2004年05月31日

アンティーク話の追記

少し前に彫漆という技法を知った。
色味の違う漆を幾重にも塗り重ねたものに彫りを施す技法。
彫りかたによって縞模様や渦巻模様、マーブル模様などが現れ
漆の艶となめらかさが存分に生かされていて大変に美しい。

これと同じことを、セルロイドでやっている人がいた。
リア・スタン(Lea Stein)。フランスのアクセサリーデザイナー。
1960年代から70年代頃のボタンがここで見れるので、是非見惚れて頂きたい。
(トップページ左の「Special」をクリック)
昔遊んだ玩具のような色合いが何ともいえず繊細で、素敵。
posted by YUKINO MATOI at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月30日

「今」がいつかアンティークになるのか

古本古道具をこよなく愛するマトイの日曜日は
新宿アンティークフェアにて費やされる。
アンティークレースの見本帳やらクラシックカメラやら
羽ペンとインク壷のセットやらにめろめろ。
午後からは大学の後輩のおーさわくんとマッキィが加わる。
途中で会場を抜け出して、ビルの50階で外を眺めながら冷たいお蕎麦でランチ。

おーさわくんが購入したイギリスの古書類の額装を引き受け、
代わりに同じ店の古書類を一枚プレゼントしてもらった。
マッキィはフランス製の鍵を1本買っていた。
何処にも通じていないけれど、かつてはどこかに通じていた鍵。
いいなぁ、そういうの。



アンティークの基本は「過去形である」こと。
それは単に古いだけではなく、現在形ではないということ。
私たちの日常の中からは既に外れてしまっているもの。
既に生産ラインが停止し、新たに生み出されることがないもの。
特別な場所に行かなくては購入することが出来なくなったもの。
人がそれを慈しむのは、そこに現在形にはない美しさを求めるからだろう。
美しいもの、愛すべきもの。私たちの「今」から消えてしまったもの。
それが再び現在形として蘇ることがないことを知っているからこそ、なおさら。

1つ1つの物品の製造数がものすごく多くて
それらがものすごい勢いで「消費」されてゆく。
その数の多さと同質さ。用意に代替が可能なもの。
それらも時が経てばいつかは「アンティーク」になるのだろうか。
簡単にスペアが手に入るようなものを、
人は後世になって慈しんだりするのだろうか。

黒電話やファミコンが今やアンティーク扱いになりつつあるのは、
人がそれを「消費」ではなく「使用」してきたからだと思う。
何年も何十年もかけてそれを身近に置いて使い続けて、
その時代の空気の一部になるほどのものだったから残った。
同じモノ、同質のモノが無数に生産され、泡沫のように無数に消えてゆく今
四半世紀後、半世紀後に懐かしまれ愛でられるものがどれだけあるのだろうか。

室内にあるものをぐるり、見渡してみた。
この部屋も8月には引き払ってしまう。
そのときにはわんさと処分しなければならないものが出てくるだろう。
それでも。その中においても。

『壊れてさえいなければ、20年後もきっとこれを使うだろう。』

そう思えるものが少しでもあることに安心してみる。
posted by YUKINO MATOI at 18:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリエイターはマゾヒスト向きの職業なのかもしれません

統計的な根拠の全くない仮説。



クリエイターの資質として必要なことは2つある、と教わった。
1つには自分自身が向かい合っている世界を面白がれること。
2つには自分で自分にダメ出しが出来ること。
技術や知識はもちろん必要だけれど
それを体得するための最初の初期衝動としても
職業としてクリエイターを続けてゆくにも
この2つは常に要求される基本中の基本である、と。

通俗的な意味でのマゾヒストとは、よく嗜虐趣味とも訳されるように
苦痛を与えられ虐げられることが快感に繋がっている人と理解されているけれど
それはそれとして、私が大学で受講したとある講義においては
マゾヒストとは「満たされていない状態でいたい人」という
少し違った定義を与えられていて
そういう態度でクリエイターという仕事に向き合っている人は
実はとても多いのではないか、と思う。

苦痛は、快適さや平安から自分を引き剥がすための一手段としてあり
痛みを覚えることそれそのものが快楽を導くものではない。
自らの求めるものが手に入らず
常にそれを求め乞うている状態に幸福を求める。
癒されたくてたまらないのに自ら傷を増やし続ける。
何かを希求し、それを求め、それに近づきたいと願いながらも、
到達点までに様々な障壁や苦難を自ら課してゆく。
到達点の直前でそれを放棄すらする。
そういう「得られない」状態とその過程とを目指し
果てしなく充足から遠ざかってゆくのがマゾヒズムの本質なのだとしたら。

今、この手で創っているものを世に送り出すことを目指して
前へ前へと進んでいるにもかかわらず
いざ送り出したその瞬間を最高潮に
何かを成し遂げた想いはたちまち色褪せてゆく。
体の隅々まで沁み渡る達成感を味わえるほど
充実した仕事ができることすら稀であるのに
その「達成感」と「満足感」とは時としてまるきり別のものであることすら。

ものをつくるとはそういう仕事だ。
だから、自分を自分で追い込んだり責めたりするのが好きな人には
この職業、性格的には向いていると思うのですがいかがでせう。




背中を押されて前へ前へと駆り立てられるのが
始末の悪いことに自虐的な私にはこの上なく快感で
「ユキノさんは結局ギリギリのところにいるのが好きなんでしょう?」
とまで言われてしまったのだけれど
そういう仕事に耐えられるほど私の体は丈夫ではないのでどうしましょうか。
posted by YUKINO MATOI at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月29日

うちの子

この子はうちの猫。
うちの子

去年の12月に吉祥寺で一目惚れしてうちに連れてきた。名前はフゥ。

もー大好き。
posted by YUKINO MATOI at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真付き日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お隣の子

うちのマンションの隣もまたマンションで、
部屋の前の通路を歩いていると
時々お隣の窓から猫にご挨拶される。

お隣さん

じーっとこっちを見ている。
可愛いやつ。
posted by YUKINO MATOI at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真付き日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月27日

何円でもいいんだったら何か出来たと思う

極端に貧乏しているわけでもないがさほど余裕があるわけでもない。
財布の中に2、3千円手持ちがあれば充分と思ってしまうような生活。
余裕があるなら自分のために使いたい。
例え余裕があっても納得のゆかないものは買いたくない。

というわけで。
「アフリカの貧しい子どもたちの為に学校を建てよう」
という、その心意気は素晴らしいと思う。
「そのために皆様の暖かいお志」を求める気持ちもまた解る。
解るが、コンセプトが如何に素晴らしくても
6000円のコーヒーセットは私には要らない。
1000円のミッキーマウスのハンカチは私には要らない。
例えそれが何人かの子どもの1年分の学費になるとしても。

古着屋でギャルソンの服買うのに3、4000円出せるくせに
子どものための1000円や2000円出せないのかよ、と言われれば
確かにそれは肩身の狭い話なのだが。
いくらでも構わないので募金を、とか
もし不要な文具があったら寄付を、とか
そういう依頼だったら喜んでノートだの鉛筆だの提供したと思う。

全く欲しくもなんともない、金額に見合った価値があるとは思えない品を
「これで○人の子どもが1年間学校に通えるんです(語気強め)」
と言われたのが不愉快で買わなかった私は心が狭いのか?
収益金が恵まれない人の役に立つと言われて買わないのは悪いことなのか?

自問自答を繰り返す朝なのでした。
posted by YUKINO MATOI at 00:29| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月25日

低血圧

超低血圧症なんです。自律神経も少しおかしいのです。

今朝はそのために全く起きられず、一日お休みを頂きました。

こういう時に寝ているとだいたい悪夢にうなされます。
思い出したくない記憶のリプレイ。
二度と会いたくない人の気配。
目が覚めて、過去の自分に自己嫌悪。
どうしよう、吐く、厭だ、と思っているのが
果たして夢なのか現実なのか解らない。
うなされて、泣きそうになって目が醒めて
止まない頭痛にまた布団に潜り込んで悪夢の続きを見る。
その繰り返しでした。

風邪とか発熱だったら横になって薬を飲めば収まるのだけれど。
低血圧症は快癒ということを知らないので、辛い。
posted by YUKINO MATOI at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月24日

なにかと服にまつわる一日

渋谷で素敵な服飾素材屋さんを発見したついでに、
RAGTAGで COMME des GARCONSの楽しい妙な服を買ってみた。
何年も前のワンピースなのだけれど
どう妙なのかというと「上下対称」なのである。
上半身は5分袖のワンショルダーのカットソー型。
片方の肩が剥き出しになるタイプ。
それと全く同じ形が下半身にもそのまま一枚続きで繋がっている。
これを着る、というか穿く。
上半身における袖の部分に片足を突っ込み
肩が露出される部分からもう片方の足を出して着用する。
そうすると片足だけ膝丈のスパッツ
もう片足は緩いバルーンスカートを穿いたような格好に。
ばんざーい、の格好をすれば、上半身と下半身がまるきり同じ形なのがよく解る。
服を着るということをこんなに楽しんだのは久しぶり。



その後大学の先輩と合流して東京都庭園美術館へ。
『シルクロードの装い』展を観てきた。

私たちが普段着る服に「意味」を込めることはそう多くはない。
少なくとも、現代の日本では。
例えば今日は勝負日だからフェミニンに、とか、
気が滅入るから花柄で明るく、とかせいぜいその程度だろう。

「意味」や「意志」、さらには「祈り」や「魔力」さえ込めて
服を誂え、身にまとうというのはかなり特別な状況に限られる。

服の持つ力を信じ、想いを託して、服を作り、着る。
中東・近東で作られたそれら鮮やかな衣装や宝飾品には
その力を感じさせる存在感があった。想いがあった。
バラはただのバラ柄ではなく、赤はただの赤色ではない。

美しいから、だけではなく、必要だから。
その朱が美しいから、だけではなく、魔除けの朱の力が必要だから。
そんな必然性を込めて作られた服はとてもとても強い。
服が擦り切れて着られなくなったら
想いの込められたその部分を切り外して新しい服に縫い付け直すのだそうだ。

今、私たちがこれほどの重みをもった物を
何か一つでも身につけることがあるのだろうか。



刺すような青空の下、大草原のど真ん中にテントを張って
その横で日がな一日機織りや刺繍に精を出すような
そんな暮らしに想いを馳せて雨がちの午後を過ごしました。
彼の地で織られた文様に何一つ意味のないものなどないのです、きっと。
posted by YUKINO MATOI at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月20日

さらに続き

キャシャーンのおかげで安眠出来ない夜になりそうなのだけれど
本当は大学時代の恩師にフレンチをご馳走してもらったり
上野にフェルメールを観に行ったり
素晴らしい本を1冊読了したり
前から一度一緒に仕事をしたかった人と意気投合できたりと
ものすごく充実した日だったのだ。

ただキャシャーンの記憶だけが強烈に胃のあたりに違和感を残すのです。
posted by YUKINO MATOI at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一応続き

紀里谷和明という人はなんと希有なクリエイターか、と思った。

静止画の断片として観ることを考えたら
きっとDVDに手を伸ばしてしまうのだ。

息をのむほどの美しい光景を1枚の絵として提出していながら
その1枚1枚をめくってもめくってもまるで物語として読めない。
その脈絡のなさは船酔いにも似て、観ていてとにかく疲れるし辛い。
裂け目だらけの世界に混乱し、不安を覚える。

観る側が安心してすぐ納得出来るようなものは作りたくないのだろうか、この人。

壊れた箱庭。文法のないメッセージ。過剰な装飾。

一貫性を持った世界観を創出できないクリエイターが
「興ざめ」「説得力に欠ける」という言葉で語られ
1つの作品の中に如何に一貫性を持たせるかということ
言い換えるならいかに完璧な箱庭をつくるか、ということに
粉骨砕身しているクリエイターがいる一方で
やろうと思えばそれが可能なだけの能力を持っているにも関わらず
(メイキング風景を見ると並々ならぬこだわりがよくわかる)
それをせずに敢えて世界を弄んでいるかのような印象を受けた。
大人の作品としての箱庭ではなく、子どもが玩具を並べて作ったような。

これで涙をこぼした人はどのあたりに感動したのだろうか
全く理解することができなくて複雑な思いで上野を後にした。

人が人として扱われていない場面を見るのが死ぬ程苦痛なので
その点でも非常に後味の悪かった映画。
posted by YUKINO MATOI at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キャシャーン

で吐きそうになった。
posted by YUKINO MATOI at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月15日

問屋の美学

浅草橋デビューしてきた。
浅草橋といえば日暮里と並ぶ服飾業界御用達の問屋街なのだが
実のところ私はほとんど浅草橋にも日暮里にも行かない。
行かなくても事足りてしまうことも多いし、何より遠い。
致命的なことには、問屋街なので土日祝祭日は店が閉まる
(空いてるところもあるけれど)。
さらに普段の閉店時間も早い。
平日昼間に買い出しに行ける身分でなければ足を運びづらいのだ。

今日は職場のおつかい要員として晴れて買いに出た。
駅から少し離れた飾り気のないビルの中は
通路の両側、床から天井までが全部棚で
そこに品番や色番だけが書かれた箱が整然と並んでいる。
それ以外に店内に余計なものは殆どない。
小売店ではなく、問屋だからだ。
種々の商品を効率よく並べて売ることだけに徹した美学。
店中にぎっしりと品物が詰まっている光景に圧倒された。
「並べる」ことと「売る」こと以外を廃したこの空間において
「殺風景」とは素敵な褒め言葉ですらある。
行為と目的とに従って本質に立ち返ることを実行すると
例えばこういう風になるのだろうか。

繰り返しますがここは問屋さんなので
レジではレシートや領収書ではなく売上伝票を渡されます。
おお、プロっぽい、と心の中ではしゃぎました。



公用ついでに自分の分ももちろん買いました。
卸値での安さには歓喜の声が上がります。
ものにもよりますが、電車代と所要時間を差し引いても
ここでの価格を知ってしまったらもう他では買えないもの多数。
バラ売や測り売の出来ない商品も多いけれど
そこも安さで見事にカバー!
posted by YUKINO MATOI at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月10日

お仕事

舞台美術制作のアトリエを2つ掛け持ち。
プラス不定期な頼まれ仕事。
衣装も作れば衣装を作るための雑用もやるフリーター生活。
大学卒業して未だに仕送りを貰い続ける半人前もいいところの生活。
就職して初任給とかボーナスとか貰っている友人を見てはへこむ生活。



アトリエの1つは自宅から徒歩3分のところにあります。
先輩が立て続けに辞めてしまったので
気づいたら勤務歴わずか1年強の私が
女性メンバーのなかではいちばん先輩になっていました。
目標にしてた人がいないのは物足りません。ものすごく。
自分では物足りない、と思うくせに、なのに
後輩から目標にされるほど立派な物なんてまだまだ作れません。
でも、少なくとも会社から見たら歯車の1個として機能してはいるはず。
そのギャップがいろんな意味で少し怖い。
自宅とアトリエ、片道3分の往復生活には時々充電と喝が必要。



一方、もう1つのアトリエは隅田川の向こうにあります。
こちらでは押しも押されもせぬ下っ端です。
こちらはこちらで気合いが必要なのです。
何せ先輩方のレベルがえらく高いものですから
日々見て学ぶべきことが多すぎるのです。
私はまだ会社の一部としての機能を果たせていない。
もっと素敵なものを作れるようになりたい。
張り切ったり自分を励ましてみたり
時々ヒクツになったりしながら仕事してます。



目標は2年以内に仕送り無しで暮らせるようになること、なのですが
秋からは国外に出てしまうのでどうなることやら。修行の日々は続く。
posted by YUKINO MATOI at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月09日

ストレッチを始めた理由

大学2年の夏休みに2週間だけ舞踏のレッスンを受けたことがある。
私の卒業した大学には演劇ワークショップという講座があって
私はそこの第3期生だった。
現代演劇か古典芸能か舞踏か選択出来たので
そのときに舞踏を選択したのが最初で最後の経験。



よく目標を持つことが大切、とか
具体的なヴィジョンを持て、とか言われるが
それと同じくらい大事なのは
目標と現在の自分とのギャップを意識すること。

舞踏のレッスンでは嫌でも常にそのギャップを意識させられた。
動きたくても動けない。
私の足は180°に開いたりしないし
私の腕は私の体重を支えられない。

鈍った体がたったの2週間で鍛えられるわけなどないのだが
それでも2週間踊り続けると少しは体が言うことを聞くようになる。

なりたい身体と実際の自分の身体。
そのギャップが埋まってゆくのは単純に嬉しかったし
自分の体を思い通りに操れることは快感以外の何ものでもなかった。

自分自身ほど儘ならないものもないが
体に関して言えば、全く意のままにすることが出来ないわけではない。
少なくともコントロールできるようになる可能性だけは存分にあると知った。
自分の身体をそういうふうに意識しだしたのはその時からだ。



今年の夏、バイトで演劇ワークショップのアシスタントを務めることになった。
最近急遽ストレッチだの筋トレだのを始めたのはそういう訳でだ。
身体が自分の意の通りに動かせる感触を取り戻したくなったのである。
posted by YUKINO MATOI at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月07日

妄想癖

仕事場で常にかけっぱなしになっているJ-WAVE。
1時間に1度か2度、交通情報が流れてくる。

車に乗らないので渋滞情報には別に興味ないのだが。

「道路にトラックの積み荷の紙が散乱しているため渋滞」なんてのを聴くと
ものすごくその現場に立ち会ってみたくなるのは私だけですか?

飛び散る紙。
舌打ちする後続のドライバー。
頭を下げながら右往左往するトラックの運転手。
容赦なく吹く風、再び舞う白い紙。

気の毒だが見たい。
ものすごく。




私の実家は田舎(越後長岡)なので
高速で家畜を積んだ車を見かけることもたまにある。
豚とか、羊とか。

妄想スイッチオーン!

「道路に積み荷の羊が逃げ出しため1キロの渋滞になっています」

慌てて羊を数えるドライバー。メェ。
片っ端から荷台に戻してもまた逃げ出す羊。メェ。
そのうち道端に座り込んで昼寝を始める羊。メェ。
何が起こったのか理解出来ずにとりあえず羊を迂回する後続車。メェ。
「ママー、ひつじさんだよー、みてみてー。」車の窓から身を乗り出す子ども。メェ。



ニュージーランドとかだと日常茶飯事なのか?
posted by YUKINO MATOI at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月04日

山手線は黄緑だし

ルフトハンザなら黄色と青
ティファニーなら水色
キャラメルコーンは赤。
色によるキャラクタライズって結構重要、なはず。

なのだが。

地元チームを愛するあまり
そのキャラクターを自ら放棄したのが
新潟市内の某店である。


オレンジい。


せっかくなので店員さんも
馴染みのブルーのストライプではなく
オレンジの縦縞のシャツなど着用したらどうであろう。




着用してたりして(未確認)
posted by YUKINO MATOI at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真付き日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

蛙の声と川上弘美

引越しが近いので、所有物を片っ端から整理している。
その筆頭が書籍類。
一応ざっと読み返して要るのと要らないのとに分ける。
買ったきり手付かずだった本はこの機に読む。
さもなければ当分お蔵入り。
この連休は移動が多いので本棚の飾りだったのを何冊か携帯している。



川上弘美の恋愛小説は口当たりは淡白なようでいて
その味は決してそうではない。
筆致は確かに淡白なのだけれど、縛ったり殴ったり溺レたり、と
むしろ執念く時間とエネルギーを注いで致していることの方が多い。
でもそれをしつこく甘ったるく湿っぽく感じさせないのは
そういう濃い要素を彼女が丁寧に摘み取っているせい。
熟れすぎた実や傷のある実を選り分けて粒の揃った一盛りをつくるような作業。

そうやって行為に集中する様を
「専一汲々」だの「邁進」だのといった語彙で表す人を
私は他に知らない。

湿度も温度も異様に低い。
まるで変温動物のように
自分から熱を発することを知らない。
熱を持たない生き物の執着力や継続力は
底無しの沼のように鈍く静かで哀しい。




マトイの生まれ育ったのは田んぼばかりの街なので
夜になると蛙の鳴き声が絶え間なくサラウンド。
冷たい情交のBGMには蛙の声がよく似合い。
posted by YUKINO MATOI at 01:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月02日

しやわせな空気

ミッフィーは中国語で米飛、と書くらしい。
横浜のそごう美術館でディック・ブルーナ展を見てきた。
連休中なので親子連れ率が非常に高い。
ミッフィーやボリスと写真が撮れるので
お子様も親御さんもおおはしゃぎ。

お子様


逆境で頑張る人、というのももちろん素敵なのだけれど
与えられた環境や機会を大切にしながら
それらを十二分に生かして仕事をすることも一つの才能だと思う。
そういう人の描く絵は、きっと観る人をしやわせにする、と思う。

そんなしやわせな空気の流れる展覧会でした。




ブラックベアを飼いたくなった。
飼う、ていうか同居。
帰宅するとベッドに仰向けになって本読んでたりするの。




崎陽軒のシウマイを購入して帰省しました。
これまた連休中なので品薄な模様でしたが。
posted by YUKINO MATOI at 23:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 写真付き日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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