2006年09月23日

クサンティッぺ2周年

結婚記念日の夕食の材料を買いに行った先で
自分の趣味のみを考慮したDVDを3本ほど
無断で衝動買いしてキティに呆れられました。

謎の背中の疼痛に襲われて夜まともに眠れなかったのは天罰か。
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2006年09月21日

DRAWING RESTRAINT 9

クレマスター漬けの一夜から中2日置いて
『拘束のドローイング9』観てきました。



その前半。
マシュー・バーニーとビョークの目には
ファンタスティックに見えたかもしれない日本の海辺の風景は
そこで進行している出来事がいささか奇妙であるにせよ
その空気の匂い、その海の色、人々のふるまい
あまりにも近しく、既知観にあふれた映像の数々に
体が椅子に沈み込むような落ち着かない柔らかさを感じて
もじもじしてしまうこと十数分。

なにをやらされているのかよくわからないながらも
あからさまに困惑することなく淡々と参加している
日本人出演者のみなさんの表情。その心意気や良し。



少女のようであったり、巫女のように凛々しかったり
子どものようにも古い時代の女性のようにもみえる
ビョークの振る舞いがたまらなく可愛らしい。
眉を落としお歯黒をつければ驚くほど仇っぽい表情にはっとする。
その背中はごく普通の女性のそれに見えるのだけれど
滑らかに脂肪のついた体の線や首筋の肌理さえも
彼女の場合はひどく生々しくて危うい。

打掛に角隠しのビョーク、羽織袴のマシュー・バーニー。
骨。化石。サンゴ。石灰質のイメージ。
タナトスの匂いをしっとりと匂わせる茶室の設え。

やがて四畳半を浸す水の色は赤錆を溶かしたよう。
2人抱き合って身を沈め、互いの足に刃物を突き立て
肉を切り取っては口に含むシーンのあまりの瑞々しさに
目の眩むような羨望と強烈な欲情をかき立てられる。
その後の噛みつきあうようなキスシーンといい
これほど鮮烈でエロティックな光景は
“All Is Full Of Love”のヴィデオクリップ以来の衝撃。



ビョーク自身が手がけた音楽も申し分なく素晴らしく
恍惚の135分はあっという間に過ぎてゆきました。

不謹慎でも頽廃的でも背徳的でもなく
みてはいけないものをみているような後ろめたさとも異なる異質さは
自分の肌が麻酔をかけられて切られたり縫われたりしている様を
他ならぬ自分自身の目で直視しているようで
うっとりはするけれど感情はとても冷静に機能するのです。
鑑賞というより、ある種の観察に近いかもしれない。

何年か前に日本で『人体の不思議』展を観たときの感触を思い出します。
あのときは恍惚感こそなかったけれど
鑑賞に供される物体に対する態度としては
見せる側見る側ともにかなり近いものがある。

マシュー・バーニーがイェール大学で医学を修めた経歴を持つと知って
大いに納得した次第。


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2006年09月18日

愚弟の愚の字にアクセントを置く

おへそのゴマを取ろうとしたら雑菌が入って腹膜炎。
先週末に友人に会うため上京した母が看病に立ち寄ったときは
投薬と自宅安静で治るとのことだったのに
普段の不摂生がたたってか病状が悪化。
動けないほどの重症ではないので一旦帰って来させ
地元の病院で切って膿を出したのだそうな。

気の毒なのは実に25年ぶりだったお友達との再会を
看病の合間に慌ただしく済ませざるを得ず
連休に父と1泊デートするはずだった飛騨高山もふいにした母。

怪我や病気と縁の切れない姉と
姉弟の中では唯一入院の経験のある末弟に比べ
昔々に1度骨にヒビが入ったきりで病院とも痛みとも無縁だったので
そういうことに対する耐性が低かったようで
今は実家で「痛い」だの「死にそう」だの
「どうせ笑い話にできるくらいの痛さだと思ってるんだろう」
だのとうるさいらしい。

ただでさえ日頃の行いがあまりよろしくない彼が
素晴らしいヘタレっぷりを発揮しているので
家族そろって同情値はとても低い。

皆様もおへそをお掃除する際にはお気をつけください。
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2006年09月16日

THE CREMASTER CYCLE

マシュー・バーニー・オーバードーズ。
ただでさえ正気の沙汰ではない“CREMASTER”シリーズを
1から5までまとめて一挙上映、合計時間400分という
ますます正気の沙汰ではないイベントに行ってきました。

ローカル線の旧い駅舎を映画館・バー・文学サロンの複合施設として
ひっそりと使っているAlter Wiehrebahnhof。
戦禍を免れた古い邸宅が何ブロックも続く閑静な住宅地にあって
映画館自体の佇まいと映画とが絶妙にマッチ。

有機と無機、美しさと無惨さ醜さ、条理と不条理。
3度の休憩を間に挟みながらのクレマスターの嵐は
マシュー・バーニーってなにがそんなにすごいのさ?
ていうか映画ってなに?映像を撮って人にみせるってなに?と
苛立にも似た問いを繰り返さざるを得ないほど暴力的。
こんなにもシュールで奇怪でグロテスクなものを
どうしてわざわざお金を払って観に来なければいけない?と
固い椅子の上で首や肩を揉みほぐしながら
一瞬たりとも目をスクリーンから離すことができない。

半分を過ぎると、そんな胸焼けのするような息苦しさは驚くほど静まり
とてもニュートラルな心持ちで観られるようになるから不思議。
一種のランナーズ・ハイ状態なのか、映画の構成によるものか。
生殖器や体液、腐ってるっぽいものなどは後半あまり出てこないので。

テーブルクロスの中の硬質なエロティシズムが美しい“CREMASTER 1”。
“CREMASTER 3”ではポスターにもなった透明な義足の女性が
よろめくように歩くシーンに思わず溜め息が漏れる。
そして、まさかクライスラー・ビルディングを芯にした
メイポール・ダンスが観れるとは思わなんだ。圧巻。

その時間の経ちかたは夢によく似ていて
恐ろしく引き延ばされた時間でありながら
飽きや退屈を少しも感じさせない。
ましてや、くだらないなどとは、決して。



休憩込みで7時間半。
背中が痛くて安眠できなくなるほど映画を観たのはこれが初めて。
気になるのは狂気のフィルムをいかにして狂気たらしめたか、その制作風景。
金勘定も撮影の段取りもできないほど狂っていては仕事にならない。
狂気の映像を支えているのは人を集め金を集め時間を管理し合間に飯を食い
必要なものは見積もりを取り発注し書類と格闘するという
あくまで地道で一般的な作業の積み重ねである。
私にとって狂気と正気とは地続きのものなので
ものが出来上がる過程を知りたいという職業的な興味以上に
正気から狂気に到るそのグラデーションを見てみたい、と強く思うのだ。



半透明な白いクレンジングクリームの艶に心がざわめく。
“CREMASTER 2”に出てきた雄蕊のような背もたれの椅子が欲しいな。
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2006年09月15日

やっぱりな

借りてきたその日、帰宅してベッドに飛び込んで一気に読み切ってしまった
佐々木倫子×綾辻行人の『月館の殺人』。
紀伊国屋書店のカバーに包まれていて気づくのが遅れたけれど
手にとったときにちらりと見えてしまった
物凄く読み難い原作者あとがきに「もしや」の予感が頭をよぎり
クライマックスに入るや不気味に変わるページの色で
予感は確信に変わったのであります。

果たして、装丁は祖父江慎+coz-fishの仕業でした。
カバーを外せばそこには触り応え満点のデコボコ特殊印刷が。
さらに本体にも芸の細かい地模様が入っていて抜かりなし。
ていうかやりすぎだよ祖父江さん!
楳図かずおの復刻版もすごいことになってるらしいじゃないですか祖父江さん!



本を読んでいて変な気配を感じたら奥付を見てみてください。
こんな仕事をするのはあの人以外にはおらんだろう、という期待を
決して裏切らない、それが祖父江クオリティ。
素晴らしい仕事です。
思わずmixiの祖父江慎コミュニティに入ってしまいました。
posted by YUKINO MATOI at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

想像力が必要です

どのように世の中に渡りをつけてゆくのか
その方法や知恵や心の持ちように関して
それがどのようなものであったも
誰かを不当に傷つけたり侵したり貶めたりしない限り
それは他人がとやかく口出ししていい類のものではない。

世の中に引き受けるべき痛みとそうでない痛みがあるとしたら
それを引き受けないほうを選択した人間は
そもそもそこに痛みが生じることすら認めない人間は
その痛みに向き合っている人間について安易に批判すべきではない。
それが他の命の生殺与奪に関することだったらなおさらだ。
posted by YUKINO MATOI at 04:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月07日

9月7日

約2年前の日記に引用した村上春樹『風の歌を聴け』。
http://unofficial.seesaa.net/article/827718.html

その当時こそ「大きなお世話です」とえらく腹を立てたものの
己の置かれている環境とそこから生まれてくるものとを
まったく切り離すことは実際のところとても難しい。
それに、仮にそれを別個に扱うことができたとして
そのように己の立ち位置から乖離したものを生み出すことに
果たしてどれだけの必然性があるというのか。

俗っぽくて面倒くさい些末なことは全部奴隷に任せて
愛だの美だの人生の真理だのとまるで腹の膨れないことを
とことん考える余裕のあった人間の生み出したものだけが
「真の芸術」の名に値するかどうかはさておくとして
夜更けにゴソゴソと台所を漁るような人間が何かを為し得るとしたら
それはそういう生活に何らかの形で根ざしたものであり
それ以上でもそれ以下でもないし、そのこと自体は別に良くも悪くもない。
ステンレスに滴る雫の音と蛍光灯の冷たさで満たされた哀しさは
ソフォクレスには死んでも表現できない。同じことだ。



呼吸している空気
目に飛び込んでくるもの
耳を騒がす響き
それらが少なからず作品に影響を及ぼすとしたら
部屋の中のことについてもう少し気を遣うべきだし
そのために心を砕くことと、良き作品を生み出すべく心を砕くこととは
そうそうかけ離れたことでもあるまい、と思って
仕事と同時進行で猛然と模様替えを進めています。



中途半端に放り出された走り書きのメモやらレースの端切れやら
読みかけの本の帯やらに囲まれて1つ、年を取りました。
posted by YUKINO MATOI at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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