2011年05月30日

人の手

子どもを育てながら少しずつ形になっていた想いですが、子どもたちには「人が手をかけるということ」にきちんと思いを巡らせられる人、想像力を働かせられる人になってほしい、ここ何日かでそう切実に思いました。人の住まない地、広大な砂漠、切り立った岸壁、深い海の底、そんな場所でもない限り、およそ私たちの暮らす場所、日常生活の範囲内で見るもの触れるものはほぼ全て、誰かが手をかけてその形にしたものばかりです。八十八の手を経て口に入るのはなにも米だけではない。きみたちの服は、絵本は、靴は、きみたちの暮らす街は、血の通った人々の一つ一つの作業を経てここにある。それが安手のコップ1つであれ、上等のグラスであれ、みな等しく。露地栽培のオーガニックのトマトであろうと土の匂いも日の光も知らない工場育ちトマトであろうと、多くの人の手を経てきたという点では全く等価である。ものだけではない。人だって人が育てるのだもの。きみたちもきみたちの家族も友人も通りすがりの人も。きみたちの食べるパンを店で包んで売ってくれた人、パンを焼いた人、パンにする麦を育て製粉しパン工場に運んでくれた人、その全てに関わる人が人によって育まれているという気の遠くなるような広く深いつながり。

人知を越えたものに対する畏敬の念とは別に、誰かがどこかでしてくれた仕事に繭のようにくるまれて生きているのだということを心のどこかに刻みつけて生きてほしい。心からそう願っています。



というのは昨日今日思いついた話ではないのですが、たまたま最近話をした人に「服ってどうやって作るんですか?」と聞かれて、話しているとどうもそれは「パターンから自分で引いてるんですか?」「布はどこで見つけてくるんですか?」というレベルの話ではなく、その人にとっては服は服として元素のように「はじめからそこに在る」もので、シャツ一つとってみても誰かが綿花を育て収穫し糸を紡ぎ布を織り出来上がった布にデザインを描き型紙を引き裁ち縫った成果としてそこにあるものなんだ、ということをこれっぽーーーーーっちも考えたことのない人なんだなあという、なんともがっくりする会話を交わしたことで、あああああうちの子たちがこんな大人になったら嫌だなあああああと強く強く思った、というのが大きな動機です。
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2011年05月25日

皐月の終わりに

江國香織の本数冊を読み返す。

大人になる、ということを、自分だけではいかんともしがたい現実を飲み込み、折り合いをつけて生きていく(という決意をする)こと、ないしはその現実を見据えてそれでもなおそこへ切り込んでゆこうとすること、だと定義するのならば、江國香織の物語に出てくる人たちはどこまでいっても、20代でも30代でも、結婚して子どもを産んで彼らが高校生大学生になる歳になってすら、ずっとずっと子どものままだ。いかんともしがたい現実の固まりの前に、戸惑い、途方にくれ、困惑し、もてあましている。蚊の多いどくだみの匂いの縁側でアイスをなめながら足をぶらぶらさせていた、幼い頃の長い長い夏休みの困惑をそのままに。

懐かしむ、という行為は自分が当事者ではなくなった地点からでなくてはできない。
いつまでも大人になりきれていない気がしていたのに、彼らの側から見れば、私はとっくに「向こう側の人間」たりえるほど、逞しくもずるくも分別くさくもなっていたことを思い知って本を閉じ、物置に運ぶ。

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2011年03月17日

追記

先ほどの記事の出典です。
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/
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鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を(長文)

震災の影響で卒業式を中止した立教新座高校の卒業生に向けた校長先生からのメッセージ。マイミクさんの日記で知る。一人でも多くの人に読んで頂きたく、ここに転載します。



卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためでなないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
 「今日ひとりで海を見てきたよ。」
 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。
 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司
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2011年01月28日

まなざし

私はとかく物事を難しく考えすぎ、考えなすぎる。
私を苛立たせ、困惑させ、どうしようもなく居心地悪くさせる子どもの振る舞いが
ほかの人にはたまらなく可愛くいとけなく映るということ。あるいはその逆。

私は肩の力を抜けと言われると「どうやって肩の力を抜くか」を考えすぎてガチガチになるか、さもなくば抜いてはならない力まで抜きすぎ外してはならないものまで外してしまうかのどちらかなので、例えば子どもたちを連れてカフェに入り、彼らに和やかに目を配りつつ、同行の友人との会話も弾み、他のお店や客への配慮をも忘れず、かつ、そのようにして過ごす時間がしっかり自分の「息抜き」に成り得ている笑顔のまぶしいスマートなお母さん、にはそれこそ焦がれるように憧れてやまない。だがそのスマートさ、さりげなさはたぶん、無意識のうちの振る舞いに拠るところが大きいので「いかにスマートに振舞うか」に頭を悩ませている段階で完敗である。ほんとにもてる人はもてる秘訣マニュアル本なんて絶対読みっこないのと同じ、持っていないものを手に入れようとあがく行為こそが自分の手に入れたい「それ」から最も遠いやぼったい行為である、なんてね。

要はせっかく1年ぶりに友達と会ったのに子どもらに気をとられてばかりで私、眉間に皺を寄せて強張った顔のまま、口を開けばやれ椅子に上がるなの大きな声出すなのでろくに話も弾まず、なんてことになってなかったかな今日?とっても楽しかったけど自分の振る舞いに自信がなくてなんだか疲れたのです。ああう。
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邂逅

共有できるものと共有できないもの。
離れている間にそれぞれの空間で流れたもの。
ほんの一時、交わってまた離れてゆくもの。
不思議。
長い時間同じ場所にいて同じことをして過ごしたはずの人と
微かな音沙汰さえないことになんの痛痒も感じないこともあれば
わずかな時間にわずかなものを分かちあっただけかもしれない人と
ほんのひとときでもいいから再び逢いたくて逢いたくてたまらなくなり私はキーを叩く。
言葉を探す。あなたに向けるべき言葉を。あなたと私の間に紡がれるべき言葉を。

人の魅力って何だろう。
私はなぜある人とは会いたいと思い、ある人とはそうは思えないのだろう。
あなたの前に立った私は、あなたが再び逢い見えたいと思える人でしたか。

ありがとう。今日また同じ時間をともに過ごすことの出来た大切なあなた。
あなたはとても素敵で、素敵で、素敵な人でした。



今年もまた駆け足で友達の間をめぐる季節がやってきて、今、東京です。
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2010年11月03日

40週と2日目の朝

夢を見ていた。夜遅く、つづら折りの柵のない真っ暗な急斜面で、雨に濡れた石畳が街灯をてらてらと映していた。私はブーツで、滑らないように一歩一歩おそるおそる歩かねばならず、足をぐっと踏みしめるたびに下腹に鈍い痛みが刺すのが怖かった。夢の中でも私は臨月で、夫に手を引かれながら重い体を運んでいた。



目が覚めたのは午前一時。もう寝直せないほどの痛みが定期的にやってきているのを確認し、夫を起こして後を託し、一人病院へ向かう。外は半分近く欠けているのに満月のような明るさの月で、光が窓から差しているのを見た瞬間「あ、来るんだな」と確信した。

深夜に入院になったらとりあえず私だけ行こう、夫と子には早朝まで待ってもらって、誰か子を預かってくれる人の手配がつき次第来てもらおう、という段取りになっていた。子がずっと風邪気味で夜中にちょくちょく目を覚ましていたので、咳き込んで「おみずちょうだい」と起きた時にパパもママもいないのはショックだろうと思ったし、どんなに親しくても実際に深夜に友人を呼び出して、夜泣きしたり咳き込んで吐いたりするかもしれない息子の添い寝を頼むのにはためらいがあった。前回入院から13時間かかったこともあり、6〜8時間程度で生まれてくれるのなら朝一で駆けつけてくれれば間に合うかな、という計算もあった。

入院の手続き、検査を一通り済ませて分娩室に入ったのが3時45分。ゆっくり近づいては遠のく痛みの波に合わせてだだっぴろい分娩室と廊下とを行ったり来たりする。午前5時の時点で子宮口5cm、陣痛5分間隔、5並びだしまだまだ5合目くらいであろう、という具合。ところが5時半過ぎにトイレに立った直後から急に陣痛が激しくなり、たった15分で子宮口全開、破水。あわてて夫に電話するも、つながらない。後で聞いたら出かける支度中で呼び出し音に気づかなかったのだとか。通常の分娩台から、事前に依頼してあった水中出産に移る間もなくあれよあれよと言う間に事が進んだ。夫と連絡が取れなかったその時だけはさすがに頭がぐらぐらするほど狼狽えたが、あとは怖いだとか苦しいとか思う間さえなかった。まだまだ先にあると思っていた嵐の海に待った無しで放り込まれて、指示されるがまま手足を動かしていたら溺れる間もなく雲が切れて青空がのぞいた。



結局入院から4時間と少し、分娩室に入ってからわずかに2時間半というスピード出産で、誰に対しても胸を張って「超がつくほどの安産でした」と言えるスムーズなお産でした。担当の助産師さんがものすごく頼もしく的確な指示の人だったのにも助けられて、10月29日、朝6時30分。3450g、51cmの元気な元気な男の子。あたたかくて、やわらかくて、たよりなくて、限りなく強い命。よく来たね。よく来てくれたね。ありがとう。ありがとう。ちゃんとママのところにきてくれてありがとう。この瞬間を誰よりも一緒に分かち合いたかった人は今ここにいないけれど、その淋しさや残念さを埋め合わせてあまりあるくらい、自分の胎内から命が溢れ出る喜びは途方もなくて、ただただ幸せでした。へその緒がついたままのいとしい我が子を抱き取って、ずっとお腹の中にいた子の顔を初めて間近に見て、はらはらと泣きました。



どうしよう、夫と連絡がつかない、とうろたえている間にいつも自分の起きる時間に合わせた携帯のアラームが鳴り、赤ん坊が無事生まれた後、助産師さんも産科医さんも席を外して2人きりになった静かな分娩室に夫と息子を起こす時間に合わせたアラームが再び鳴り響いたのがおかしかった。夫に電話して「生まれたよー」と知らせ、涙声を聞き、1時間後、カーテンの向こうから「ママー」と呼ぶ小さな顔がのぞいたとき、ああ4人の生活がこれから始まるんだな、と思った。前回、脱水を起こして水も飲めなくなり、点滴を打たれてベッドで運ばれたのとは対照的に、今回は自分で分娩室を片づけてほかほかの我が子の乗ったベビーベッドを押して病室に向かい、ぱくぱくと朝食を平らげたのも我ながらおかしくて、軽やかにうれしくて、誇らしくすらあった。妊娠中におこったあらゆるネガティヴなことが全部洗い流されて楽しかったことだけが残った気がした。大好き。みんな大好き。わたしの大事な大事な家族。
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2010年10月25日

記録その2

長文です。



夫が不在がちどころかまともに家にいる日のほうが少なかった妊娠後期、夫の留守に急に産気づいたら、あるいは容態がおかしくなったらどうしようというのが最大の心配事だった。そんな中で出産までに済ませておかねばならない仕事、産休に入れそうで入れない、ずるずると片付かない仕事の山、家の中の雑事に頭を抱え、身重の体でちびすけと2人向き合わざるを得ないハードなワーキングシングルマザー状態によれよれ、ぼろぼろになり、声を上げて一人涙をこぼしたり息子にわめき散らしたりしている間にあっという間に月が満ちてはまた欠けていった。

嵐は過ぎてこそ振り返ることができるもので渦中にいるときは毎日が無我夢中だったが、気がつけば夫は家に戻り、息子は保育園に通い、机の上に堆く積まれていた仕事の山は片付いて、ラズベリーリーフティーを飲みながらのんびりとキーを叩く薄暗い初冬の静かなひとときすらそこにはある。家の中を掃除し、壁のペンキを塗り替え、家具を整え、新しい服やスタイを縫い、久しくなかった夫と2人での外出、家族3人で買い物をし、公園を歩き、食卓につく、凪のように穏やかな日々。いつも家にいる父親が暫くいなかったせいで、母親べったりになっていた息子が元通りパパ大好きになるまでに充分な時間。当たり前に家で心身を休めることのできる時間。足りなかったものが満たされ、くたくたになったものが回復してゆく時間。

それら全てを与えてくれたのはお腹にいるこの子。
本当に親孝行な優しい子だと思う。
ちびすけがまだ保育園に慣れられずに不安定だったときも、中耳炎を起こして病院に駆け込んだときも、じっとお腹の中で待っていてくれた。

だから、もう「お願い今日だけはまだ出てこないで」なんて言わないから、いつでも好きな時に出てきていいんだよ。何があってもちゃんと迎えに行くからね。ごめんね。君がお腹にいるのにしょっちゅう怒ったり苛々したり泣いたり落ち込んだり疲れを溜め込んだり、食事だけはかろうじて気をつけてたけど、どう考えてもあんまり君に優しい生活してなかったね。君はいつだってびっくりするくらいいい子だったのに、ごめんね。あんまりいいママじゃなくてごめんね。

それでも君に会えるのをずーっとずーっと楽しみに待ってたんだよ。これでもさ。



さて、以下は安定期に入った春の終わりくらいに書いたもの。



子どもを含めた立ち会い出産を考えている。

今回も夫に立ち会ってほしいが、出産の際にちびすけ一人を蚊帳の外に置きたくはなく、さらに実家に子どもを預けるという選択肢が無い以上、夫が彼を連れて分娩室に来てくれないと夫が生まれたての子の顔を見られないので。

で、ちびすけに「あのね、秋になったらちびびがママのお腹から出てくるけど、出てくるところ見たい?」と訊ねたら、今まで見たこともないほど固く張り詰めた顔で「見ない!見ないよ!」と拒まれた。本能的に怖いのだと思う、多分。

夜中でも駆けつけてくれてちびすけの面倒を見てくれるベビーシッターさんを確保するか。もしくは私が一人で出産に臨むか。帝王切開一歩手前で(もっと苦しかった人はいくらでもいるとはいえ)安産とは言い難かった前回、痛みにも増して「こんなにも痛いのにお産が全っ然進まない、先が見えない」ことの恐怖にのたうちまわったことを考えるとそれは心許ないなあ。

余話。
お産のことを詳しく説明せずに「母子ともに健康」と伝えると自動的に安産だったと理解されるみたいで、実際にそういうケースも多いのだろうけれど、詳細を知らない人に「前回も安産だったっていうし今回も大丈夫でしょ」みたいなことを言われるのってものすごく嫌。痛みは、恐怖は、相対化できないんだよ。あの痛みと恐怖に耐えられるのなら麻酔なしで盲腸の手術が受けられるなあ、と本気で思う。だって盲腸の手術だったら盲腸切り取るところまで耐えたら終わるじゃん!



と、余話含め数ヶ月前に書いたのはここまで。
親バカ以外の何物でもないのかもしれないけれど、10ヶ月も一緒にいると子との間に信頼感みたいなものが生まれるらしく、心持ちは「うちのちびびはきっとそんなに変なタイミングでは出てこないだろうし、いつその時が来ても私はそこそこきちんとやってのけられるだろう」というそれなりに腹の据わったものへと変わりつつある。喜んで、とまではいかないがいざとなれば一人で産みに行く覚悟はあるし、ここまで家族みんなの気持ちを汲んでくれた子だもの、私や夫やちびすけが困り果ててしまうような産まれかたはしないんじゃないかなあ。たぶん。何があっても取り乱さないで済むだけの気持ちの余裕を与えてくれたのは他ならぬお腹の中のこの子なのだし。ちびすけだって私のお腹が大きくなるにつれて「もうすぐ家に自分より小さい人がやってくる」という事実を少しずつ少しずつ彼なりに咀嚼して受け入れてきたように思える。ふんぞりかえって小さなぺたんこのお腹を突き出しては「ちびちゃんもおなかにあかちゃんいるの、いまうごいてるよ、さわってみる?」という息子。夜は母のお腹をまくってはそっと撫でたり、眺めてみたり、「あったかいねえ」とつぶやいて眠りに落ちる息子。体のあちこちが痛くて呻いていると「だいじょうぶ?どこがいたいの?おくすりのむ?いたいのとんでけーする?ばんそうこうは?」と涙が出るくらい甲斐甲斐しい息子。



こうしている間にも時折下腹がぎゅうっと絞られるように強張る。
3人家族の生活も、あと、ちょっと。
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2010年10月22日

記録その1

つわり中に書いたまま放置していた日記が出てきたので2度目の妊婦生活の記録として。3〜4月頃のもの。



ちびすけの時はいわゆる食べづわりで、お腹が空くと気持ち悪くなっていたので、パックのジュースやヨーグルト、ビスケット、チョコレート、パン、なんでも持ち歩いてこまめにちびちび食べていれば割と元気だったのに、今回はかなり食欲が落ちている上、何時、何故、どのタイミングで具合が悪くなるのかが読めない。今なら焼肉でもロースカツでも食べられると思う時もあれば、ひりひりに喉が渇いているのに水を口に含むのすらつらい時も。でも大概は朝と夕方が気分が悪く、昼から午後にかけては比較的元気なので、げっそり体重が落ちることもなくのそのそと暮らしている。(後日注:実際には2kgしか落ちなかったので大したことないと思っていましたが傍目にはかなりやつれて見えていたのだそうです)



漬け物とインスタントラーメンの匂い以外特に受け付けないものがなかった前回に比べて食べられなくなったものがあまりにも多いので書き出してみる。

コーヒー
チョコレート
シナモン、クローブ、甘味と合わさった生姜
あんこ
かつお、サバのだし(いりこは平気、かつおもおかかの状態なら大丈夫)
パン
納豆
もち
揚げ物、炒め物の匂い(完成品を食べるだけなら少量は平気)

普段なら大好きなはずのねっとりまったり濃厚に甘いものがダメになり、ついでに粘度の高いもの、もっちりしたもの、逆に水分の少ない口当たりのもそもそするものも受け付けなくなった。視覚・触覚も少なからず影響されているようで、水回りの掃除の時に手に触れるぬるりとした感触、あるいはうっかり見つけてしまった黴などまあ普段からあまり好ましくはないのだが一々ぎゃあぎゃあ言うほどでもない不快なものたちが猛烈な鳥肌と吐き気を連れてくることに驚く。前回は初めての妊娠ということもあってコーヒーお茶アルコール等々の嗜好品を断つのには結構な努力が要り、ノンカフェインコーヒーやノンアルコールビールで紛らわしていたのが、その必要もないほどコーヒーの匂いもだめなら酒気もだめになった。

で、大丈夫なもの。

コリアンダー
ナンプラー
キムチ
にら
ニンニク
生姜
ごま油
味噌
豆腐
ひき肉
くだもの全部
ヨーグルト
オレンジミルク
牛豚鶏骨系の白濁スープ

さっぱりして酸味のあるマイルドな辛さのものがすごく美味しい。トムヤムクン、フォーにナンプラーと唐辛子とライムを絞ったの、片栗粉を入れないでさらさらに作った麻婆豆腐。キムチも食べたくて食べたくてしょうがなくて漬けたのだけれど、食べる時のニンニクの匂いは美味しくても後に残る匂いにはなぜか気分悪くなったりして諸刃の剣。あとはお茶漬けやコーンフレークのように、とにかくサラサラして口当たりのいいもの。



しかしこんなに何もかも長男と違うと言うことはもしかして女子かしらん。(後日注:と思っていたらどうも男の子のようです)
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不可視カウントダウン

夜、子と眠りにつくたび、ぺたりと母のお腹にはりついて寝入る息子の寝息を聞くたび、この子一人のためだけのママでいられるのはあと何日かしらと思う。3人の夜。一応床に就いてから朝までまとめて眠ることができて、2時間おきに起きなくてもいい夜。朝起きるたび、ああ昨日も陣痛は来なかった、さて今日は何が出来るかなと思う。早く来てほしいような、もう少しこのままでいたいような。



とにかく引っ越してしまわねば、新居に全部荷物を入れて最低限住処としての体裁を整えねば、でどうにか「済んだ」と言える状態になったと思ったらあれよあれよという間に出てきてしまった長男。予定の1ヶ月以上前からキリキリと前駆陣痛で母を悩ませ、ああこの子もさっさと出てくるんだろうなあと思いきや、意外に予定日まであと5日、というところまで来て、案外11月生まれになったりするのではという気さえ起こさせる2人目。違う人間が入っているのだからお産もその都度違うのが当たり前、5人産んで5人とも1回1回全部違ったと言う義母の言葉は説得力満載。



陣痛が来てキャンセルになったらごめんね、といいながら友達と会う約束をして、予定通りに会えることへのじわじわとした驚き。大豆を煮ようと水に漬けつつ、1時間後に陣痛が来ちゃったらこの豆どうしようとふと心許なくなり、翌朝何事も起こらなくて無事鍋を火にかけるに到るこの感じ。少しでも時間がかかることは最後までできない可能性がある。来週の予定なんてあってないようなものだと守れる見込みのない約束のような気すらしながら立てた予定の通りにことが運ぶ。「いつも通りの明日」がもしかして来ないかもしれないと思いながら書いたメモの一つ一つを、用事が片付いて屑籠に放り込むたび感慨深い。結局毎日が普通に進行してゆく不思議さ。1時間後なのか明日なのか来月なのか、まさかとは思うけどその日が来ないなんてことありはしないだろうかとちらちら不安もよぎりつつ、確かに近づいたという手応えを感じる「その日」。



毎日なにかしら出産の絡む夢を見る。昨日は夢の中でもう分娩室にいて、助産師さんの指示でせっせと体操やら呼吸やら陣痛を逃がしていて、もう間もなく頭が出ますよーというところまで来ていたので、夜中に目が覚めて真っ暗な寝室で普通に家族が隣に寝ているのにものすごく戸惑った。



父親は生まれてきて抱くまで実感ないとか言うけど、母親だってお腹の中に抱えて誰よりも近くにいるくせに触れないし抱けないし声も聴けなければ匂いも嗅げないのだもの、確かな胎動を心底愛おしく思いながらもやっぱり、肌を合わせて顔を見てやっと「はじめまして」って感じだと思う。
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