大変かも、と思う。
10匹いたらどうだろう?20匹では?



目に飛び込んでくるもの全てに関わることなんて出来ない。
私の持つ力はあまりにも貧弱だ。使い道は限られている。

手を伸ばせる場所にあるものに片端から手を伸ばそうとして
結局どれもつかめなくなるのではないか。
あるいは一番つかみたかったものを取りこぼしてしまうような。

こわくはない。けれど愚かだな。もしそんなことになったら。

でも軌道修正の仕方がわからないのだ。



キティは両腕いっぱいの仔猫を抱えて途方に暮れたりしない。
目につくものにいちいち関心を示したり憤慨したりしない。
自分のことだけで頭がいっぱいなのかというとそうでもない。
その都度反応したりしない、というだけで
問われればちゃんと答えられる。
優先順位がつけられる人なのだ。



とても無関心ではいられないこと
無関心でいてはならない(ような気がする)ことが多すぎて
ねえ誰か私に遮眼帯をつけてください。
一つのものだけ見つめて走れるようになったら
もっと早くもっと遠くまで行けますか?
posted by YUKINO MATOI at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月21日

コーヒーキューブ

R0013288.JPG

コーヒーは砂糖を入れないほうが好き。
コーヒーは濃いめのをマグカップいっぱいに注ぐのが好き。
猫舌なのでブラックを適当に冷ましてから飲むのが好き。
冷めきったブラックは苦いだけで不味いので
牛乳を注ぎ足してアイスカフェオレにして飲み干すのが好き。

寒い寒いと言われていた欧州も
ようやく本格的に暑くなってきたので
コーヒーで氷を作って牛乳を入れて飲んでいます。美味しい。
posted by YUKINO MATOI at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真付き日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

南海キャンディーズ

しずちゃんの部屋にお泊まりにいく。
夜遅くまでおしゃべりしたり、雑誌を読んだりして楽しい。
時々、山ちゃんが仲間に入れて欲しそうにうろうろしているが
しずちゃんは一切相手にしないので、すごすごと帰ってゆく。

翌昼、クレンジングオイルを忘れたことに気づく。
取りに行くと、しずちゃんは昨日の雑誌の続きを読み耽っていて
「机の上にあるから勝手にとっていってや」という低い声で目が覚める。
posted by YUKINO MATOI at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月20日

37.3℃

地震のあった日から嫌な熱が下がらない。
喉が乾くのと同時に塩気ないし辛いものを体が求める。
先日日本から届いたキムチスープが救世主。
ああ、タイ料理屋でピーナッツの入った甘辛い炒め物もいいな。
中途半端な熱さと怠さを凌駕できるものが必要なのかしら。



チェスのルールを習ったときの驚きの一つは
攻守ともに最も優れている駒はクイーンであって
キングはほとんど何もしないし何もできない、ということ。
王が自分で自分を守らなくてはならないような国は滅ぶ。
無闇に動いてはならない。泰然としてあれ。

というわけで地震の起こった当日に
自ら動くことでなんら有効な手を打てるわけでもなく
被災者を安心させ復興にあたる人員を鼓舞できるほどの覇気もなく
ただ「安穏と遊説に勤しんでいるわけではない」と言いたいがために
のこのこと被災地に表れたどこぞの首相は大馬鹿者じゃなかろうか。



地震のあと、家族が無事であったことの次に嬉しかったことは
声を聞くことはおろか年賀状も寄越さず、長らく音信不通だった友人から
安否を尋ねるメールを拝受したことです。泣いちゃうかと思ったよ。



インフルエンザか肺炎か、という発熱ならともかく
じわじわ体力を奪っていく不快な微熱程度では
仕事を滞らせるわけには行かないのです。
だからキーボードも打つしメールもmixiもチェックするけど
決して親しくはない間柄で、しかも仕事上のメールで
二人称が「貴女」ってどうなの?

これが友人恩人からのメールだったら何も問題はないのだが。



ところで年明けに一時帰国できるかもしれません。
たぶん松のとれた頃くらいに。
年末年始を避ける理由は「長男の嫁」というあたりでお察しください。

posted by YUKINO MATOI at 03:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月17日

地面が揺れる

心配してご連絡くださった皆様
本当にありがとうございます。
長岡の家族は皆無事です。



鳴るはずのない時間に鳴り響く電話ほど寿命の縮むものはない。
朝5時半に息子夫婦を叩き起こしてまで
義父が伝えようとしているのはどれほどの非常事態なのかと
受話器を握るキティの後ろで努めて冷静に深呼吸。



避難所生活だのインフラストップだの散乱した家財道具の片付けだの
そんな経験を身内がするのは一生に一度で沢山だと思っていたから
数コールで元気な声の祖父に繋がったときには心底ほっとした。
金魚鉢の水がこぼれたくらいだから被害はゼロといってよく
ひとまず安心して再び布団に潜り込むことが出来た。

強い余震が続いているとはいえ
それが過ぎ去るまで車や体育館での寝泊まりを余儀なくされるのと
自宅の屋根の下で風呂もトイレも使えるのとでは大違いだもの。



起きてからは友人知人の安否確認と
他地域の被害状況の確認。そして再度ゆっくりと実家に電話。
「地震を口実に娘の声が聞けた」という浮かれ気分を
少しも隠さない父はとても素直な人。
そういえば自分が肋骨折って入院したときもそうだったよなー。

ともあれ、1秒でも早く余震が収まることを祈ります。
posted by YUKINO MATOI at 04:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月11日

風と三月

『風とライオン』と『三月のライオン』
ときどきタイトルを混同してしまう2本。

『CURE』と『CUBE』とかね。



羽海野チカ新連載、タイトルは『3月のライオン』

というのを聞いて瞬時に思い浮かべたのは
記憶を失くした兄と兄に嘘をつく妹の物語。
5秒のち、「……あってる?」と確認。

しかし公開10年近くも経って何の脈絡もないこのタイミングで
敢えてコミカライズされるわけもなく、将棋のお話でした。
そういえば知人のお連れ合いのかた(棋士)が
随分前に取材を受けたと言っておられたっけね。

ベルセルクとかDMCとかと羽海野チカが並ぶことに
私は違和感を覚えません、が
ハチクロで涙した女子のうち
アシスタントの「塾長」さんにも看護婦の「魁生」さんにも
「ローレライシステム発動!」にも反応できなかった層が
アレを手に取るのか…と思うと、その反応は是非見てみたい。

しかし今から連載開始ということは
帰国(予定)時にはまだ単行本は出ていないなあ。
かといって1巻が出る頃まで帰れない、というのもちょっと嫌ですが。
posted by YUKINO MATOI at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月10日

痛点

心身の動かしかたや鍛えかたを教えるのがキティの仕事なので
自分や選手の体のことはもちろん、私の体のことも
この人はもしかしたら私以上によく解っている。

疲れが足に来ると、骨張った指で力いっぱい足裏を圧してくれる。
あまりの痛さに暴れ出したくなるのを
歯を食いしばって堪えなくてはいけないほどなのだが、効果は絶大。

人の痛点を見抜いて、そこを刺激するのが巧いのだ。

外には出ない/出さない(と少なくとも自分では思っている)弱点
身内でない方からは極力隠しておきたい部分をよく見ているので
仕事に関してもキティに突っ込まれるのはかなり痛い。

夏休みの宿題の頃から今の今まで
締切り間際に焦らなかった覚えがほぼ皆無な私は
ましてや締切りのない仕事となると非常識なほど作業が遅い。
その怠惰さを率直に批判されたのがズキズキ効いて
ここ数日はミシンに向かう時間がぐっと増えた。

手間暇かけて実のある仕事をすることと
仕事が「早い」こととは両立し得るのだよな。
肝に命じます。
posted by YUKINO MATOI at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月08日

LIVE EARTH

お祭りは大好きだ。
それが音楽祭となればなおさらだ。
でも、こんな仰々しいライヴを世界のあちこちで同じ日に開催して
そこに時差の向こうからアクセスしている人が山のようにいて
そのために莫大な金と資源が投入されていることへの反感は強い。
だって、本当の目的がそこにはない、ということは明白なのだもの。

危機が相当なところまで差し迫っているという話が本当ならば
自分たちの生死の問題として、それを真剣にどうにかする気があるのなら
どうして誰ももう少し実効性のある金とエネルギーの使い方を思いつかないんだ?

これでは「環境問題に取り組む」という行為が
いつまでたってもお上品な趣味の域を出ないではないか。

明日になったらライヴのことなんて楽しかった昨日の思い出にしかならない。
思い出では発電はできない。
思い出は1mgの二酸化炭素も吸収してくれない。
でも、私たちのこよなく愛する音楽とはそもそもそういうものでしょう?
地球のためなんてお題目をつけなくたって、はじめから美しいものでしょう?

音楽は音楽にしかできないことをやるべきだ。

森が増えようが減ろうが知ったことではない、という人に
雀の涙ほどでもいいから注意を喚起する、という点では
この手のイベントは決して無力ではない。
しかしですよ、意識の向上と改善への努力を世にアピールする手段は
このご時世、なにも音楽だけではないのです。
そこを敢えてコンサートで、ライヴで、というならば
最低限、例えば会場の照明の出力を極端に落としてみて
その中できらびやかではないけれど抑制の利いた演出を模索する、とか。
で、それを見にきた人にしっかり印象づける。
このイベントに参加するアーティストたるもの
それをただの省エネに見せないするくらいの才覚は持ち合せていて欲しいし
そのくらいの努力くらいはしてしかるべきでしょう。



で、そういう理念云々を差し引いても出演者多過ぎ。
細切れのパフォーマンスを一日中つらつらと並べるくらいなら
アーティスト数を半分に減らして
もっと見応えのあるステージにして欲しいものです。

いろんな意味で過剰なのです。
posted by YUKINO MATOI at 05:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月07日

見知らぬひと愛しいひと

夢の中の「私」はときとして
目覚めているときの私とは別の人間なのだが
そのことに気づくのはいつも目が覚めてしばらくしてからなので
そのたびに、わずかな(あるいはとても長い)時間を
私ではない何者かとして駆け抜けてきたことに淡い感慨を覚え
ここではない世界の残滓がまだ体にまとわりついているように感じ
もしかして戻れやしないかと、そっとふたたび目を閉じる。

ある夜のこと。
私よりは10歳ほど若く、私よりもずっと髪が長く
私に似て中途半端に計算高くてそのくせ嘘の下手な「私」は
「私」のことを好いていてくれた、とても優しい人を失って泣いていた。
私にとってはもちろん見知らぬ人なのだけれど
「私」にとっては得難い友人であり、理解者であり、憧れの対象であり
「私」の狡さと彼の誠実さと、わずかだけれど決定的なタイミングの拙さのせいで
恋人同士にはどうやら永遠になりそこねた間柄らしかった。
夢の中で始まった戦争にやがて彼は徴兵されて前線へ赴き
不穏な空の下、「私」は疎開先の山村で遠い愛しい人を思って泣いていた。

眠っていないときの私の世界との近似点が多い夢を
現実的な夢と言うのならこれほど非現実的な夢もないものだ、が
最後に彼の残してくれた心遣りは不思議なほど切なくまた嬉しく
それだけに悲しくて悲しくて自分の愚かさを悔やんでも悔やみきれなくて
その日は一日、夢の中の見知らぬ彼が亡霊になって心に居座ってしまったほど。
例え「私」にとってどれだけ愛しくとも、私にとっては本来なら
「客観的に判断して魅力的だけれど恋愛の対象にはならない人」だっただけに
目が覚めてからもこんなに心を痛めてしまっている自分に驚く。
夢でまた逢えたらとまではさすがに思わないけれど
今度見かけたらどこから来たのか聞いてみたいなー。
posted by YUKINO MATOI at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月04日

凛々しい人がすき

尊敬してやまない人、イラストルポライターの内澤旬子さん
これまでポートレートを拝見したことがなかったので
どんな方かは想像に任せるしかなかったのだけれど
先日『情熱大陸』に出演されたとのことで番組サイトを覗いたら
ものすごーーーーーく好きな感じのとても凛々しいお顔で
ますます目の離せない人となる。

さらに同番組の感想を書いたブログなどを訪ね歩いていると
私と同じ理由で内澤さんを愛している人がいて嬉しくも心強い。
雨脚の強い、暗い寒い誰もいない夕暮れ時の憂鬱が晴れた。

断定の形でなんでもかんでも物事を批判することや
そういう物言いをする人が私にはどうしても苦手なのは
「断」って「定」めるという字の如く
断定する事で切り捨てられる部分に対しての執着であったり
切り捨てることによって何かを失うこと
何かを得られなくなることへの怯えであったりするのだが
内澤さんの仕事には「拾えるものは皆拾ってゆこう」
「そしてそれを人に伝えよう」という姿勢がある。断定しないのだ。
伝えるという行為に対しての責任感はあるが
伝えようとする内容を感情的に盛り上げたりはしないし
自分の都合に合わせて編集したり省いたりもしない。

議事録の類を書いたことのある人ならわかるかもしれない。
物事の全てを漏れなく記録したり報告したりするのは
想像以上に骨の折れる作業なのだ。
効率よくまとめたければ要点だけを事務的に拾っていくか
観点を定めてそこから重要と思われるものを優先的に記せばいいのだが
内澤さんはそういうことをしない。
内澤さんの目の届く範囲で目に入ったものを逐一絵におこしていく。
過半数の人が素通りしてしまいそうな提議でも
律儀に描き留めてしまう。
手間がかかっている、などというものではないし
そこには対象への並々ならぬ敬意と愛情があるはずなのだが
筆致はあくまで飄々としていて説教臭さや嫌味がない。
なにより、内澤さんは間違いなく
この仕事が面白くて面白くて仕方ないはずなのだ。



というわけで、秋に来独する両親に買ってきてもらう本は
密林.comのランキングでも堂々の一位を獲得した
『世界屠畜紀行』『センセイの書斎』に決定。
あとは文庫本をもう何冊かと草花木果の石鹸と
大島椿油とお祖母ちゃんの梅酒だけ(だけ?)
持ってきてくれたら何も要りません(甘えるな)。
posted by YUKINO MATOI at 09:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わたしはきっと長生きする

「体が弱く病気がちな人は案外長生きするものだ」という俗説。
自分の体が頑丈でないことを良く知っている人は
それゆえ体の小さな変調にも気を配るし、医者にもこまめに通うし
日頃から健康管理を怠らないようにするものだから、というのが理由らしい。
体の弱いことを思い悩みがちな人を安心させるための方便のような気もするが。

精神的にも肉体的にも決して丈夫とは言えず
片方の不調が簡単に片方に感染してしまう私は
自分が今「危ない」のかどうかということにとても敏感で、臆病だ。
だからきっと長生きする、と思う。親類縁者はみな長命なのだし。



それにしても注意報が発令される条件が緩過ぎやしないか、とは思う。
我慢ができないというか、耐性が低すぎるというか。
何かあったときに抵抗できる力を、もっと身につけなくては。
posted by YUKINO MATOI at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月02日

低温

求める世界の断片を絵画の中に探す。
答えはもうとっくに出ているのだけれど
額縁の中にそれを肯定してくれるものがあるような気がして。



物理的には大して遠くないにもかかわらず
思い立ったらすぐ行く、ということができないのがバーゼル。
途中までの景色はとてもなだらかで牧歌的なのに
国境が近づくにつれて急に駅が寂れ、線路脇の街並が曇ってくる。
白壁や赤い屋根瓦が消えて、廃屋や放り出された工事現場が目立つ。
おまけにバーゼルに行くと決めた日は決まって天気が悪い。
駅に着くころにはいつも少し疲れていて
旅先でホームに降りるときの高揚感があまり、ない。
駅前でユーロをフランに替えて、一旦歩き出してしまえば
そんな憂鬱さも気にならなくなるのだけれど。
あといつも救われるのは路面電車。
この街の路面電車は、旧型はもとより新型車両にも
鉄を強くイメージさせる濃い緑一色のデザインが採用されていて
幅の狭い車体がゴトンゴトンと駅前に向ってくるととても嬉しくなる。



Fondation Beyelerで開催中のエドヴァルド・ムンク展に行く。

bild_meadchen.jpg Prag_Tanz_500.jpg

この美術館の前庭には睡蓮の咲く池があって
池に面したガラス張りの展示室にはモネの「睡蓮」が飾られている。
水面がその時々の天候を映してゆらめくのを見ながら
壁一面の「睡蓮」を、しかも窓からの自然光だけで見られるのが名物。



雨に混じって少し日の差す午後に観るムンクの絵は
乳灰色を混ぜたような淡い色の支配する世界の中で
黒っぽい木立や人影がぽつりぽつりと佇んでいた。
澄んでいるのに輪郭が不思議とつかめない。
とても遠くに見えるのに、直接体の中心に沈み込んでくる。

背中を向けて海を見つめる白いドレスの人。
窓辺に頬杖をついて暗闇に目を凝らすシルクハットの紳士。
病に臥した子どもの、透き通るように明るい頬。
ぼんやりとした水面にそこだけがぽってりと強い月の影。

「光」そのものではなくて、その「光」をそっと見つめる眼差しと
「光」を取り巻く不確かな、手触りの無い、でも確かに「暗い」もの。
ぴかぴかと眩しい、くっきりとした明快さや朗らかさではなく
ずしりと黒く重く、拭い難く濃厚な闇でもなく
夏の白夜のような、あるいは冬の日中のような
ぼんやりとした暗がりの中のグラデーションを丹念に追ってゆくような感じ。

研ぎ澄まされた目を、筆致を。
そっと注ぎつづけても温度は上がらない。
手を伸ばしても届かない。
それでも暗がりから光を追い続ける。
光の中には出てゆけないから
明るいばかりの光は強すぎるから
柔らかな暗がりの中からそっと、注ぎつづける。

寒い国の人が描く絵だ、とはぐちゃんが言うから
ムンクの描く海や光はもっと冷たいのかと思っていたよ。

温度が低い、ということと、冷たい、ということは同じではない。
それは、明るく照らし出された世界の暖かさとも無縁なかわりに
身を切るような厳しさや凍てつく痛みとも無縁な、静かな世界。
穏かに寂しい、安らかな世界。



バーゼル市内の雑貨店で
すべすべの真っ白な小鳥を買ってもらって帰りました。

R0013213.JPG

どこから見ても可愛い。ふっくらと生意気そうな顔も尾羽も。

R0013211.JPG

posted by YUKINO MATOI at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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