2007年04月20日

限定したくない

最初は、ただ強くなりたかったのです。
精悍さ、逞しさが欲しかった。
それで、男の子になりたいと願ったけれど叶いませんでした。
無駄な抵抗をやめて言葉遣いを改め、きちんと食事をとり
やがてスカートを穿くのも案外楽しいことに気づきました。
今でも男性用の靴や服や小物を身につけるのは大好きですが
銘仙の着物やレース、ワンピースや花柄のシフォン、なども同じくらい好きで
服装や言動や思考を「可愛い」と褒められるのもとても嬉しい。
性差を意識せずに人と触れあうことが出来るととても快適に感じますが
異性としてはっきり意識した態度を取られることを望む場合だってある。

極めて恣意的で我儘だということは自覚しているのです。
それでも自分を限定したくはないのです。
posted by YUKINO MATOI at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何でもできると思えるほど傲慢ではない

例えば私は生物学的に父親になることはできない。絶対に。
下腹部にメスを入れることなく子を育まない身体をつくることもできない。
2007年現在、日本で法的に認められている方法にのみ従うなら
自分の子宮と産道を用いずに血のつながった母親になることもできない。

それでも思っていたいのだ。
行きたいところがあればどこへでも行けると。
身体は行けなくとも、せめて魂は。創造力は。

確かに子どもは欲しいし胎内で育んで産み育てたいとも思うが
女であるというだけで期待され、割り当てられ
外部から規定されているところの役割に対しては
逆らってみたくもなるではないか。
自分に備わっている機能を稼働させることに異議はないが
引き受けた覚えのないことまで押し付けられては
反発したくもなるではないか。
なまなかな覚悟では行けない場所に行くのだもの
行くのならば自分の意志で選び取りたいではないか。
posted by YUKINO MATOI at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

禁止事項

一方的に無意味かつ無遠慮に他者に押し付けてはならないもの。
憧れ 理想 印象 役割 立場 定義 意味
指針 思想 価値 判断 意志 規律 解釈 などなど。


コモン・センスという意味合いで「普通」というのは構わない。
平凡、特記に値しない、という意味での「普通」も構わない。
しかし、少数派に対する多数派を指す言葉として
「普通」といってはならない。
posted by YUKINO MATOI at 06:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一方通行

自分にないものを求めるのは人の道理だ。
憧れようと美化しようと理想化しようとその人の勝手だ。
ああ、でもその憧れや理想を一方的に押し付けられるのって
なんて気持ちが悪いんだろう!



ケース1。

外国の人が日本を好いてくれるのはもちろん嬉しい。
その好意が誤解に基づくものでも構わない。
スシとアニメとゲイシャの国だと思ってくれていい。
でも、わかるでしょう、長所しかない国なんてないの。
美しいところと醜いところ、両方あるの。
あなたの国がそうであるように。

だから上手くゆかないこと全てを自分の出自に押し付けて
「日本人に生まれていたらもっと幸せだったのに」
なんて言われたって困るのです。



ケース2。

持論と重なる部分があり、さらに新しい示唆によって
己の理解を深めることを助けてくれる本と
持論とは全く異なる主張に貫かれているために
それに反発した結果として己の理解を深めることができる本があり
中沢新一『野ウサギの走り』は後者でありました。

よく考えると中沢新一に反発しているわけではなく
中沢新一の書く「モチーフとしての野ウサギの位置づけ」や
中沢新一の解釈する「バリ・ヒンドゥーにおける女性の扱い」に
反発を覚えているだけなのかもしれませんが
それにしても、振幅の激しいものや制御不能なもの
不安定なもの凶暴なもの不可視なもの清らかなもの穢れたもの云々
そういうものを全部「女」の側に押しつけて済ませないでほしい。
そちらの都合で勝手に崇めたり貶めたりしないでくれ、という憤りは
『ダ・ヴィンチ・コード』の読了感に良く似ています。

1986年の本なので中沢氏も36歳。
当時までに女性といろいろあったらしいことは本文中でも明かされています。
そう思って読むとなんだかとてもギラギラとして生臭い。
だいたい著者近影がもう赤の他人でも恥ずかしくなるくらいに青臭い。
ほぼ日刊イトイ新聞「はじめての中沢新一」のほうは
そんなしがらみなどは感じさせずに平易に読めて悪くないのですが。
posted by YUKINO MATOI at 06:10| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月19日

吉野朔実『瞳子』

四半世紀も生きているわりに
葬式に出た経験がまだ2回しかないのは
とても幸運なことなのかもしれない。

(2人、見送りたくても送れなかった人たちはいたのだが)

曾祖母のときは学校の制服に黒いハイソックスで参列した。
バイト先の社長の御母堂が亡くなったときには
手持ちの黒い服に合わせて新宿でバッグを買ったその足で通夜に出た。

昨夏、夫の実家で法事があった。
母から渋い朱鷺色の数珠を贈られた。

日本に帰ったら喪服を揃えておかなくてはなあ、と思う。
この先、大切な人たちが私よりも先に逝ってしまったときに
袱紗がないだの靴がないだの、そんなことで取り乱したくはない。

人は必ず死ぬということは知っている……
でもそれがどういうものなのかは知らない……
いつか 知るべき時までは……(吉野朔実『瞳子』より「お葬式」)


いつか知るべき時が来たときのための黒の一揃え。
いつか必ず死んでしまう人たちへの最低限の礼儀は
その日のずっとずっと前から必要なのだ。
posted by YUKINO MATOI at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月18日

あたらしいもの

言葉のやりとりをキャッチボールに喩えることがあるけれど
キャッチボールでは物足りないときも少なからずある。
投げて寄せられたものが自分の手の平に収まるだけでは物足りないのだ。
できればそれを咀嚼し、味わい、飲み込んで消化し、涵養したい。

「世の中にはそういう風に考える人もいるだろう」
ということを相互に確認して終わることしか出来ない議論は
不毛とは呼べないにしても、寂しい。
対話の相手に自分が敬意なり好意なりを抱いているなら、なおさらだ。
飛んできたものを受け止めて投げ返すことの繰り返しだけではなく
投手としての、捕手としての有り様そのものを互いに確かめてゆくような
わずかでもいいから、あたらしい輪郭を縁取ることのできるような
そういう言葉を放ちたい。

そのためにはどうも私は言葉を発する間が悪過ぎるようだし
そもそも頭の回転がそこまで早くはないのだよなあ。悔しい。
posted by YUKINO MATOI at 06:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダメージ

認めます。
日焼け止めは確かに入念に塗ってはいたけれど
先週半ばから週末にかけて、戸外で過ごした時間は短くはなかった。
4月とは思えない連日の好天、高気温にもかかわらず。

月曜日までは何ともなかったのです。
けれど、今朝シャワーを浴び、化粧水美容液乳液を叩き込んだ後
さて化粧に取りかかろうと鏡をのぞいて悲鳴を上げました。

なんなの、この目の下から頬にかけて広がる赤茶色の斑点たちは。

すわ風疹か、麻疹か、または毒虫にでも刺されたかとうろたえ
「人生初のそばかす」という事実を受け入れるまでに、暫時。
それだけでもいかに油断していたかが判ろうというもの。
これまでの人生、滑らかに褐色に焼けることはあっても
シミ・そばかすに悩まされることはなかったのですが
年とともに肌質も変われば紫外線への抵抗力も変わり得る。
疲労がたまったり抵抗力が落ちたりしている時ならなおさらでしょう。

そんな自分の怠惰を棚に上げて言うのもどうかとは思いますが
そもそも冬の日照時間がいくら少ないからとて
この国の美白に対する意識は総じて低過ぎるのです。
近年ようやく市民権を得た感のある各種日焼け止め化粧品ですら
「日差しから肌を守る」のではなく
「ダメージを軽減しつつ日差しを楽しむ」ためにあるようなもので
重度のサンバーンや甚大なシミにさえならなければ
薄いそばかすが浮こうが肌が小麦色になろうが許容の範囲内。
ましてや日傘など大戦前の遺物扱いなのだからなあ。

もっと高性能の日焼け止めさえあればこんなことには。
いやいや、誰かのせいにはすまい。油断したのは私なのだから。



美白コスメの充実は望むべくもないので
まずはサプリメントを買いに走りました。
高濃度ビタミンCを! ヒアルロン酸を!
ストップ! メラニン色素ー!
posted by YUKINO MATOI at 06:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月15日

本名

渡辺満里奈の本名。
カタカナで書くとナグラマリナ。
なんだか夢野久作っぽい響きではありませんか。
posted by YUKINO MATOI at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月11日

新説・ここはドイツではありません

連休最後の日、Ostermontagの昼下がり。
いつもの皆さんで長閑に日本茶をすすり、歓談していると
3歳の子どもが退屈したのか「ドイツに帰る」と言い出した。
彼女は両親に連れられて先日まで日本に一時帰国していたのだけれど
生まれはドイツなので向こうでも時々「ドイツ帰る」と駄々をこねて
せっかく孫に会えたお祖父ちゃんお祖母ちゃんを困らせたのだとか。

ここはもうドイツだよ。
まわりの大人が説明するけれど
「ここはドイツじゃない」の一点張り。
日本語の少しわかるディートリッヒ氏も困惑顔。
じゃあドイツってどこのこと?と聞くと「おうち」との答え。
日本とは「じーじのおうち」のことなのだそうだ。
ここはドイツなんだよ、と何度言われても譲らず
しまいには「ここドイツじゃないよう」と泣き喚きながら
お父さんをぽかすかと殴りだして大変な騒ぎだった。



そうだよなあ。物心ついたばかりの目には
母国だとか外国だとか帰国だとかいうよりも
家族がいて落ち着いて暮らせる場所が自分の国で
そこが世界の中心なんだよなあ。

言葉を獲得してまもない子どものとらえる世界の姿は
痛々しいほどの新しさに満ちていて、瞠目せずにはいられない。
posted by YUKINO MATOI at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月10日

階段が表すものは、理想と現実

以下、夢によく出てくるもの。

・階段……登るときも降りるときも
 単に1つの光景として出てくるときも。
・追われている状況 
・誰かが死ぬこと
・学校……小中高の建物がベース。大学はなぜか夢に見ない。
・回廊のある建物、中庭……学校のイメージと重なる。
 実際に私の行っていた学校はずっとそういう造りだった。
・ステンドグラス、ガラス
・海
・テーマパーク、書き割りのような景色
・雨
・丈の高い草原、または畑
・高速道路
・古い日本家屋……必ず建物の中か玄関付近。外からの眺めはない。
・電車



そして最近見た夢。類似性を感じるもの2つ。



独裁者の入城。
仰々しいおもちゃのような鎧に身を固めて城門をくぐると
ぬかるんだ地面の上は目を覆いたくなるほどの屍の山。
残された人々も追いつめられて次々と自ら命を絶ってゆく。

途中は映し出されない。やがて独裁者は失墜する。
かつての側近に追われて逃げ惑っていると
車内が明々と照らし出された電車が目の前の広場に滑り込んでくる。
最終電車。暖かく安全な車内。今乗れば間に合う。逃げられる。
そうとわかっているのに、近くの別の建物に逃げ込んでしまう。
行き止まりとわかっている廊下を走る。
開けた先には追っ手がいると知っているドアを、開けてしまう。



どこかひなびた温泉宿のような風情の館。
浴室には白濁した湯が湧いていて、柱も壁も床も黒光りしていて
古い館の中を黒衣の娘たちは靴のまま駆け抜ける。
広い広い館のあちこちには罠や試練や障害が仕掛けられていて
唐突に、あるいは協議の結果、またあるいは誰も気づかぬうちに
一人また一人と、娘たちは少しずつ減ってゆく。

大階段の正面には大きな鏡が貼られていて
その前を通るときにはどの娘もなるべく鏡は見ないように
けれど少しだけ視界の端で自分の姿を確かめられるように
急くようなそうでないような中途半端な身振りで通り抜ける。
自分が映っていないかもしれないと思うと怖くてたまらないのだ。

堪え切れずに屋敷を飛び出すと
細い剣を持った青白い顔の男が待ち構えていて追いかけてくる。
逃げられない。
ここにいても外に出ても、いつかは死んでしまう。

posted by YUKINO MATOI at 07:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月04日

なんてことだ

しびれたーい、なんて能天気な欲望を振り回しながら、思いつきで友達の働く店でビールを2杯、流し込んだだけでスイッチオン。おかしいな、たったこれだけのアルコールで? めまぐるしく入れ替わる脳内の光景。昨日観たDVD、エンディングテーマ、ピチカートファイブ。並んだニュースの見出しが同時に目に飛び込んでくる。民家にほとんど妻、5割白骨化? 悲しくて愛おしくて切ない瞼の裏の光景が空想の産物なのかいつかの記憶なのか思い出せない。追いかけたい、その続きを。追いかけてそっと毛布をかけてあげたくて涙が出そうなほど懐かしいのに、まだ酔っていない部分が私の目をそっと手の中の文庫本に戻す。これから質問することになるべく深く考えずに答えてください。たとえそれが馬鹿馬鹿しいことのように感じられても、決して笑ったり呆れたりせずに。
posted by YUKINO MATOI at 04:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

しびれたいのなら、たゆたいたいのなら

 地獄でも、天国でもいい、
 未知の世界が見たいの!
 悪の楽しさにしびれ
 罪を生きがいにし
 15才の少女ふたりは身体に火をつけた。
 (映画『小さな悪の華』日本公開時の惹句)


http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20070215

自分が痛いのにも他人が痛いのにもとても弱い小心者なので
生きたまま火に焼かれて皮膚が捲れて黒く爛れて、なんてこと
本当は想像するだけでも平静ではいられなくなるのですが。
でも。

大気圏と肌が擦れ合って燃えてしまうくらい
猛スピードで駆け抜けた先に見えるものが見たい。
肺の奥まで凍るほど透き通った空気を透かして世界を見てみたい。
そういう願望は常にあるわけです。

どこか四季のない国までぶらりと飛んで行って
露出の多い服を着て日焼け止めを塗り込んで
ぬるくなったラムコークを飲みながら
とろんたゆんと明度の高い海の色を見て過ごしたい、という
前者の対極にあるような、もう一つの願望も
時間の流れ方が全然違う場所に行きたいという意味では、同じ。

行ったことがない場所に行きたい。
見たことのないものを見たい。

大きな仕事が一段落したので
(忙しさにかまけて ”Pan's Rabylinth” 見逃しちゃったよ!)
久しぶりにひとりでゆっくり映画でも、と
今月の上映予定をチェックしています。
Kommnales Kinoでラテン映画特集をやっているので
スチール写真に言葉にし難いシュールさと眩しさを感じた
"O CEU DE SUELY (英題 ”Suely in the sky”)" と
同じくスチールと紹介文が秀逸だった "Play" に照準を絞ることで
ひとまずたゆたい方面への欲望は満たせるであろう、と期待して
問題はしびれる方面への欲望なのです。
探す努力は怠らないけれど、できれば探して見つけるのではなくて
それこそ雷にでも打たれるように唐突に出会いたいもの。




posted by YUKINO MATOI at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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