2007年02月28日

ガガガガガガッと

高速回線の導入でYouTube等の動画サイトや
Flashつきの重いサイトを観るときのストレスがほぼなくなったので
気になってはいたものの放置していた記事をあちこち巡回。
町山智宏さんのブログで少し前に見つけた映像がやっと観られました。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20061207

銃マニアでもなんでもない私でも
これがすさまじく格好良いことくらいはわかります。
リボルバー1丁あれば1人で弾幕が張れるだなんて凄すぎる。
援護される身としては打ち手の好みより実効制圧力が問題なのです。
リボルバーにこだわりたいのならトグサもこれくらい装備するべきです。
posted by YUKINO MATOI at 06:26| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月27日

不自然な自然、真摯さ

吉本ばななの小説に出てくる登場人物の台詞は
ときどきあんまりにも固くて、ぎこちなく、丁寧すぎて
そんな言葉が口にのぼるような状況がうまく想像できないときがある。
現実とはあまりにも乖離した切実さが
ぴりぴりと行間にみなぎっている気配。

不自然で角張っていて周囲にどれほどなじんでいなくても
さりげない言葉なんかではなく、明らかに異質だからこそ
その状況でそのタイミングでその人の口から発せられるべき言葉があって
吉本ばななはそういう不自然な自然さの持つ必然性に、きっととても忠実なのだ。

一度くらい、僕と違って滅多に泣かないまなかちゃんの涙に応えて、なにか、若者らしいことを、こういう時にできないようなら僕は生きている資格がないもん。


今、ワンピースが着たくて着たくてたまらない。
自分のために服をデザインして作ろうという意欲が普段は滅多に湧かず
既製服か、古着に少し手を加えた程度のものばかり着ているので
こういう服を作って着たいな、という欲望とともに
デザイン、色、素材までが具体的に浮かびあがるのは本当に珍しい。
年に一度くらい、こういう服が欲しい!という目標が見えたときに
それをないがしろにしてしまうようでは服飾デザイナーの面目が立たない。

ワンピース、作らなくちゃ、と腰を上げたときに頭に浮かんだのは
吉本ばなな『ハネムーン』の中の裕志くんのとても真摯な一言でした。
posted by YUKINO MATOI at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月24日

Veins of a flower - 花脈

運の良いことにこの日が冬物セール最終日だった店舗が多くあり
目を皿のようにして服を眺め、手に取り、店から店へと歩き回って
くたびれたらカプチーノ、また表へ出て今度は書店めぐり。
それにも疲れたらスフォルツェスコ城の庭園でベンチに座ってぼんやり。
灰色に煙ったような空模様のせいか
少しくすんだ色や苦みのある色、光沢のない柔らかな素材に惹かれる。

カーニバルの山車がドゥオモの前を練り歩く頃
トラムに乗ってVIA SCHIESAにあるギャラリーへ。

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身につける色はもちろんのこと
一つ一つの作業の中で選びとってゆく色調
表情や、声や、思考からこぼれおちたものが持つ色彩
それらがすべてschiseさんをキラキラと取り巻いていて
花に囲まれているような、虹の向こうに立っているような。
それくらい私にとってschiseさんは美しい色の世界に生きている人で
そんな彼女が展示会をする、となったらそれはもう、行くでしょう!

もう1人のアーティスト、Iさんが花のパターンを描き
それをschiseさんが服に仕上げることで生まれた作品たち。
ふっくらとした重みを感じさせる花もあれば
柔らかく薄い甘やかさにあふれた花も。
そのどれもが瑞々しく、繊細で、力強く呼吸をしているよう。
遠い日の手触りや香りやその時流れていた音楽まで思い出せそうなほど
鮮やかに脈打つ色彩は強く強く網膜に染み込んでゆきました。



もちもちでジューシィでフレッシュなピッツァをお腹いっぱい詰め込み
濃密に暗いスイスの夜景を眺めながら座席の上で丸くなって帰宅。
夜遅くに乗り物で移動するのが大好き(京王線の終電ですら)なので
このバスツアー、行きも帰りも楽しくて楽しくて寝る暇がほとんどない。
よって翌日曜日はベッドから一歩も出られませんでした。

posted by YUKINO MATOI at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅のこと―ミラノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夜明けとともに国境を越えて

日帰りでミラノへ往復できる高速バスが毎週運行していることは知っていた。
タイムテーブルをよく読めば、思ったほどタイトな日程でもない。
最大の難関は朝6時の集合時間。よって夕刻仮眠を取りその後徹夜で出発。



白々と東の空が明るむ頃にスイスに入る。
明方の時間、夜と昼の境目の時間というのはとても長くて
わずか2時間前に乗車したばかりだというのに
随分と長いこと夜を走り続けてきたような気分。

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スイスからイタリア南部の湖水地帯へと繋がるこの一帯は
荒々しく切り立った山並やその隙間に広がる牧草地や
セロファンのようにきらきら日の出の光を弾く湖面
岸辺に粒の揃った小石のように散らばる街並などが代わる代わる現れて
その一つ一つが夢のように現実離れして美しい。
夜型人間にはもう何年も縁のなかった朝の日差しが突き刺さるよう。



お昼少し前にミラノに到着。
1年半ぶり、2度目のミラノはちょうどカーニバルの日を迎えていて
地下鉄の通風孔の上で子どもたちが紙吹雪を空に舞い上げていた。
しっとりと灰色に霞む街並はまるで古い映画のようなのに
駆け回る子どもたちの歓声と、そこかしこにあふれる華やかな色彩のせいで
目に飛び込むもの、手で触れるものの一つ一つがくっきりとして鮮やか。

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posted by YUKINO MATOI at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅のこと―ミラノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リアルたらこキューピー

頭から爪先までパイル地の真っ赤なおくるみに包まれた
ピンクの頬の赤ちゃんを目撃。たーっぷりたらこー。
posted by YUKINO MATOI at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月22日

持つべきものは理系の友人

信じられないくらい申し込み後のサポートがお粗末な
某T社(これでも国内最大手)のDSLを申し込んで1ヶ月弱。
仕事の合間を縫ってドイツ語の設定ガイドと格闘するもなかなか繋がらず
問い合わせた電話でも窓口でも応対はことごとく冷淡。
金をドブに捨てるが如き僕たちを救ってくれたのは
調べもの大好き!細かい作業大好き!なサイエンティストの友人でした。
わざわざ家まで来ての作業をを申し訳なく思っていたというのに
説明書を熟読しあれこれ試行錯誤する姿はなんだかとても楽しそう。
そして小1時間で見事開通。
夢の複数端末同時接続が実現。そして早い早い早い。
前世紀に逆戻りしたかのようなインターネット環境ともこれでお別れです。

嬉しい。嬉しすぎる。
posted by YUKINO MATOI at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月21日

2月も下旬ですが1月の記録をあれこれ

DVD『下妻物語』
ドイツ語字幕つき版借りてやっと見ました。

海外公開時のタイトルは"KAMIKAZE GIRLS"、
往年の名画の邦題のようにおお!と膝を打つような名訳を
そろそろ誰か逆の方向でもやってくれよ、と思わないでもない。

さて、嶽本野ばらが何故素晴らしいのか、といえば
乙女的なものに心身を捧げ生きる少女達の姿を心から肯定しつつも
一方でそうした価値観がごく限られた範囲でしか通用せず
美に耽ることが至極非生産的で時に愚かしく滑稽でさえあり
社会に対するろくな実効力すら持たないのだ、という
1人の男性(物議を醸すのは承知で敢えてこう呼びます)としての
突き放した目線を常に持ち続けていることに他なりません。
外にいる人間から中の人間がどう見えるかを充分承知した上で
これは生き方の問題であり、人生に対する覚悟の問題であり
単に外見や振舞いに留まる問題ではないのです、と高らかに謳う。
ジャック・ブラック(『スクール・オブ・ロック』の)流に言うならば
"Attitude"の問題であると言い切るその姿勢に拍手。

中島哲也監督の最大の偉業は
乙女サイド・非乙女サイド双方のツボを押さえた
極めてテンポの良い映画を仕立てるにあたり
野ばら流哲学をほぼ完璧に咀嚼・消化して映像化したことです。
結果、乙女は乙女として矯められることも甘やかされすぎることもなく
自分たちの足で下妻の土を踏みしめて颯爽と歩いてゆく物語が出来上がりました。

(そういう解釈の可能性もあったにもかかわらず)
昨今流行の過剰な自分探しとか幸せ探しの匂いがしないのも正しい判断。
「本当は私は何がしたいの?何が出来るの?」という問いに嵌る前に
幸運にも人生における自らの態度を決めることができた2人ですが
この映画はそんな2人の強さと脆さと切実さとバカバカしさとを
彼女らを貶めない程度にコミカルでシニカルな絶妙のバランスで折り込むことで
「あんなふうになりたいわ」という安直な憧れをきっぱりと拒んでいます。

憧れるのはあなたの自由。飛び込んでしまえば素敵な世界が待ってるわ。
でも本当にああいうふうに生きたいのならそれ相応の覚悟をなさい。

ポップでガーリーで牧歌的な味付けだけれども
実はとてもシビアな物語に、再び拍手。



映画 ”Das Streben nach Glueck"(邦題『幸せのちから』)

お父さんのお父さんによるお父さん及びお父さん予備軍のための映画。
観賞後、隣で目を赤くしていた相方に
「この映画の感動ポイントってどこだったの?」
と訊いたら未知の言語で突然話しかけられた人のような顔をしていました。

別に「見るべき女性登場人物がいなかった」ことだけが
深く心揺さぶられることのなかった理由ではありません。

医療機器のセールスマンとして日々駆けずりまわるクリス・ガードナー。
売れ行きは芳しくなく、生活は火の車どころか家賃の支払いも滞る始末で
働き疲れた妻は稼ぎの薄い夫にとうとう愛想を尽かして出ていってしまう。
アパートを追い出されモーテルも追い出され頼みの綱の商品は盗まれ
その日その日の寝床を確保するのもやっとの生活の中から
幼い息子を抱えて這い上がってゆく男の苦闘。といった筋書きなのですが
基本的にクリスは条件さえ整えば大概のことは人並みかそれ以上に出来る人で
如才なく振る舞うセンスも人から好感を持たれるための要素も
羨ましいほど充分に持ち合せているのです。
一夜の清潔なベッドさえ息子に与えてやれない惨めさや
血を売るよりほかない生活の苦しさは確かに胸に迫りますが
彼なら他にもっとましな方法があるのでは、という感触がどうしても拭えない。
その気になれば高給取りになれるだけのポテンシャルを持つ男が
なんで奥さんに逃げられてこんなところまで来てしまったのかしら。

さらにこの映画、どうしても主人公の周囲の人間にばかり目が行ってしまうのです。
例えばクリスとともに教会の前に並んで一宿一飯の施しを乞う人たちの列。
彼らはいわば「ぬののふく」と「ひのきのぼう」とわずかなGしか持たない状態で
そんな彼らにまず雑魚敵で小銭稼ぎ&レベルアップ、次いでやや強い敵、と
順序よく襲いかかってくれるほど世間は都合良くできてはいません。
確かにクリスは並々ならぬ努力と才能と運とで幸せを勝ち取りましたが
戦い方をある程度知っており、戦うのに充分なだけの装備を持ち
何が何でも戦うための強力な原動力をも手にしていた彼は
努力を始めるための条件を満たしていたという点では
そこかしこで画面に映り込む、社会のいわゆる最底辺に位置する人たちよりも
ずっと強くて、幸運で、恵まれていたのです。

原題は”The Pursuit of Happyness(幸せの追求)" 。
独題は”Das Streben nach Glueck(幸せへの努力)" 。
努力しない者は幸福にはなれない、という言葉は正しいのかもしれない。
追い求めてもいない者のところに幸せなどやってこないのかもしれない。
でも、もしも、努力しない人間は幸せになれないのだとしたら
努力したくてもできない人間には、努力の仕方を知らない人間には
努力する、ということすら、もはや考えられなくなっている人間には
幸福になるための機会は与えられないのでしょうか?
幸せのための努力をしない人間は、幸せになれなくても仕方のない人間ですか?

挿入歌”HIGHER GROUND”(スティービー・ワンダー)の詞が
とても重い意味を持つ映画でした。



パリ・オートクチュールコレクションを画像で少しチェック。
世界のポップアイコンたるあのマドンナのほうではなく
聖母マリア=マドンナをイメージした
とわざわざロイターが書いていた今回のゴルチェですが
光輪をモチーフにしたヘッドドレスといい赤い涙のメイクといい
先のコンフェッション・ツアーで血の滴るいばらの冠をかぶって
磔刑のキリストに扮して歌ったマドンナとどうしても重なるなあと思っていたら
何のことはない、件のツアーの衣装担当がそのままゴルチェでした。
ゴルチェを通して通い合うマドンナとマドンナだなんて素敵。
posted by YUKINO MATOI at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐々木譲『ユニット』

地の文での登場人物の呼び方でなんとなく展開がばれているお話。

登場人物の名前を記す時に男性だったら姓
女性と子どもだったら下の名前で、という書き分けは
『ユニット』に限らず広くなされている。
加えて外で仕事をしている女性の場合
作中で家族関係に言及がなされていないときは名字で
既婚者であったり子持ちであったり男性の恋人がいるときには
ファーストネームで書く、というのもこれまたよくある書きかた。

対外的に女性が自分の伴侶を名字で呼ぶこともよくありますな。
自分で自分の名前を呼んでいるみたいで気持ち悪いので
私はそうは呼びたくないですが。

登場したときは少年だったある登場人物が
いつまでたっても下の名前で書かれてるのは
底まともな大人とは呼べないままの彼の内面に沿ったものであろう。
同様に、主人公の一人である祐子は
夫の暴力から逃れるために息子を連れて家を出、夫の姓に決別し
旧姓を名乗って働きはじめるくだりが明記されているにも関わらず
その後も下の名前で書かれ続ける。
ということは、彼女は例え首尾よく夫からは離れても
「下の名前で書かれ得る立場」のままで居続けている、ということ。
祐子が出会う夫以外の男性が皆名字で書かれていることからして
この中の心優しい誰かと彼女とで新しい家族が育まれるという展開は
なんとなく察しがつくというものだろう。

そういう筋書きに難癖つける気は特にない。
幸せになるべき人間が幸せになるに越したことはないのだから。
ただ個人的に、物語とは全然別のところで
既に納得済みのことまで含めて
とりとめなく考えはじめるスイッチが入ってしまった模様。
その人が何者であるか、ということと
その人がいかに呼ばれているか、ということ
その人が社会の中でいかに見られ扱われているかということ、について。

村上龍の『半島を出よ』に出てくる少年たちは
全員名字で(カタカナ表記であることがポイント)書かれていたけど
女性に関してはやはりファーストネームで書かれてはいなかったか。
今手元に原典がないので確認できないのだけれど
記憶の範囲では確か尾上知加子は知加子であって尾上ではなく
対して高麗遠征軍の登場人物は男女問わずフルネームだった、という印象。
近代西洋資本主義社会における成人男性的な力への志向と
村上龍の作品とは切っても切り離せないのである。
posted by YUKINO MATOI at 08:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月11日

反応してしまうもの

カットガラスビーズ。スワロフスキの。
きらきらとして触れたら切れそうな鋭角。
ほんの少しの力加減で砕けてしまいそうな鋭角。
身につけるとそれ自体の重みで微かに肌に食い込む。



泡の立つワインの栓を止めている針金の籠。
端をそっとひねって拘束を解き
コルクを剥き出しにする瞬間。コルセットを外すように。

栓を抜くのは怖いのでナフキンを添えて誰かに渡す。

posted by YUKINO MATOI at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

真冬のひまわり

懐かしいミスチルのワンフレーズのように
1月の東京でひまわりが咲いたとか。

こちらも1月に桜が咲きかけていたのであまり驚くことでもない。
ほんのり枝先がピンクに染まる頃にようやく初雪が降った。
ふんわりと雪にくるまれた桜の花なんて生まれて初めて見た。
誰かにそっと耳を塞がれるように、全ての音が少しずつ遠くなって
とても暖かく静かな雪の夜。

そんな夜もそれこそ夢のように溶けて再び雪のない冬に戻る。



気がついたら雨が降っていた。
気がついたらここに来ていた。
長い長いまばたきをしていたかのように。
あるいは午睡からぷつりと引き戻されたように。

目を覚ますと隣には誰もおらず
目を覚ますとそこは遠い南の国の窓のないホテルで
目を覚ますと画面の向こうに数行の短いメール
目を覚ますと小さな店のカウンターにひとり座って。

気がつくとくぼみにぽこんと落ちてしまって
なぜだか、いつのまにか、ここに来てしまって
そうなる前と今とがうまくつながらなくなる時間。



踏み散らされた雪の上を図書館に通っていた頃も
埃だらけのアトリエで発泡スチロールやサテンと格闘した日々も
土鍋でご飯を炊いて3パック98円の納豆をのせて食べていた毎日も
竹橋で速水御舟の屏風に魂を奪われたあの日も
マインツで『サロメ』の初版本に心ふるわせた午後も
私の記憶が確かならば全部つながっているはずなのです。
これが長い長い夢でないのならば。

夜が来て朝が来てまた夜になったらキティが帰ってきて
ディートリッヒ先生の家で一緒にご飯を食べてお皿を洗って
ドレスとアクセサリのセットを納品して銀行に行って
CD焼いてメール書いて頼まれていた翻訳用の資料を集めて。
そういう毎日がつながってゆくはずなのです。
これが長い長い夢でないのならば。
posted by YUKINO MATOI at 02:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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