2006年11月29日

KARAOKE

年に数えるほどしかやらないけれど
時々とても遊びたくなるのがビリヤード。
日曜の夜に出かけてみたら
その年に数えるほどしかない撞球の日は実は
年に数えるほどしかない「娯楽施設の営業を自粛すべき日」で
見事に空振りしました。



クリスマスマーケットの始まる前日
11月の最終日曜日はTotensontag=死の日曜日といって
死者の魂を弔い故人を偲ぶキリスト教の祭日なんだそうです。
日曜日でもレストランやカフェは営業しているのが普通ですが
この日は大半の飲食店がシャッターを下ろしたので
街中の静かなこと、静かなこと。



撞球のあては外れましたが
最近日本語のカラオケを始めたと評判のバーは空いていて
いつもの日本人会の皆様にお誘い頂き、いそいそと足を運びました。
日本語はじめ韓国語やら中国語やらの曲がそれぞれ何百曲かあって
個室はなく、バーの一角に立ってお客さん全員の前で歌うことになります。

薄い歌本をめくってはみたのですが
私の持ち歌と重なっているのはほとんど男性ヴォーカルの歌ばかりで
その場の雰囲気を壊さずに歌えそうなものが思い当たらなくて
女性ヴォーカルの歌を探したらめぼしいのが高橋洋子くらいしか。

高橋洋子くらい、しか。

日本のカラオケのような至れり尽せりのラインナップなど
望めないことは判っていたのですが、いやはや、なんとも。

絶望した!自分の守備範囲の微妙さ加減に絶望した!



途中からお腹が痛くなってカラオケを早退して
布団で丸くなって攻殻の2nd GIG観て寝ました。

宿題は浜崎あゆみを練習することです。押忍。
posted by YUKINO MATOI at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月26日

結婚当初のキティはCDを聴きながらテレビでサッカーの中継を観つつ
ネットで音声つきのサイトを観ていても一向平気な人間で
多重音声に耐えられない私はその都度厳重に抗議申し入れをしていた。
今でも音楽をかけながら仕事をしているときなどに
全く無邪気に背後でプレステの電源を入れたりするので
ゲームやりたいので音楽を止めて欲しい旨を申請するか
即刻ミュートするかどっちかにしてください、との指導を受けている。



ひどい音、喧しさ、好みに合わない音
とくに一方的に押し付けられその場から逃げられない類の音に対して
不機嫌さ、不快感、ときに怒りさえ激しく込み上げてくるのは
そしてそれがどうやら周囲に比べて度を越した腹立ちであるらしいのは
私が短気で狭量なせい?

(帰ればいいようなものだがそういう時に限って抜けられない事情が)



聴覚は耐久財でなく消費財であるという意識。
音の圧力にすぐ悲鳴をあげる耳。
難聴。音が痛い。
この耳は私が壊れるよりも先に壊れるだろう。

いつか失うものだと思っているから
貴重な資源をこんな音のためにすり減らしたくない、と腹が立つ。
それが何年後かはわからないけれど
いつかは確実に失ってしまうものだから
同じ痛みを感じるのなら愛する音のためでありたい。



と思っていたらEvelyn Glennieの存在を知って愕然とする。
聴覚を失ったパーカッショニスト。肌で音を感じる人。
音のない世界のど真ん中で音を刻み続ける女性。
胸のすくほど果敢でアグレッシヴなその姿勢に
また一人、誰よりも遠くへ駆けゆく人を見た。
posted by YUKINO MATOI at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月22日

長いのでmixiのおすすめレビューにも貼っておくことにします

風邪を引きました。
発熱、鼻水、喉の痛み、倦怠感、目眩。
それらをやり過ごしながらあれやこれやを片付けて
のたりくたりと過ごすうちに11月も下旬です。



映画3本。



" THE SCIENCE OF SLEEP "


人が手を触れることなく出来上がったものを
ミシェル・ゴンドリーはたぶんあまり信用していない。
ものを作ることと、ハサミやら糊やらペンチやらハンダやらは切り離せない。
映像をカメラに納めることとはあくまで実在する対象にレンズを向けることである。
たぶん彼は、そのように思っている。
実際にはPhotoshopとかIllustratorとかいろいろ使っているのだろうが
少なくとも作品の質感はそういうものでなくてはいけないと思っている。

で、たぶん彼は、そうやって地道に手を動かすことをとても愛している。

50席余りのミニシアターに殺到した予約をキャンセル待ちして
ようやっとチケットを手に入れた” THE SCENCE OF SLEEP ”は
美術スタッフの皆さんが絶妙な匙加減で作り上げたセットや小道具を楽しみながら
ステファンとステファニーの恋及び友情を見守るためにある映画。

小学校のクラスに1人はいませんでしたか?
夏休みにヤクルトのビンや牛乳パックやペットボトルで
異様に完成度の高いロケットだの城だのを作ってきていた奴。
これ、建築科の学生みたいにバルサ材とかプラ板とかで作ってたら
それがどんなに美しく精密にできていても台無しなわけですよ!
割り箸とストローでアンテナ作って大気圏外と交信するためには
そんな大人の完成度なんか要らないのですよ!

ティッシュペーパーが空になるやいなや「これもらってもいい?」っつって
切ったり貼ったり塗ったりしていたあの頃の精神が
この映画には存分に生きているわけです。

段ボールの秘密基地、ラップの空き芯はライトセーバーの柄
揺れる炎はしわしわに丸めた赤いクラフト紙で
絵の具を溶かした黄緑の水は透明人間になれる薬。
そういう世界を忘れていない人には文句なく楽しく幸せな映画。

紙とセロファンのジオラマの上に繰り広げられるラブストーリーですから
お約束上等、単純明快上等、意味深なセリフやエピソードも要りません。
加えてシャルロット・ゲンスブール演じるステファニーが
このクラフトマンシップ溢れる空気をさらに強固にしていて
彼女の部屋のインテリアなど感涙ものでした。
しかも美脚!三十路も半ばにしてあんなに太ももが綺麗だなんてー!



" Das Parfum "

誰にも負けない輝かしい才能が自分には備わっていると知ったとき。
世のあらゆる人々を魅了することがただ自分だけには可能であると知ったとき。
そのためにどうしても必要なのがうら若き乙女の身体だとしたら
あなたは罪なき娘たちを殺すことが出来ますか。

罪の意識?そんなものこの映画には出てきません。
娘を奪われた父親の悲嘆でさえ、彼の香水の前では至福の悦びに変わる。

乙女の生き血を浴びて永遠の美と若さを夢見たエリザベートよろしく
乙女の柔肌から抽出した究極の香水を夢見て見事それを完遂してしまった男の話。

悲しかった。
富や名声はおろか満足感も達成感も誇りも
「長年作りたかったものを作れた」という至極シンプルな幸せさえも求めず
調香師の高みを目指してひたすら努めてきたのに。
香水の神様がもしいるのなら、彼ほど純粋な信奉者は後にも先にもいなかっただろう。
終盤の滑稽な、本当に滑稽な(ドイツ人は爆笑して観ていたよ)大乱交の真っただ中で
一人立ち尽くす彼の姿はどうしようもなく孤独で、悲しかった。

ああ、そうか。
酔えないのだ、彼は。
幾万の香りを嗅ぎ分けることも究極の香りを作り出すこともできるけれど
その香りに溺れることも酔うことも我を忘れて痴態をさらすことも出来ないのだ。
自分の香水の魅力を知りつくしているのに
世界中で彼1人にだけその香りは届かないのだ。永遠に。
この世の全てを敵に回してでも叶えたいことがあったのに。
叶った瞬間それはこの世の全てを遥か遠くへ連れていってしまったのだ。
現実のど真ん中に、ただ彼だけを残して。

二重の阻害。どこまでも人外。
「彼は天使だ。」「悪魔の所行だ。」嗚呼。



スキンヘッドの裸の女性の死体が水面にたゆたっていたり
黒光りする石の床に横たわったりする絵が冷たくなまめかしくてどきどき。



『ヴィタール』

映像と音のクオリティは学校の視聴覚室レベルながら
月に3度ほど日本の映画を吹き替えなしで観られる
貴重な映画館、Kommunaleskinoにて。
交通の便の良くない割に、気づけば月2回は通っている。



人の皮膚を切り開いてその中身を視ること
それは医学の道を歩むものだけに許された特権なのですと柏淵教授は言う。
メスを手にした医大生たちの躊躇。一人、彼だけが躊躇わない。
そうだ高木、君はそれでいい。君にはその権利がある。
メスを握ることを許された人間は戸惑ったり躊躇ったりしちゃあいけない。
切れ。進め。メスを持たぬものたちには一生見られないものを見に行け。

とは私が勝手に盛り上がって胸中喚いていたことですが
人の体の中身を異様なまでの執念をもって追う高木博史の姿には
亡き恋人(及びその亡骸)に対する愛惜とは違う種類の気迫があって
その真摯とも狂気ともつかない眼差しの力は浅野忠信ならでは。素敵。

理科の実習で植物の断面をスケッチしたり切片を観察したりするの
私とっても好きだったんですよ、はい。
デッサンは恐ろしく苦手だけれどスケッチは好きで。
そのくせ解剖は一度も経験したことないのですが。
つぶさにものを目で追い鉛筆で紙に写し取る作業の中で
垣間見える境地、その感覚の鮮明さは秀逸でした。
なによりあの紙と擦れあう鋭い鉛筆の音が印象的で
立川に通っていた頃に観ていたら一も二もなく取り憑かれていたと思うのです。

加えて、賢くて理知的でいわゆる美人ではないけれど端正な顔立ちで
かつ適度にエキセントリックな女子をKIKIがそれはそれは完璧に演じていて
その黒髪の潔さ、佇まいの凛々しさ、顰めた顔の美しさは危険水域。
昨冬の『KIMONO姫』の栗山千明以来の眼福です。



死んでしまった人には勝てないよ、と生きている人間は言うけれど
遺されたほうに多少なりとも生きる覚悟があるのならば
結局は生きている人間のほうが強いんですよ、という至極真っ当な主張は
「嘘でもいいからそう言っておけ」ってことなのかもしれません。
死んだ原田より生きている真山なんだよ!人は愛で救われるんだよ!
そゆことにしとけ!あああ風邪の菌が変なところに入った。



ずいぶんと昔『式日』を観た後にも思ったこと。
星の数ほどもある種々の厄介な物事にむかってゆくとき、Coccoの歌声は
「やり方はどうであれ、なんとかやってゆく覚悟を決めた、そのあと」の
やるせなさを突き抜けた清々しさに満ちていて、大好き。



医者×薬剤師のU夫妻とご一緒させていただいたため
解剖実習の詳らかでリアルなお話を観賞後に伺うことができたのは収穫でした。



たくさん書いてすっきり。ふー。
posted by YUKINO MATOI at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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