2007年06月11日

止まらない

2年ぶりに見るサグラダ・ファミリア。

R0013013.JPG R0013003.JPG

工事開始から今までの時間を思えば「たった2年」と言ってもいいはずなのに
その僅かな時間で確実に大きくなっている。
真新しい真っ白な塔が増え、内部の装飾も進んで一層美しい。
本来は献堂式を済ませなくては教会は神の家には成り得ないのだけれど
この大聖堂に限って言えば、たゆまず建設が続けられ
常に成長し続けている樹木のようにそこに立っているだけで
教会としての役割を果たし得ているのではないだろうか。

時の権力者ではなく、一人の建築家が描いた巨大な塔が
貴いリレーのように多くの人々の手を経て形造られていく過程は
何度見ても奇跡としか思えないほどの美しさに満ちている。



サン・ジュゼップ市場の中で
魚介類盛り合わせがたまらなく魅力的な店を見つけて、昼食。
火を通す前に「これからこいつらを焼きますよ」と
いかに新鮮な素材かを大皿に山盛りにして見せてくれて
それを目の前の鉄板で焼き上げてビールとともに出してくれる。
味付けはシンプルに、オイルと塩胡椒、パセリ、ニンニク、レモン。
店内にある加工食品といえば飲み物とサラミとピクルスくらいで
それ以外のものは全てその場で原材料からてきぱきと調理しているので
口に入る物としてはこの上なく安心できるし、見ていて気持ちが良い。
もちろん美味なのは言うまでもない。
貝殻も皿も猫のようにぴかぴかに舐めてしまいたいくらい。
サービスで出てきた自家製オリーブの酢漬けも小粒ながら絶品。
そして店員さんの一人が三谷幸喜に酷似!



食事を済ませて一同解散。夕食まで各自自由行動ということになり
海岸に向けて歩き出したランブラス大通りにてエドワードに遭遇。
歓声を上げて駆け寄ったら髪を少し切ってくれました。
もちろん一緒に写真も撮ってもらいましたよ。

R0013016.JPG

2007年06月10日

再び、ピレネーを越え

学生時代の二大後悔を挙げるならば語学と旅行。次点が映画と読書。
持て余すほどではないにせよ時間があり
金はなくとも学割その他もろもろの特権があり
利用できるものがそこらじゅうに転がっていた4年間。
とはいえ、後悔が後悔として疼くのは、例えば現役の学生さんと話していて
「いやー語学は頑張っておいて損はないぜー?」などと偉ぶってみる時くらいで
取り返しのつかないことをした、とまで悔やむ必要は実際のところ、ない。
6月、二度目のバルセロナへ行くのを皮切りに
この夏もお金と体力の続く限り動き回ろう、と決める。



親しくお付き合いさせて頂いていたNご夫妻が6月末に帰国するので
それまでに皆で一度旅行に行こう、と計画が始まったのが半年前。
半年かけて旅行の準備をするなんて
私にしてはとても珍しいことだったから
万難を排して旅行に臨むための努力は惜しまなかったつもり。

直前に急ぎの仕事が入り、その上ひどい風邪を引いて
動けなくなった時にはどうなることかと思ったけれど
毎日少しずつしか仕事を進められなくなってしまったことが
結果的に幸いしたのと、キティの尽力の甲斐あって
こつこつと地道に仕事をするのが本当に苦手な私としては
これまた珍しく、どうにか着地させた上で旅立つことができました。

出立前の荷造りも完璧なら、部屋の掃除も完璧。
おろしたての靴もぴったりと足に馴染んで、天気は快晴。
こんなにも軽やかに旅を始められるなんて、初めてのような気がします。



初日は昼前にフライブルクを出てフランクフルトへ。
ルフトハンザに揺られること2時間でバルセロナ。
2年ぶりの赤い大理石のロビーも、茶色い山肌も、海の匂いも全部嬉しい。
夕暮れの港を見ながら食べた貝とパエリアの美味しさに
ただただ満たされてゆく思い。
また来ることを切望していた場所を再び訪れることが出来る。
また見ることを切望していたものに再び相見えることが出来る。
欲望こそが私を支えている、という事実とともに
烏賊墨に染まった米粒を咀嚼して飲み込む。
ああ、なんて柔らかくて身の厚い烏賊なのかしら、と溜息をつきながら。

2007年06月05日

矛盾・六ヶ所止めましょうよ企画

坂本龍一氏による"STOP ROKKASHO"プロジェクトに
この度、ご縁あって関わることになり
買付の仕事の合間に
武田徹『「核」論 鉄腕アトムと原発事故のあいだ』を再読しています。

公式には私の立場は
「青森県六ヶ所村にある核燃料再処理工場による
 放射能汚染の危険性を訴える」
というプロジェクトの主旨に賛同した人間、ということになります。
が、本音は実はちょっとずれたところにあって
プロジェクトの公式ウェブサイトにリンクを貼らず
武田氏の本には貼る、というのも、そのささやかな表明のつもり。

(興味のある方はSTOP ROKKASHOで検索してみてください)

(そもそもこの公式サイト、危機感を強調するための配色なのでしょうが
 目がチカチカするし肝心な情報は載せてないし、もう暴力的ですらあります)



 反核運動みたいなものが、
 結局、どういう成果をあげてきたかというと、
 ぜんぜん、成果をあげてきていません。
 反核運動をやろうとするのはえらいかもしれませんが、
 やってると、すぐに生き甲斐になってしまうんです。
 かえって臨界事故みたいなものが起きている。
 そんなにダメな運動だったら、
 もう、やりかたそのものを変えたほうがいいという、
 そういう論理的な展開が、ぼくの考えです。
 事実として、運動の効果がここまでなかったら、
 やりかたが間違えているんだろうという考えが、
 あって、しかるべきだと思うんです。

 (ほぼ日刊イトイ新聞 武田徹インタビュー
  「ポジション・トークに気をつけて。」より)




東北電力の広報によれば
胸部にレントゲンを受けることによって浴びる放射線の量は
1回あたり0.1〜0.3ミリシーベルト。
1年間に人が受ける放射線の世界平均、2.4ミリシーベルト。
全身CTスキャンを一度受けると
7〜20ミリシーベルトの放射線を浴びる計算になるが
200ミリシーベルト未満の放射線被曝による臨床症状は確認されていない、という。
ただし、どんなに微量であっても例えば妊婦へのX線が避けられているのは事実。

これに対し、日本の原子力発電所からの放射線放出量は年間0.001ミリシーベルト。
一方、坂本氏の主張では、六ヶ所村の再処理工場からは
この年間放出分の「放射能」がわずか1日で放出されているという。
1年間浴び続けてもCTスキャンを1回受けるよりは1桁少ないのだが
そういう具体的な例や数字に基づく根拠を挙げずに
再処理工場は怖いんだよ!という安易なイメージのみを語るのはフェアではない。
かといって、最悪中の最悪の事態が起こった時のことを考えれば
放射線放出量の少なさだけを根拠に「『だから』安全なんですよ」
という主張もあんまりにお粗末だ。



STOP ROKKASHOプロジェクトの説明の足りなさ
展開の安易さには賛同しかねるけれど
少なくとも「今までの反核運動みたいなもの」からは
わずかでも脱皮しようとしている姿勢が見えるように思い、参加を決めました。

事故は起こり得るもの、完全には防ぎ得ないものであることを前提に
考え得る限り最悪の事故が起こったとして、それがどこまで甚大なものなのか。
それを計算に入れた上で、そこまでして使う価値があるものかどうか。
使う価値がある/ないという判断の根拠、その妥当性。
使いたくないし、もう使わない、と判断することにどこまで現実味があるのか
現実味がないとしたら、どうやったら現実味を持たせることができるのか。
そのために必要な仕事であれば私、頑張りますよ、というスタンスで行くつもり。



どんな痛ましい飛行機事故の後でも(2001年9月11日以降でさえ)
旅客機に乗る人の数は減りはしても決してゼロにはならないのは
十数時間で太平洋を渡りユーラシア大陸を横切り
椅子に座って眠ったままでも旅ができるような乗り物が他にないから。
例え落ちるかもしれなくても、摩天楼に突っ込むかもしれなくても
そういうものに乗って移動することが多くの人にとって必要なことだから。

その意味で原発は飛行機とは異なる。
電気は必要だけれど、他に発電の手段があるのならば
こんなにも扱いに困るゴミを出すような発電所を
わざわざ稼働させなくたっていいじゃないですか、と言いたい。

そして、「危険」なものをいたずらに怖がって遠ざけようとするだけの人
そもそもの電力消費量をなるたけ減らしてゆくことに関心の低い人
六ヶ所の海でサーフィンするのは気分が悪いだなんていうくせに
人間ドッグでCTスキャンを受けるのは抵抗のない人にも文句を言いたい。



ところで資料をいろいろ読み集めていたらこんなの見つけました。
http://store.yahoo.co.jp/mono-pets/sv-010.html
「隣国ミサイルや、テロ、原発事故などでの生存率を高めるアイテムです」
という売り文句がかっこよすぎます。
posted by YUKINO MATOI at 06:17| Comment(6) | TrackBack(0) | 考え事の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月01日

補給

コニー・ウィリス
『犬は勘定に入れません あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』

一年ほど前にプレゼントしてもらっておきながら今更読了。
蛇足として、この本は一度日本から発送されたのちに迷子になり
送り主のもとへ出戻ったあと昨夏の帰国時に改めて受領。
という長旅を経て手元に届いた本なので読後の高揚感もひとしお。
送り主様にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。



手をつけそびれていた言い訳をするではないが
晩春から初夏にかけての、つまり今くらいの季節に読むのが正解。
通勤通学のお供よりも、寝る前のナイトキャップ代わりよりも
天気のよい休日の午後をたっぷり使って、行楽気分で読むのが素敵。
上等のお茶とクッキーでも用意してゆるりと読むとなおよろしい。
願わくば、これでお茶を注いでくれるのが穏やかな痩身の執事だったら。

古き佳き時代へのオマージュと風刺。
ボンネット、河下り、日傘、芍薬、そして猫。
最近出会った本が残念ながらどれも中途半端だっただけに
ストーリーから設定、道具立て、筆致(訳者の大森氏に最敬礼!)と
隅々まで上質感がゆきわたっている佳作。
こういうのが読みたかったのであるよ、と乾きが癒されてゆく思い。
特に猫を愛する人間への訴求力という点では
これを越える作品はちょっと思いつきません。
ウェルメイドでヴィクトリアンで猫が可愛い。最高。

で、読んでいくうちに件のヴィクトリア朝花瓶がいかなるものなのか
比較対象として挙げられているものから類推はできるのですが
やっぱり実物の写真でも拝みたくなるのが人情というもの。
しかしググッてみてもオンライン書店か
「主教の鳥株がなんなのかわかんないんですけど」
といった旨のこの本のレビューにしか行き当たらず
英語で検索してみても同様で、もどかしいですよー、ということを
実に多くのブロガーさん並びに書評家さん方が書いておられます。
ということを知っている私も、ええ、もちろん探しましたよー。

そしてネッドくんの境遇がとても人ごととは思えない、に一票。
友人のところに掌に乗りそうなほどの仔猫がやって来たので
猫成分を補給するべく、近々愛でにゆくつもり。
posted by YUKINO MATOI at 04:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。